貧相アブ衛門の嘆き17

 

2013年2月25日 あ、書き忘れていた。


 書き忘れていました。先日、K-ASTECのポタ赤を高度方位調整装置 XY50に取り付けると、ジンバルが干渉してしまうと書いていましたが、解消しました。協栄産業で展示品を見て分かったのです。取り付け位置が違っていたのです。でもですねぇ、この一番先に取り付けるのはどうかと思ったりします。
 初めは、手で締めることが出来るネジが付属していましたが、中が空洞のネジでした。取り付ける面が両方ともツルツルの塗装面だったので、思いっきり締め付けたらネジ山が切れました。およよ。そこで、川野さんに連絡してもらったところ、六角レンチで締めるタイプのネジに交換してくれました。これは、確実に固定できます。しかし、このネジには滑り止めワッシャーがついていたのですが、今回取り付けた位置ではワッシャーは干渉して使いものになりません。固定には問題ないのですが、ちょっとねぇっていう感じです。

 
 

 
 あ、これまたびっつら。パンスターズ彗星ですが、アストロアーツの投稿画像ギャラリーを見てびっつらしました。ニュージーランドで撮影をされた画像は、結構すごいですぞ。
 
 
http://www.astroarts.jp/photo-gallery/photo/12329.html
 

貧相アブ衛門の嘆き16

 

2013年2月23日 やばいよ、やばいよ。


 うーむ、仕事がたまっているよー。でも、やる気が起こらんよー。
 今日も、いつものクリニックに通院を。この不調の原因は、どうもストレスとしか言えないらしい。そんなことは分かっておりまんがなぁ、しぇんしぇい。
 てなことで、頭の腐りまくったアブ衛門は、またも、「やってもうたー!」を連発。実は、ここだけの話ですよ。(おい、おい・・・)ビクセンのSXP赤道儀を買ってもうたのです。アブ衛門赤字債発行するべぇ。誰か、私を止めてー。
 本日、協栄産業大阪店さんへレッツラ・ゴー!おーい、買う気満々ぢゃーん。完璧なアホぢゃ。ブリブリぢゃー。あらら、えらい数のお客さんですなぁ。パンスターズ彗星が来るのが理由かなぁ。しかし、パンスターズ彗星は、当初の予報よりかなり暗い光度で観測されています。(最近少し明るくなっていますので、本当にどうなるか分からないのが彗星ですけど。吉田氏のサイト参照)
 
http://www.aerith.net/comet/catalog/2011L4/2011L4-j.html
 
 
 何故、私がこの赤道儀が欲しくなったのか?それは、前にも書いていますが、EM-200より気軽に操作できる架台が欲しくなったためです。また、月追尾モードがある赤道儀が欲しかったのです。
 しかし、赤偉軸のクランプ問題はやはりあるようです。まだ、実際に星を見てテストをしていませんが、それでも、クランプを締めると、その際望遠鏡が少し動きます。また、このクランプの形状はいただけません。SXPは、望遠鏡を載せる架台ヘッドが、SXD赤道儀などのアリガタ・アリミゾ形式から、ネジ止め形式へ変更されています。その結果、クランプの位置を望遠鏡と直角に設置することが出来るのです。これなら、クランプのグリップのを大型にしても干渉しないと思います。それなのに、この形はいただけません。小さすぎます。ビクセンは良い仕事をしているのに、詰めが甘いようにも感じます。野球言うならば、2ストライクまで完璧な投球をしているのに、最後の一球がど真ん中のヘロヘロボールのような・・・何かとてももったいないような気がします。ま、実際に使う時にはそれなりに工夫をすれば、問題ないのかも知れませんが。
 
 もう一つの写真・・・そうなのです。1978年の蝶ヶ岳讃歌の最後の方に書いてあるアクセサリーです。今でも大事にとってあります。
 
さっそく、切符を買うべく、列に並んだのだが、その時、僕の前の前に並んでいた女性が、上高地のお土産と思われる小さな鐘のアクセサリーを落とした。声をかけようと思った瞬間、僕の前に並んでいた男性が、何も気づかずにそれを踏んでしまった。僕はあわてて声を押し殺した。」

貧相アブ衛門の嘆き15

 

2013年2月20日 すっごく眠たい日でした。

 実は、私めストレスからか、眠剤がないと眠れないのであります。結構いろんな眠剤を飲んできました。どうやら、今飲んでいる薬剤が効き目が一番よさげであります。しかし、酵素誘導もあるので、今現在、どれくらい本来の効果が出ているのか疑問です。
 そう言えば、以前、メラトニンという松果体ホルモンがブームになったことがあります。このホルモンは、暗くなってくると眠りにつくために自然に出てくるものなのです。しかし、年をとってくるとその分泌も減ってきます。そこで、このホルモンを経口投与すると良い結果が生まれると言うわけです。日本では認められていませんので、販売されていません。一方、アメリカなどではどこでも売っているような始末。人間とか動物からこのホルモンをとってきて販売しているわけではなく、合成して作っています。抗酸化作用が強いため、身体のさび付き防止の効果があるとも言われています。
 いつだったか、ある国のあるところの牛乳が大人気になっているとニュースで言っていました。「この牛乳を飲むととても寝付きが良い。」と。何と、暗い場所で牛を育てそこで搾乳するのだそうです。その結果、その牛乳にはメラトニンが多く入っており、よく眠れるのだそうです。
 
 で、今日は何故こんなに眠たかったのか?うーむ、万年睡眠不足だったし、ここ数日睡眠時間も、その質も悪かったからでしょうか。
 写真は、文章とまるで関係ない、2009年8月に撮った蝶ヶ岳ヒュッテです。

貧相アブ衛門の嘆き14

 

