貧相アブ衛門の嘆き687


2019年4月22日(月)


おら、「こっつぁんち」に行くだ。


 このゴールデンウィーク、長野県は野辺山にあるユース形式の民宿「こっつぁんち」に行ける可能性は0.01%だと思っていました。
 しかし、行くことになりました。10連休の前半は、私がお袋さんちに行くことにしたのです。姉貴も疲れ果てていますからねぇ。
 
 思えば、私が「こっつぁんち」を訪れたのが、1985年8月の盆休みのこと。ヤマト同心の「タチゲ」とオートバイで行きました。初めての土地であることもあり、渋滞もあり、温泉巡りをしていたこともあり、夕食が始まってからの到着でした。しかし、見知らぬ私たちを、他のお客さん達が熱烈歓迎してくれたのです。泊まった部屋には、初めて会った人が二人いましたが、すぐ打ち解けました。ああ、こんな素晴らしい宿があったんだと感動しました。
 あれから、幾度この宿を訪れてのでしょうか?今では心の故郷になっています。
 

部屋を整理していたら、1985年の新しい「こっつぁち」の写真が出てきました。アホ衛門も若かったですねぇ。最初に泊まった翌朝の写真ですねぇ、多分。

貧相アブ衛門の嘆き686


2019年4月14日(日)


終わっとるだにぃーPart2。


 酒をアホほど飲んで、早めに寝たので2時半過ぎだったかに目が覚めた。ベランダから外を見ると、晴れていており、木星がまばゆいばかりに輝いていた。一瞬撮影しようと思ったが、まだベロベロだったので、無理矢理布団をかぶった。それで良かったのだ。その後すぐ曇ってきて、雨も降り出したようだった。
 8時まで寝ていようと思ったが、ずっと早く目が覚めた。会社の仕事を少しやった。それにしても、腹具合がチョー悪い。大きな原因としては、酒の飲み過ぎだなぁ。アホだわ。アホ、アホ。
 ところで、望遠鏡はベランダに出したままにしておいた。勿論、大型のタイヤを収納する銀色のカバーをかけておいた。いよいよ家を出る時に、雨が強くなった。しかし、時間が無くなったのでそのまま出ることにした。
 まずは、お袋の昼飯を買いにコンビニ寄った。そして、「眼鏡の三城」に、眼鏡を取りに行った。白内障対応レンズって何?多分、加齢と共に水晶体が黄変するので、それを補正するのだろう。
 その後は、日曜日恒例の「お袋さんち訪問」だ。殆ど泊まり込みでお袋さんの世話をしている姉貴にしてみれば、私何ぞは、たかだか毎日曜日に行っているだけだが、これが結構ストレスが溜まるのだ。おおそうだ、お袋の庭を見ると、一気に作物などに花が咲き出していた。春なのねぇ。
 
 

これが、お袋さんちの庭だ。先週来た時には、こんなに花が咲いてはいなかったよねぇ。春ですなぁ。
 
 思えば、お袋さんの人生は大変なものだった。って、まだちゃんと生きてますけど。
 とにかく、オイラのオヤジがひどい人だった。否、ひどすぎたのだ。どえらいドメスティックバイオレンスの連続で、毎日生きた心地がしなかった。オヤジは、僕ら子供にもいつもそれはひどい暴力をふるっていたし、自分の年取った親達にも殴る蹴るの暴力を振るっていた。お袋さんは、特に毎日の様に力一杯殴る蹴るのあり得ない程の暴行を受けていた。だから、いつも青あざが出来ていた。
 そのくせ、外面が良くて、内情を知らない人は良い人だと勘違いしていた。2004年に85歳で死ぬ寸前まで、周りにあり得ない程迷惑をかけて逝った。正直、「ああ、やっと死んでくれたか?」というのが本音だった。
 いつだったか、お袋さんが、ある秘密を教えてくれた。教員だったお袋さんは、僕らが大学生の頃、島根県の隠岐の島に「僻地?教育」のために、一人移り住んでいた。それは、父親のお母さんも、ものすごく変な人で、お袋の給料を全部取り上げ、生活費だけ必要な金だけを渡していたのだ。一方、オヤジは自分の金はほぼ自分のためだけに使っていた。僕らの大学生活のお金を捻出するために、お袋さんは、オヤジとばあちゃんの目の届かぬ隠岐の島に行っていたのだ。
 思えば、アホ衛門は、何一つ親孝行をしていない。普通なら、結婚して、孫の育つ姿を見せて、生きる糧にしてあげるのが普通だろう。また、どこかへ旅行へ連れて行ったこともない。お袋さんが死んだら、死ぬほど後悔するだろうねぇ。それでも、もう一度、アホ衛門がこの世に生を受ける事があれば、お袋さんの子供で生まれてきたい。そうしたら、わずかながらでも親孝行をしたいものだ。
 