2013年2月20日 クランプ問題2

 ビクセンという会社の製品は・・・・うーむ、初心者には手頃。意外に光学系が良かったりする。コストパフォーマンスはかなり高いのだが、最終的は高橋製作所製の物になっちゃうのかな。ここは、どうして、こうなのぉ?っていうところが結構ありますよねぇ。ここさえ、改良してくれたら結構良いんだけどなぁって言うのがありますねぇ。少し価格を上げても改良して欲しいところが・・・
 SXP赤道儀はクランプ問題が厳然たる事実としてあるようです。赤偉クランプを締めると、その際に望遠鏡も動くらしいのです。ここは、まあしょうがないと許して、後は工夫すれば問題ないのかもしれません。でも、気分は良くないよねぇ。決して安い買い物ではないのだから。
 一方、高橋製作所は質実剛健。あんたは、ラオウでっか?と言いたくなる。「我が人生に一点の悔いなし。」でも、その反面、ちょと、ちょっと、今時の技術も早々に取り入れてよって言うところも結構あります。だいたい、何故、小型の1種類の赤道儀を除いて、何故月追尾モードがないのかも分かりません。これだけしっかりしたマウントや、望遠鏡なら月を撮影をしている人は多いと思いますよ。月の動きは、恒星時とは違います。恒星時で、月の拡大撮影をすると、絶対流れているはずです。眼視でも、視野をみるみるうちに動いているのが分かりますしねぇ。
 
 実は、星をやり始めた時、高橋製作所の名前を知らなくて、三流会社かと思っていました。許してちゃぶだい。しかし、当時の望遠鏡が、手動ハンドルにフレキシブルハンドルを採用していたのに、高橋だけは直棒を採用していました。これは、大正解。多分、星好きな社員の方が、フレキシブルハンドルは駄目だと言って採用しなかったのかも知れません。
 高校生の時、P型赤道儀に乗っていた65mmのセミ・アポクロマートは憧れの的でした。先輩が、「あれは、違うわ。見え方が全然違うわー。」てなことを言っていました。しかし、今やフローライトや、TOAシリーズを初めとする特殊な設計のEDレンズが世間に広まりつつあります。屈折望遠鏡がこんなにくっきり見えるようになるとは・・・・
 
 写真は、2007年ですかねぇ。高橋のTOA130S鏡筒と同社のNJPT2マウントで撮った、すばる、プレアデス星団です。画像処理を試行錯誤して、淡いディテールが結構出たように思うのですが・・・画像処理下手すぎ。

貧相アブ衛門の嘆き13

 

2013年2月18日 うーむ!

 

 ビクセンのSXP赤道儀が欲しいだべ。と思いつつも、踏ん切れないアブ衛門。ならば、ちょっとネットで調べてみましょうかねぇ。あ、あ、あらららら。何と、「クランプ問題」なる書き込みが何個もあります。うーむ、ちょっと触手が縮む・・・・続きはまたの機会に。だって、さっき帰ったばかりです。明日も早いし。

貧相アブ衛門の嘆き12

 

2013年2月17日 おろろ?

 実は、昨晩、仕事をある程度終えた後、K-ASTECのGF50赤道儀フル装備をテストをしてみました。否、しようとしました。と、おろろろ、高度方位調整装置 XY50とジンバル装置の固定ノブが干渉してしまいます。ノブは締めやすい様にごつごつした形になっており、ノブの凹んだ位置だと、何とか干渉しません。何だかなぁ。また、回転装置は1箇所、ジンバルは2箇所固定しないといけません。つまり、構図をとるためには、3箇所を固定しないといけないのです。これは、結構ややこしい。これって慣れるかなぁ?ジンバルと回転装置があれば、死角なくどの場所でも自由に構図が撮れると思っていましたが、意外にそうでもないようです。後日、じっくり検証してみますが。では、実際に星を撮ってみましょうかと思っていると、こんな夜中にお帰りの車がやって来ました。げっ、ま、悪いのは私の方ですが、何もこんな時間にお帰りにならなくても。と、根性が切れたアブ衛門は、テスト中断を決定致しました。
 
 高度方位調整装置 XY50とジンバル装置は、アストロトラックTT320Xには問題なく取り付けられています。しかし、ちょっと心配事がありまして、実際にテストしてみないといけないと思っています。
 
 さて、話がいつもの通り唐突に変わりますが、先ほど、SWATさんのHPを見ていたら、驚くべきことが書いてありました。
 
「先日のカメラショーで、TOASTさんが「GPSを使って極軸を合わせる!」という機能を発明して、特許を取ったという発表があったそうです。果たして、どれくらいの精度で極軸が合わせられるのか非常に興味が沸いてきますね。」と。
 ほんまかいな?本当だったら、すごいことですねぇ。しかし、この利用方法は、北極星が見えないところでその威力を発揮すると思うのです。例えば、ベランダとか。んー、でも、そんな場所ではGPSがうまく使えるのでしょうか?北極星が見えなくても極軸を合わせられる機材として、セレストロンの赤道儀があるのですが、これもどのくらいの精度でセッティングできるのでしょうか。また、ある人の話では、この赤道儀は精度が良くないらしいので・・・うーむ。
 GPSの話とは違うのですが、私はカシオのプロトレックという腕時計を使っています。ソーラー発電で電池の交換が不要ですし、電波時計なのでいつも正確な訳です・・・と思っていました。しかし、電波を受信するのには、開けた場所でないと駄目で、マンションの中では100%と言って良いほど受信しません。これって、どうなのかなぁ?
 
 写真は2001年8月に撮った、雲海と槍ヶ岳です。いつもながら文章とは全く関係なし。アホぢゃ。

貧相アブ衛門の嘆き11

 

2013年2月16日 触手が動く・・・

 こんばんみー。頭の腐りまくっているアブ衛門です。今日、協栄産業大阪店さんを訪れました。と言うのも、協栄産業さんのホームページに、「ビクセンのSXP赤道儀に、2013年2大彗星(パンスターズ彗星、アイソン彗星)が自動導入・自動追尾できるアップデータが公開されました!」と書いてあったからです。「むむむむ、いいんです。」
 私の持っている中型の赤道儀は、高橋のEM-200 Temma Jr.(初期型 コントロールボックスからでも操作できるタイプ)です。特に問題はないのですが、もうちょっと軽くて手軽な中型赤道儀も欲しいと考えていたのです。何回か書いていますように、同機は、24Vでしか駆動しないところや、月追尾モードがないことが、問題といっちゃあ、問題かも知れませんけどねぇ。
 SXPは、これまで一番のネックと考えていたモーターがパルスモーターになったり、(以前はDCモーター)スターブックテンというコントロールボックスにより、パソコンなしで自動導入できるようになった点も良いですね。P-PECは、電源を切ってもピリオディックエラー補正が維持できる機能ですが、これまたよさげです。月追尾モードもあってこれもよさげです。何せ、EM-200 Temma Jr.より軽いですしねぇ。
 しかし、問題は金ですねぇ。昨年も大散財していますしねぇ。おお、そうだ。今日貯まっていた宝くじを換金してもらいに行ったのですよ。なんやかんやで、封を開けていないものが60枚ありました。すああああああああす、1.800円だったよー。死んだ。ぐれた。てなことで、見ただけで帰ってきました。ちょっと欲しいよなぁ。同情するなら金おくれ。同情するなら若くてピチピで性格の良い娘をおくれ。ほな。

貧相アブ衛門の嘆き10

 

2013年2月15日 アルマゲドン

 昨日、日本時間の正午頃、ロシア中部のチェリャビンスク州に。直径10m重さ10トンの隕石が爆発、落下。衝撃波で割れたガラスで500人ほどが怪我をしたと言うこと。ドライブレコーダーと思いますが、動画が残っているのもすごいですねぇ。(その後、負傷者は1.000人超えに。たかだか窓ガラスが壊れただけぢゃーん。と思ってみたものの、精神的ショックもありますし、何せ、厳寒のロシアの話です。死ぬほど寒いことでしょう。)
 私が、子供の頃、小惑星トロが地球にぶつかる可能性があると聞かされ、ビックリしたものです。その後地球にぶつかると言われた有名な小惑星には、トータチスというものがありましたねぇ。
 地球の歴史を調べている学者によると、これまで、生物が絶滅する危機が何度かあったそうです。それでも、現在これほどの生き物がいるのは、奇跡かもしれません。余談ですが、ノーベル賞を受賞した、ある学者は、「計画的宇宙胞子説」を発表していました。地球上の生物のパターンを調べると、自然発生的に出来たものとは考えにくいのだそうです。そのため、彼らは、何者かが計画的にある種の生物を送り込んだのではないかと考えたのです。・・・・多分。
 少し前、TUTAYAから「遊星から物体Xファーストコンタクト」を借りて見ていました。この映画、1951年に最初に映画化され、その後1982年にもカート・ラッセル主演で映画化されています。ともに、話が結構変えてられていてリメイク版とは言えない内容となっています。この映画の怖いところは、エイリアンに次々に襲われることもさることながら、エイリアンに同化され、誰がまともな人なのか、誰がエイリアンなのか全く分からず、疑心暗鬼になっていくところです。
 老人ぼけの私は記憶があやふやですが、南極で「あるもの」を発見した隊員が、次々に原因不明で死んでいったと言った史実を元に作られたとか。何やら、得たいの知れないウィルスにでも感染したのでしょうか。
 写真は、2001年の獅子座流嵐の際の写真です。撮影時には、輻射点がまだ離れていたので、とにかく長い流星が多かったです。一緒にいたタチゲが、「おい、あれ。すごい。」と大声。「え、どこどこ?」と振り返って見ても、まだまだ流れていました。

貧相アブ衛門の嘆き9

 

2013年2月14日 すこぶる体調悪し。

 我が輩は犬である。名前はまだない。・・・おい、おい。体調が悪いのかと思ったら、頭も悪かった。いとをかし。
 昨晩は、ストレスもたまっていて、あまり寝ることが出来ませんでした。とっても、体調悪し。でも、意外にこんな時って眠気が襲ってこない。おかしいですねぇ。笑いましょう。
 
 ところで、上の写真は、以前持っていた、ロシアSTF社の18cmマクストーフカセグレン(ミラージュ7)と、ミードの25cmシュミットカセグレン(F6.3)のロンキーテストの写真です。こうやって見ると、ミードのものは結構良い光学系のように感じます。つーか、私は、ロンキーテストの見方を知りましぇん。見た目だけで言っております。おほほ。

貧相アブ衛門の嘆き8

 

2013年2月12日 何か怠慢すぎるなぁ。

 昨日、以前に買ったポタ赤、K-ASTEC GF50赤道儀をジッツォの三脚に取り付けてみました。高度方位調整装置 XY50やレボルビング装置 RR-110も取り付けたフル装備です。久しぶりに組み立ててみました。(それほどたいそうなものではにゃーい。)
 前にも書きましたが、私は、アストロトラックTT320Xに非常に満足しておりまして、ポタ赤は、ほぼこれ一本やりです。それなら、なぜ、なぜ、なーぜ?良い質問です。それは、ある国家機密に属する陰謀があったのです。ほにょにょ。
 昨年、K-ASTECの代表である川野さんが、協栄産業大阪店に来られていたことがありました。そこへ、私はのこのこやって来たのです。「こんにちわ。と言っても、お分かりではないでしょうねぇ。」と私が話しかけます。しばらく、きょとんとされていた川野さん。しかし、事情を説明すると、「あー、あー。」と。実は川野さんとは35年ぶりの再会だったのです。当時、大学生だった私は佐世保天文同好会に入れさせてもらっていたのです。そこに川野さんもおられた訳です。しばし、昔話に花が咲きました。それにしても、会社を辞められて独立されたとは、さっすがー。
 後日、協栄産業の責任者の方が、「ポタ赤評論家のアブ衛門さんなら、これも買わなくっちゃ。」みたいなことを言うのです。して、その陰謀にはまり、買ってしまったのです。あーあ、私は馬鹿でしょうか。多分、否、200%そうでしょうね。しかし、さすがは川野さん。協栄産業さんを介して「ここが、ああで、そこがそれで。」といちゃもんをつけると、すぐに対応をしてくれました。ちなみに、GF50は、高橋のスカイパトロールを元に改造されたポタ赤です。モーターもトルクのあるものに変えてあります。極軸望遠鏡は、ケンコー製のもので、外付けながらがっちりと固定してあります。また、高度方位調整装置 XY50は、小型ながら、がっしりとした微動付きの装置です。マンフロットのジュニアギアヘッド何ぞと比較したら、まるでガタがありません。更に、GF50本体にはジンバル装置とレボルビング装置 RR-110をつけていますので、あまりバランスを崩さず、自由にカメラの構図をとることが出来ます。
 しかし、心身ともボロボロの私は、この機材をまともにテストすることすらしてないのです。あ、ちょっとだけしたか?ちゃんとテストしたら、またその内容を書きますね。
 ポタ赤は、現在3台ありますよ。ちょっとした望遠レンズだけなら、こいつらで何とか撮影できるでしょうねぇ。でも、パンスターズ彗星は、これ以外にも、核をオートガイダーでガイドして撮影したいなぁ。となると、EM-200 Temma Jr.かNJP Temma2も持って行かないとねぇ。体力残っているかなぁ。ま、最後の力を振り絞って、美星町まで行ってみましょうかねぇ。