 して、今、パソコンを打っているのだが、マウスのUSBレシーバーを忘れてきて大変だ。また、ソフトのアップデータが沢山あったので、モバイルWiFiでやってしまった。うーむ。家でやれば良いものを。残量はまだ沢山あるから良いようなものを。

貧相アブ衛門の嘆き685


2019年4月13日(土)


終わっとるだにぃー。


 いろいろやりたいことはあったが、ストレス大魔神のアホ衛門は、クリーニングを出した後には、既に酒を飲んでいた。夕方、酔っ払ったままクリーニングを歩いて回収に行った。檜の花粉なのか、黄砂のせいか、アレルギー反応がひどかったなぁ。
 

撮影した10時51分には、こんなに良い天気だった。大山の冠雪はあっと言う間に少なくなったよねぇ。
 
 夜は、酒をアホほど飲んで早々と寝た。天候も宜しくなかったのでぐれたのだ。
 ちなみに、今日はお袋の誕生日だった。姉貴に言わせると、誕生日を祝うと、自分の年にショックを受けるというので、ここ数年は全く祝っていない。

貧相アブ衛門の嘆き684


2019年4月12日(金)


久しぶりの月撮影。


 本日は、割と早く、午後9時頃帰宅した。天候がとても良かったので、ベランダでのテスト撮影をすることにした。しかし、とにかくイライラがひどく、なかなか撮影に入れなかった。まず、PHD2.6.5の画面が真っ白で、星が写らないのだ。必死になって対策を施そうとしたが、何とガイドに使っているQHY5Ⅲ174Mのケーブルの反対側を赤道儀につけていなかったのだ。アホー!次に、ステラショットを使って対象物を入れようとしたのだが、極軸がそもそも正確に合っていないし、ステラショットの初期設定がかなりおおざっぱなものなので、一端導入機能を使った後、ちゃんと対象物がファインダーの真ん中にくるように手動で動かして、同期しておく必要性があるのだ。しかし、これをやっても自動導入がうまくいくかどうかは疑問だ。何せ極軸が正確に合っていないからねぇ。
 まずは、月を撮ってみようと考えていたが、チンタラしているうちに、みるみる内に高度を低くしていった。と言っても、視界の狭いベランダからだと高度が低くないと撮影が出来ないから良いのだ。珍しくシンチュレーションが良かったようで、かなり高度が低くなってからも、結構、像が止まることがあった。えかったねぇ。
 機材は、鏡筒は高橋のTOA130Sで、架台は同社のEM-200Temma 2 Zだ。撮影カメラはQHYCCD社のQHY5Ⅲ178CなるCMOSカメラだ。(非冷却タイプ)
 次に、このCMOSカメラで小さな天体を狙ってみたが、入っているのかそうで無いのか分からなく、一気に根性が切れた。
 その後は、酒を沢山かっくらって寝た。アホの上乗りぢゃ。
 

Registax Ver.6で約500コマ近くのうち、良さげな200コマをスタックして、ウェーブレット処理した後、Mac版のPhotoshopCS6で加工したものです。トリミングしています。あれだけ低空だったのですが、何とか見られる写真になりました。・・・かも?

貧相アブ衛門の嘆き683


2019年4月7日(日)


ダメよ、ダメ、ダメ、ダメなのよーん!!


  木曜日の夜に大阪入りして、金曜日には会議に出ておりました。しかし、ここ米子から電車で行くと、実に遠いわい。じっとしているのがたまらんですし。
 さて、この会議では、この部署に新しくやって来る人を中心にウェットラボ(手術の練習)の用意をしていたのですが、ここで大問題発生。何度やってもエラーがかかるのです。「おっかしいぞ。こんなことってあるのか?」と大慌てです。と、一緒にセッティングしていた人が「アホ衛門さん、ここ、チューブが繋がってないですよ。」とホンマもののあきれ顔。私も「オイラの頭は完全に壊れちまった。」と非常に落ち込みました。最近、本当にボケボケなことが多いのですが、今回のはあり得ないほどひどかったです。
 して、土曜日なのですが、天気予報も良かったので、超久しぶりに天体写真の撮影に行こうかなって思っておりました。しかし・・・「ん?えらい霞んどるな。春だから仕方ないのか・・・」実は、黄砂がやって来ていたのです。マンションから見える「大山(だいせん)」もえらく霞んでいます。うーむ、これは、撮影に行ったところで、しょうもない写真しか撮れないわ。やめ、やめ、やめー!
 

あーあ、大山が黄砂で霞んでいるよ。何故、よりによって今日なの?
 