貧相アブ衛門の嘆き7

 

2013年2月11日 星空の園は・・・

 

 
 かつては、ものすごい星空の園だったところ・・・しかし、今ではもうその姿を消してしまったところ。今でも何とか強烈な星空が見えるところ・・・・
 
 私は、昭和33年生まれですので、結構なオジンです。従って、いろいろな場所で星空を見てきています。そこで、当時、すごかった場所をご案内しましょう。


 1:鳥取県の裏大山にある鏡ヶ成(かがみがなる)。
 標高930mの高原です。いつの頃だったか、服がすぐ汚れる黒土は、大型重機で掘り返され、代わりに汚れにくい土に入れ替えられました。また、その上に、芝も植えられ、まさに、高原というイメージに生まれ変わっています。キャンプ場も、現在は、オートキャンプ場がメインになっています。
 私が、大学1年の頃までは、街灯も少なく、それは、それは、すごい星空が見られました。低空でも全く星達が減光されず光っているのです。また、烏ヶ山という山があり、そのシルエットをバックに鋭く輝く星達は、実に印象的な光景でした。当時、神戸大学天文研をして、「恐怖心すら抱く異様な星空」とまで言わしめた、絶品の星空でした。1977年の7月には、ヌエの鳴き声が、遠くから、近くから夜中中聞こえて、神秘的と言うよりも、とっても怖かったです。
 しかし、現在は国民宿舎の光が煌々と、更に何ヶ所にも設置してある水銀灯が?煌々と・・・今では、かつての星空は見ることが出来ません。

1977年当時の鏡ヶ成はこんな風でした。

 2:鳥取県の大山(だいせん 標高1731m)
 ここは、中学とか高校生の団体も登ってくる、比較的登りやすい山です。しかし、我々の様に33kg程度のキスリングをかついで登るとかなりきつい登山になります。また、積雪時は、結構危険な山にもなります。独立峰なので、米子市などの町の光が入ってくるので、星空は期待したほどではないかもしれません。しかし、1979年に登った時は、ビックリしました。山頂では、蛍の大乱舞。また、沢の方に目を落とすと、蛍の光が作る無数の光の群れが、じわじわ上がっていました。あれは、すごかった。でも、今ではもう見られないのでは?山頂には山小屋がありますが、素泊まりが出来るだけの施設です。従って、シュラフや水、食料は持参して下さい。山小屋は、今ではそこそこ立派なものに変わっています。昔の山小屋の時は、冬場はすっぽり雪で埋まっていますので、煙突のような冬季専用の入り口から入りました。

大山は、火山なので崩落が激しいのです。(現在は見た目は全く活動していない火山です。)縦走は基本禁止になっています。


 
3:島根県の三瓶山(さんべさん)
 1980年の3月に訪れました。キャンプ場に入った時は、春を思わせるポカポカ陽気。その後、雨が降り出して、翌朝はとても冷たい雨になりました。雨がやんだので登山を開始。途中から、積雪が50cmほどありました。タチゲは体調が悪かったため「疲労凍死」の文字が頭に浮かんだそうです。目的の火口跡である室内に到着したのですが、目印の室内池が見当たりません。翌日明るくなってから見ると、池の大半が凍り、その上に雪が積もっていたので、夜間では分かるはずもありません。
 急に冬型の天気となって、目が覚めると銀世界と化していました。しかし、その後晴れ間が戻りました。もともと人が少ないところで、尚且つ火口跡にいるため、わずかな光害も完全にシャットアウトしてくれます。それは、ものすごい星空になりました。しかし、私は一人ではここへ二度と来たくはありません。何故なら、全くの無音の世界だったからです。耳の中には、「シーン」という音でもない音の様なそれが、響き渡っています。時折、落石の音が遠くから聞こえてきますが、その音ですら安心感をもたらすのです。一緒に来たタチゲに、意味もなく大声で話しかけます。音がないと言うことが、これほど恐怖だったとは。タチゲが写した写真には、うるさいほど星が写っていました。あんな、良い条件は当時でも滅多になかったのかもしれませんが、それはすごい星空でした。現在はどうなっているんでしょうねぇ。

とにかく寒かったですねぇ。氷点下10度以下になっていたのでは。食器に入れていた水が、あっと今に中までカチコチに凍っていましたからねぇ。写真はタチゲ。


4:奥上高地の徳沢(1.560m)
 1978年7月末から何度も来ていますが、ここは、今尚素晴らしい星空が見えます。徳沢園や、徳沢ロッジの光が少し気になりますが、それも深夜には消えてしまいます。長塀尾根と穂高連峰などの尾根の間に位置します。梓川が流れています。多少の光害も、この峰達が隠してくれるので、素晴らしい星空になっている可能性も高いです。
 こぐま座の5等星を基準に見え方をチェックしていますが、恐らくは7等星まで見えているのではないでしょうか。
 但し、梓川河畔意外に視界が聞くところがありません。梓川から発生する湿気も邪魔になる時もあります。また、晴れていても、小さなガスが次から次に移動してくることも多いのです。