これは、4月4日に撮ったもの。素晴らしい透明度ですねぇ。
 

これは、4月1日に出雲市の、とある場所で撮ったもの。雨の様に見えますが、突然の暴風とすさまじいミゾレが降っていました。まさに、冬に逆戻りの天候でした。
 

これは、上記と同じ場所で4月3日に撮ったものです。桜が満開ぢゃ。春ぢゃ。何と言う気候の変化の1週間であったことよ。
 
 ぐれたアホ衛門は、いつものクリニックを受診した後は、昼間から酒をアホほど飲んでいました。それでも、夜になると、せめて機材のチェック何ぞをしておきたいなと、いつものベランダ撮影です。長期入院している機材を、前の廉価な物に取り替えてからの作業です。しかし「あんれー?この機材、どうやって付けていたんだっけ?」・・・これは、前に写真を撮っていたので何とかなりました。次に、極軸のセッティングです。以前、三脚の位置にマジックで印を付けていたのですが、このところの雨で消えてしまっていたのです。グオー!てなことで、そこそこ時間がかかってしまいました。
 先回は、IDASの「 NB1 52mm 」フィルターを使いましたが、今回はLED光源に対応した対光害フィルターの「LPS-D2」を使う事にしました。
 結局、視界の狭いベランダからは、良い対象物が殆ど無かったので根性が切れてしまいました。本当は、デジタル一眼でとった後、小さな対象をCMOSカメラで撮ろうと思っていました。更には、セレストロンのC11を出して「黒ひげさん式フラットナー」とオフアキシスガイダーのテストもしたいと思っていました。結局、なーんも出来ませんでした。アホぢゃ。
 

これは、本日撮った、私がメインで使っている天体望遠鏡。ちょっと前とは装備がチョロッとだけ違っています。どこか分かるかなぁ?
 
 して、本日、日曜日はいつもの如く、お袋さんちに行ってきました。お袋さんが庭の雑草を取ってくれと。「えー、毎週とっていたじゃん。」と言っても、「とってもとっても生えてくるから。」と。てなことで、仕方なく?採り始めました。「ん?お袋さんが言っているのは、作付けをしている場所だけでなく、庭全体の雑草をとれと言っているのか?」てなことで、せっせと作業を続けました。生えている草の中に、とっても臭いものがあるのです。そこで、ゴム引きの手袋で作業をしたのですが、結局アホほど手が臭くなっていました。また、帰ってからは痛めていた背中が超痛いのぉー。がるぅ、がるぅー。

貧相アブ衛門の嘆き682


2019年4月3日(水)


快晴なのに・・・


  今日は珍しく快晴。星も綺麗に輝いております。すかああああああす、帰りも予定より大分遅くなったし、やる気がゼロォー!!あはははは。壊れた。
 
 てなことで、せめてと、以前撮ったアンドロメダ星雲を、超我流で処理し直ししてみました。おほほ。・・・だみだ、こりゃあ。
 

鏡筒は高橋のTOA130S(EDレンズを使った特別な設計の屈折望遠鏡)プラス×0.7レデューサ。原寸大だとまだ見られると思っていたんだけどねぇ。このサイズにすると、じぇんじぇんダメぢゃーん。ちゃんと画像処理を勉強し直さないとダメだよねぇ。

貧相アブ衛門の嘆き681


2019年4月1日(月)


な、なぬぅー?「令和なのかぁぁぁーい?!」


  本日、5月から採用になる元号の発表がありました。その名も「令和」。・・・お、お、およっ、「令和なのかぁぁぁぁーい?!」正直言って違和感がありすぎます。「平成」の時も、最初は違和感があったのですが、その100倍くらい違和感を感じました。しかし、私はジジイ。明日には違和感を感じていたことすら忘れているでしょう。おほほ。笑っとるばやいか?
 私が子供の頃は、どこそこのジイさんは明治生まれの頑固者でかなわんわ。等と言っておりましたが、いまや、アチキが昭和生まれの頑固ジジイになっております。
 
 ところで、本日は、社用車のタイヤをノーマルタイヤに換えました。しかし、出雲市に行った時には、時折、ものすごい風と霙が降っていました。一部の高速道路は、冬タイヤ規制が入っていました。うーむ、タイヤを換えたのは早かったか?
 

 これまた、文章にまるで関係ない写真。夏になると、当たり前の様に、上高地に行っておりました。と言っても、ここは、通り過ぎるだけ。上高地から約7kmある徳沢まで一気に歩き、テントを張ります。そこから、蝶ヶ岳に登っていたのです。・・・ここへまた来られる日が来るのかなぁ?
 写真は、大勢の人が歩く「河童橋」です。背景は、活火山の「焼岳(やけだけ)」です。