明神岳と前穂高岳をバックに写真を撮ると実にはえますねぇ。


5:蝶ヶ岳山頂(2.677m)
 標高が高ければ、水蒸気や、下界の塵などの影響が少なくなってきます。しかし、問題のなのは、意外にも町の光がダイレクトに入ってくることです。そのため、雲海が発生してくれた方が、その町の明かりをカットして、星達がよく見えることになります。町の光のことを考えると、徳沢の星空の方が良いのかもしれません。それでも、条件が揃うと素晴らしい星空に会えます。何よりも、背景には名だたるアルプスの山々があるので、固定撮影でも様になる写真が撮れます。

8月でも朝方は5℃近く下がることがあります。強風が吹いていれば真冬並みに感じることもあります。(昨今は地球温暖化のためか、それほど寒く感じる日は少なくなりました。)


貧相アブ衛門の嘆き6

 

2013年2月10日 今回はホンマに嘆いています。

 
 えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。2月8日にこのホームページの「蝶ヶ岳讃歌」のデータを吹っ飛ばしちまっただよ。「えー、これをとりあえず複製しておいてだなぁ。それを元にデータを付け加えてだなぁ。・・・・あっ?あっ?ゲロゲロ。データが吹っ飛んだ。布団が吹っ飛んだ。いたまがあたい。頭痛も痛い。
 このデータを復活するために、どれほどの時間がかかったことでしょうか。つーか、文書だけは、アップロードしたものを、コピペして終わりなのです。しかし、書体、レイアウト、写真を復活しないといけなかったのです。これが、意外に時間がかかる作業でした。
 
 毎度のことながら、話がワープします。私め、大学3年の時だったと思いますが、中古の原チャリを買いました。理由は、撮影に行くのに楽ちんだからと言うものでした。ですから、当時は2ストが多い中、燃費が良くて静かな4ストのものを買いました。ゆっくり走るのが好きでしたが、平気で長距離を走っていました。大学のある佐世保から島根県の松江市までを何往復もしました。片道550kmほどあるのですが、丸二日間かけて走ります。冬は大変でした。九州を抜けると、よく雨になります。でも、金がないのでテントもない状態で野宿をします。海沿いに棒などをおいてある壁のない小屋を見つけ、シュラフに入って寝ようとしたのですが、寒くてとても寝られるものではありません。雨が横殴りになり、シュラフも濡れてきます。それから、翌日は、山越えになります。雨は雪に変わります。積雪の中バイクを走らせます。あれで、身体がおかしくなったんだよなぁ。
 その後、社会人になると、カワサキのLTDツインなる250ccのアメリカンを買いました。いかにも楽ちんと、憧れのバイクでしたが、これが違った。身体がシートに垂直に立つので、お尻に全体重がかかり痛いのです。また、リアタイヤが太くて扁平なので、コーナリングでよれるのです。しかも、2気筒と言うのは特徴のないエンジンでした。
 そんな時、日本に、「スーパークロス」がやって来たのです。バイク屋のお兄さんにそのビデオを見せてもらって、唖然、唖然。ただただ唖然。もともと、オフロードバイクは好きではありませんでした。しかし、これを契機にオフロードバイクにはまっていきます。初めは、ヤマハXT200、そして、写真のXT250T。その後、ホンダやスズキのオフロードバイクを乗り継ぎました。
 東京時代のクリスマスの日に、友人と2人でツーリングに行きました。奥多摩のノコギリ山林道です。帰ろうとしたすぐに、アイスバーンで吹っ飛び、左足首の太い骨を骨折し、くるぶしの表面が砕けてしまいました。その時は、骨折とは思っていませんでした。しかし、アイスバーンを滑っていった時、まるでスローモーションのようなコマ送りのような風景を見ましたよ。ほんの短い間に、いろいろなことを考えていました。その折れた足でバイクの乗り、自宅のあった板橋区まで帰りました。何と全治3ヶ月でした。でも、当時東京の仕事は多忙を極めていて、ギブスを巻いた翌日から松葉杖で営業に出ていたのです。
 そう言えば、その頃、箱根ターンパイクなどで「XL伝説」という話がありました。レーサーレプリカに乗ってバリバリにコーナーを攻めている奴がいたのです。すると、後ろから「タッタッタッタッ」と4スト単気筒エンジンの音がするのです。まさかと思っていると、彼をホンダのXL250という非力なオフロードバイクがあっという間に抜いていくのです。あちこちで同じ体験をした人がいました。実は、会社の後輩も知っていたのです。というより、本人を知っていたのです。しかし、その伝説は既に消えていました。彼は、事故って亡くなっていたのです。彼ほどの腕前の人が死ぬくらいだから、よほどどうしようもない状態だったのだろうと、後輩は言っていました。

貧相アブ衛門の嘆き5

 

2013年2月5日 これは、中国大陸東部の大気汚染の原因の一つとみられる「PM2.5」かも?

 花粉症がひどいざあます・・・何て思っていたら、どうも、これは、中国大陸東部の大気汚染の原因の一つとみられる「PM2.5」が原因かもね。かもね、かもね、そうかもねぇ。現在の先進国と言われている国も、昔は中国と同じようなことをやって来ていた訳ですよ。でもねぇ、前例がいくつもあるわけですから、チイとは、参考にして欲しいものです。中国だけの問題ぢゃなくなっていますからねぇ。
 
 さて、新しいパソコンになってから、プリンターがおかしいと書いておりましたよねぇ。確かに、A4サイズ専用のエプソンPX-G930は、紙の端っこの一部だけに変な線が入って直りません。何度もプリンターヘッドをクリーニングして、一時は良くなっていたんですがねぇ。てなことで、A3ノビ対応のプリンター、PX-5600の再起動をしつこくチャレンジしてみました。しかし、どうやっても、メインのMac Proだと、光沢用紙の選択画面が出てこないのです。一番良さそうな設定で印刷してみても、変な印刷に。これは、タタリか?うーむ、マンダム。(また、出たよ。)あ、もしかしたら・・・そうなのです。インクを交換した時に、違うブラックインクを装着していたのです。アホか?どうしようもない・・・しああああし、それでも、光沢紙の選択画面が出ません。泣けるのぉ。
 仕方なく、Mac Book Proから印刷することに。これなら、ちゃんと動いてた2つ前のスノーレパードというOSですからねぇ。あ、あ、あ?さっきまで出ていた光沢紙の選択画面が突然消えてしまったよーん。これは、タタリか?八つ墓のタタリか?どないしたらエエのでしょうか。しかし、いろいろいじくりまくっていたら、何とか設定が出ました。えがったねぇ。
 よし、これと同じことをPX-5600でもやってみよっと。しかし、出来ない、出来ない。がおおおお。しばし、時間が流れけり。あ、英語版のソフトがあるな。これで試してみるか?お、お、お、直ったがや。ばんざーい、ばんざーい。かくして、PX-5600は復活しました。歴史的な一日になりました。「朕深く、世界の大勢と・・・耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」誰が玉音放送ぢゃあ。しかし、プリンタードライバーを入れたら、普通ちゃんと印刷出来るようにセッティングしてくれるでしょう。これは、エプソンさんが悪いのか、アップルさんが悪いのか?えーい、喧嘩両成敗???
 
 さて、話が唐突に変わります。私はUFOを信じています。「あなた、UFO信じますか?私、信じます。」
 私が初めて妙な光体を見たのは、中学生2年の終わりのことだったと思います。皆で、田んぼだらけの場所で、ガイド撮影にチャレンジしていたのです。そろそろ帰ろうとしていた時のことです。「あ、星が動いちょうでぇ。」と一人が大声。私は、友人の双眼鏡を強奪して見ました。その光体は、だんだん暗く小さくなっていきました。と、突然、クルリと回転したかと思うとまばゆいばかりに輝き始めたのです。肉眼で見ていた他の友人は、口々に「木の葉のように揺れながら飛んでいた。」と言っていました。
 一番考えられるのは、ヘリコプーターなのですが、あの時間帯にヘリが飛ぶでしょうか。また、形がある程度分かるほど近いのに、全くの無音でした。それは、おかしい。なら、笑えよ。
 
 また、鳥取県の大山(だいせん)は、妙な飛行物体がよく目撃されます。高校一年の時に、同じ天文班の友人が、葉巻型の飛行物体を見ています。ある程度天文に知識がある奴ですから、飛行船と間違えることはないかと・・・それに、天文班の先輩が、夜中にジクザクに飛行する物体を見ています。
 私も、ここでは妙な物体を見ています。確か、1978年に後輩とペルセウス流星群を観測していた時のことだったともいます。ふと気がつくと、明るい星が輝いています。あれぇ、あんなところにあんな星があったかなぁ?と思っていました。すると、その星が突然瞬き始めたのです。あれぇ?雲でもかかったかなぁと思いました。と、その星はそのまま消えてしまったのです。高度もある程度あったので、街灯とか、懐中電灯の可能性はまずありません。気になって星図を見たのですが、そんな星はなかったのです。あれは、いったい何だったのでしょうか。
 
 私、ちょっとUFOにはうるさいんです。おほほ。あの有名なロズウェル事件ですが、何か嘘だったぴょーんみたいな感じで消えていきましたねぇ。でも、そのきっかけになった事件?を知っていますか?当時の宇宙人を解剖した動画を、突然公開したというのがありましたでしょう。どうもあれが原因ですねぇ。結構金をかけて嘘の動画を作ったと思うのです。時代考証を考えて、当時の時計やすべて道具を使っています。また、宇宙人の人形?を作るのにもそこそこの大金がかかっています。アメリカ政府か、はたまた、金を持っているUFOの反対勢力が、あからさまに、「ほれ、よく見ると嘘って分かるでしょう。だから、ロズウェル事件なんて、嘘なんですよ。」って、言っているように感じます。
 でも、UFOは、宇宙からやって来ただけとは限りません。第二次世界大戦中には、ナチスはベル型円盤を作っておりました。戦後、A級戦犯として処刑されてもおかしくない、相当な数のドイツの科学者を、アメリカ政府は、アメリカに住まわせたのです。勿論、彼らの技術を盗もうとしたのです。
 アメリカでも、地球製UFOが人間に危害を加えた事件も起こっています。キャッシュとランドラム事件です。
 
 あ、眠たくなってきたので、続きは、次の機会に。おほほ。ちなみに、UFOは、Shadeという3Dソフトで作成しました。

貧相アブ衛門の嘆き4

 

2013年2月4日 花粉症、ひどし。

 私は、花粉症持ちであります。うーむ、マンダム。そこで、レーザー治療をしたのですが、この火傷が治っていないのか、はたまた、花粉症がひどいのか、今日は鼻水チョチョシビリ・アビディでした。(フランスの格闘家、シリル・アビティとかけたんですが、よい子の皆にはチト難しかったなぁ?)
 
 話が変わるのですが、昨年は大出費の年でした。クーラーが壊れる。洗濯機が壊れる。メインパソコンが壊れる。下取りに出したノートパソコンも壊れている。カラーレーザープリンターも2台も壊れた。してからに、スワロビジョンというアホほど高い双眼鏡を買う。GF50というポタ赤を新たに買う。スマフォも買い換える。スタッドレスタイヤも買い換える・・・・何か、アホほど金を使ってしまったような気がします。私は、壊れている。アブ衛門財政破綻。
 その、パソコンの話です。私は、1993年からMacをメインで使っています。アホほどMacのソフトに投資したので、今更、メインパソコンをウィンドウズには変えられないのです。(天体用にはウィンドウズノートを2台使っていますがけどねぇ。だって、天体用のソフトは殆どウィンドウズ専用ですからねぇ。)それなのに、昨年の後半、メインパソコンのMac Proがめげた。突然、沈黙。おい、どうした。立て、立つんだ、ジョー。いろいろいじくり回したのですが、結局直らず、アップルストアに修理に出しました。しかし、返事がなかなか返ってこないのです。Mac Proは2013年に新型が出るとの噂を聞いていたので、それまで買い換えは絶対にしないぞぉって思っていました。しかああああああああああし、返事がああああ。ちなみに、その修理に出したMac Proは、特殊なメモリを使っているので、メモリの価格が死ぬほど高いのです。増設したのですが、結局おかしくなって4GBしか認識しなくなっていました。おい、結構ヘビーなソフトを使っているのに、4GBって。あーた、F1マシーンに、原チャリのエンジンを積んでいるようなものぢゃないか。ほにょにょにょ。
 で、完璧に壊れているアブ衛門は、2012年の12月、新しいMac Proを買っちまいました。(メモリも12GBになりました。)と、アップルストアから電話が。「直りました。ええ、メモリが一部壊れていまして、それをとりはずしたら、ちゃんと動きました。修理代ですか?メモリを外しただけですから、タダですよ、はい。」ぬわんだってぇぇぇぇぇ!ジジイはぐれた。酒を飲んぢゃる。いかがわしいお店にも行ってやる。屁ぇこいたる。ぐおおおおお。
 しかも、新しいMac Proは、OSが2つも新しいのです。で、動かないソフトやら、動かない周辺機器も出現。ぐぉぉぉぉぉ!特にひどかったのは、同じアップル社が作ったビデオ編集ソフト、ファイナルカットスタジオが動かなくなったのです。おい、おい、アップルさんよ、おめぇんところが作ったソフトだろうが。なめとんのか?で、仕方なく、ファイナルカットプロX(テン)を買う羽目に。しかし、このバージョン、評判がよろしくない。「ユーザーをなめとんのか?」と非難ごうごうです。また、DVDオーサリングソフトは全く動かなくなりました。クソ、野グソしちゃるけんねぇ。
 更に、エプソンのプリンターの設定がおかしくなりました。それまで、かなりきれいに印刷できていたのに、その設定すらパソコン上に出てきません。このOSに合うプリンタードライバーを入れたのに、綺麗に印刷が出来ません。
 アップル社は、タブレットやiPhoneなどが売れまくっているので、本来のパソコンの方は手を抜いているのでしょうか?スティーブ・ジョブズのとっつぁんが生きていたら、嘆いていたのではないでしょうか。
 写真は、大学時代のアブ衛門。お兄さん、若いわねぇ。そらあ、当時は若いですよ。ちなみに、バイクは友人のもの。スズキGS400。初めてのDOHCのマシーンだったのかなぁ。走る座布団と言われた、ホンダホークⅡと人気を二分していました。記憶が曖昧みー。

貧相アブ衛門の嘆き3

 

2013年2月3日 体罰をどう思うか。

大学時代のアブ衛門。少林寺拳法総本山にて。まだ茶帯の頃ですねぇ。

 既に亡くなっている親父ですが、それはひどいDVを受けました。悲しいことに、亡くなる直前まで、迷惑をかけまくって逝きました。「ようやく、死んでくれたか。」と言うのが本音でした。恐ろしいことに、私は、そのオヤジのDNAが入っています。時折、「あっ、これって、オヤジと同じことをしているぢゃん。」と反省することも多いです。武道に興味を持ったのは、自分に自信を持ちたかったのと、オヤジを懲らしめてやろうという気持ちがあったのかも知れません。
 
 昨今、いじめや体罰が問題になっています。
 私の若い頃は、体罰などは当たり前の時代でした。しかし、社会人になってからも、ひどいパワハラを受け、自殺すら考えたこともあります。ですから、自殺する人の思考はある程度理解できます。後で考えたら、どうしてそんなことを考えたのだろうかと思うのでしょうが、その時は、負の連鎖でまともな思考が出来なくなるのです。
 しかし、バッシングを受けるのを覚悟で言うのなら、ある程度の体罰?は必要だと思います。高校時代の話ですが、優しいけれど事なかれ主義の先生は全く印象に残っていません。むしろ、怖くて、よく棒で叩かれていた先生の方が好きでした。愛があって叱ってくれる先生。叱っても分からない時は手を出してまでも教育してくれる先生の方が好きでした。単に暴力だけ振るうのは勿論いけません。ボーダラインがちゃんとあり、しかも、愛情があるのなら、叱ったり、ある時は殴ってくれる人は必要な気がします。残念ながら、口で言っても分からない人も多いですし、打たれることで、はっと気がつくことも多くあると思います。但し、その場合は、ちゃんとフォローをしなければなりません。理解のない暴力はまさに暴力でしかないのですから。
 子供の頃、殴り合いの喧嘩をしたことがある人ならお分かりでしょうが、殴られるのは、とても痛くて、とても嫌なことです。ですが、その経験があるからこそ、私は人に暴力を振るうことはありません。ま、大学時代に少林寺拳法をやっていたので、痛い経験は結構ありましたしねぇ。しかし、残念ながら口で言っても分からない人も随分多くなったように感じます。最近の子供は・・・等と言いますが、最近の大人は・・・というケースも猛烈に増えてきています。ひどい子供がいて、「親の顔を見てみたい。」と思って親を見てみると、「ああ、この親では仕方がない。よく、この子供はこの程度で収まったものだ。」と思うことも結構あります。
 暴力と愛。その境界線はとても難しいものです。しかし、最近は何にでも規制が厳しくなってきました。そんなことまで、法律で決めたりすることはないだろうと思うのでしょうが、そうでもしないとやっていけない時代になってきたのかもしれません。何が良くて何が悪いのか全く分からなくなってきました。でも、何にでも過敏に反応しないことです。自分でじっくり考えて行動に移すべきです。
 
 ふと、さだまさしの、「不良少女白書」という歌を思い出します。「何故 嫌いですか 何故 好きですか 左ですか 右ですか ああ聴こえない ああ届かない 自分の夢がわからない ああ」また、亡くなった河島 英五氏の「てんびんばかり」も思い出します。「てんびんばかり」を初めて聴いた時、しばらく声が出ませんでした。何が正しいのでしょうか、何が悪で、何が善なのでしょうか。
 
 難しすぎる問題なので、結局支離滅裂になってしまいました。

貧相アブ衛門の嘆き2

2013年2月3日 どうでもいい話

 

 どうでもいい話ですが、中学生の頃、妙な夢を見ました。裏庭に透き通るように白くて可愛い妖精が現れたのです。彼女は、私に何かを言おうとしています。「えっ?何?」と思っていると、目が覚めてしまいました。その後、どんなに望んでも、同じ夢を見ることは二度とありませんでした。彼女が何を言おうとしていたのか、ずっと気になっていました。今になって、恐らくは、こうであろうとことは、何となく分かってきました。それは、私の考え方に対しての忠告だったのではないかと・・・・
 
 実は、高校時代、女性不信みたいな状態に陥っていました。
 
 中学生の時、はしゃいでいて、ついつい下の階にある他のクラスの廊下まで突入しました。そこで、ビックリするほど魅力的な女性に会いました。「わっ、こんなすごい娘がいたとは知らんかったよ。」一瞬時が止まったのかと思うほど心が震えました。後で話を聞くと、彼女は頭がとても良く、また人の嫌がることもすすんでやる子でした。何とか一言だけでもしゃべれないかと思っていました。でも、そんな機会もなく・・・
 でも、そんなある日、一緒に鉄棒で遊んでいた友人が、落下して鎖骨を折ってしまったのです。そこへある先生が、「運動できないのなら、うちのクラブに入ってみない?」と。友人は「アブ衛門が一緒なら良いです。」と返事をしました。そんな訳の分からない経緯でそのクラブに入ることになったのです。
 驚いたことに、そこには、その彼女もいたのです。まさに天にも昇る気分でした。しかし・・・・遅刻はしてくるわ、やることもしないわで、私の頭は混乱の極致です。う、うそっ?そんな人だったのぉ?それとも、このクラブの時だけなの?
 高校も同じ高校に入りました。しかし、あの魅力的だった彼女は、何か険のある様相に変わっていました。しかも、勉強が出来ない人を馬鹿にするような発言も。この人が、中学生の頃、憧れに憧れていた女性と同じ人なのだろうか??そして、遠足の日に決定的な出来事が起こりました。もしかしたら、それは、たわいのないことだったのかもしれません。しかし、当時の僕には、彼女のその一言が許せなかった。それ以降、女性不信のような状態になり、人間の女性というより、頭の中で描いた理想の女性しか好きになることが出来なくなっていたのです。
 
 そんな落胆の日々を送っていた頃、片思いの女性が出来ました。Tさんです。特別美人と言うほどでもなかったのですが、とても好きになりました。何故かとてもひかれる人でした。また、色白で髪の毛も栗毛色でした。(当時から色白の人が好きだったんですよねぇ。)
 高校3年の時です。家では受験勉強ははかどらないだろうと、高校の図書館に来ていました。その日はとても寒く、雪が降りしきっていました。ふと、気がつくとTさんが今そこにいない。それがとても寂しく思えたのです。その時、彼女に本当に恋していることに気がつきました。しかし、当時彼女は一つ上の先輩と付き合っていたようです。その先輩は、死ぬほど頭が良かった。何でも東大を滑り止めに受験していたというのですから。とてもかなう相手ではありません。でも、彼女のことを忘れなれなかったですねぇ。そんな私でも、彼女の手を握ったことがありますよ。それは、「私の手って、結構冷たいのよ。」って言うので、どーれ、と手を握ったのです。おい、おい、オヤジやんけ?彼女の使っていたシャンプーやリンスの香りが今でも忘れられません。(人間の記憶というものは、匂いと関連づけると強烈に脳にやきつけけられるのだそうです。これ、本当。)また、あるバレンタインデーに、彼女とその友達が小さな義理チョコをくれました。食べるのが惜しくて随分長い間そのままにして眺めていました。食べてからも、そのカラをずっととっておいていました。
 
 しかし、当時の私は受験生。彼女を忘れようと考えました。そんな時でした。友人が「あの後輩の女の子、すっごく可愛いだろう。」と。確かに、すごく色白でまるでお人形さんのような女性でした。その後輩の子は、あの夢の中の、妖精にイメージがとても似ていました。高嶺の華と言われている「コマクサ」と合成してみました。写真はそんな妄想の世界です。あ、危ないアブ衛門。とにかく当時から色白の女性が好きだったようで・・・どうでも、良いが憧れていた女性が何人も登場して、読んでくれている人には、誰が誰だか分からなくなっていることでしょうねぇ。
 
 とにかく、当時はいつも誰かに恋をしていた時代でした。
 
 ちなみに、島根県には、こういったとても色白の人種?が結構いました。知らない人が見たら、「おいおい、高校生なのに髪の毛を茶色の染めているよ。」って思うほどの・・・・今では、髪の毛を染めるのは当たり前ですけどねぇ。

貧相アブ衛門の嘆き1

 
 

2013年2月3日 何じゃ、こりゃあああああ。喉ちんこ丸見え。

いんやー、ホームページ作成は、アホな私には分からんことだらけ。泣けるのぉ。どうでも良い話ですが、2013年2月2日に花粉症治療のため、レーザーで鼻の粘膜を焼いてもらいました。本日2月3日は、変な鼻汁が出まくっています。粘膜を焼くわけですから当たり前の話です。