貧相アブ衛門の嘆き54

 

2013年6月29日 遅ればせながら


 遅ればせながら・・・2013年6月25日、サザンオールスターズがデビュー35周年を迎えることを機として活動再開を発表しました。おめでとうございます。思えば、サザンオールスターズがデビューしたのが、初めての蝶ヶ岳登山を行った1978年のこと。ああ、年とる訳だよー。エーン。
 話が飛びますが、明日は元気が残っていれば、車の免許更新に行ってくるべぇ。
 
 ちなみに、昔の登山写真を、プリントした物からフラットベッドスキャナーで取り込んでおきました。劣化や退色がが限界に近づいていましたからねぇ。この登山は、学生時代最後の登山でした。対象の山はやはり鳥取県の大山でした。この登山の前の日には、目も開けられないほどの、猛吹雪に見舞われました。テントを張る時も、みるみるうちに雪が積もってきました。てなことで、積雪は多分3m越えではなかったでしょうか。登山をする朝、登山口から大山を見ると、日に照らされて山肌がナメナメと光っておりました。つまり、登山道が凍っている訳です。実際には、表面が薄く凍っているだけでしたが、ちとびびりましたねぇ。

おお、この写真は1981年3月、学生時代最後の登山のもの。最後はやっぱり鳥取県の大山を選んでいましたねぇ。諸々の登山写真の項目に、何枚か写真をアップしておきました。

貧相アブ衛門の嘆き53

 

2013年6月23日 諸々

 
 昨日、富士山が三保松原を含めて世界文化遺産に登録されました。まずは、おめでとうございます。ロビー活動が功を奏したようですねぇ。
 実は、私は富士山に一度も登ったことがありません。ちょっと偏見があるのかも知れません。ゴミが多かったり、人が多すぎたり、そう言ったイメージが強いからです。世界文化遺産に登録されること自体は喜ばしいことなのですが、負の遺産も増えることを心配しています。例えば、マナーを全く守らない登山客が増えるとか。また、無理な登山をする初心者や、更にはベテラン登山者も増えるのではと言ったことを危惧しています。(なことを書いていますが、私も今から思えば今までの登山中、決して褒められないことをやっております。)
 
 さて、話がワープしますが、「宇宙戦艦ヤマト2199」は前作とは内容が違ったストーリーも増えてきています。およよ?また、一番の問題は、「森 雪」の顔が変わってしまったことですねぇ。昔の彼女に憧れていた私としてはちょっとショックです。高校時代、好きだったと言うよりも、高嶺の花の女性として憧れていた人が、初代?「森 雪」のイメージに近かったこともあります。ともあれ、このアニメが復活して良かったと思います。
 
 昨日、書いたビクセンのSXP赤道儀の強度問題ですが、その後、まだ検証出来ていません。クランプ問題は、(クランプを締めつける最後の方で、望遠鏡が動いてしまう。)どうやら、赤緯、赤経の両方であるように感じています。後で、モードラで位置を修正すれば良いと言ったらそれまででの話ですが。
 一方、高橋製作所のEM-200赤道儀の優秀さを改めて認識した状況です。しかし、私の持っているEM-200は初期型であります。今から二十数年前に買った物ではないでしょうか。(EM-200B型ですらありません。)その後、Temma Jrに改造してもらっていますので、中身は、初期型より遙かに優秀な物になっているはずです。しかし、よく見ると、表面上の経年劣化は無視できなくなってきております。私の場合、戸外に放置したままにすることはないので、もしかしたら、まだ程度は良いのかも知れませんが。
 ふと、ネットで調べてみますと、現行型のEM-200 Temma2Mは定価が50万円を超えています。実際には、三脚ないしは、ピラーなども必要ですし、専用のオートガイダーケーブルも必要です。ああ、そう、そう、マッチプレートも要りますねぇ。なんやかんやで、安い軽自動車が買えるような価格になってしまいます。考えてみると、天体写真って、どこかで止めないと結構金がかかりますねぇ。(ある程度のところで、満足するとか、その機材を100%使いこなす努力をすれば、そこまで出費はしないのかも知れませんが。)

写真は、2005年3月に撮った、鳥取県の名峰「大山(だいせん)」。他の角度から見ると、まさに富士山のような山容をしておりますので、伯耆富士とも呼ばれています。

貧相アブ衛門の嘆き52

 

2013年6月22日 ショックー!

 
 ショックー!と言っても、21日の朝、小型ヨットで太平洋横断中のニュースキャスターの辛坊治郎氏と全盲のセーラー岩本光弘氏が、ヨット内に浸水したことで、奇跡的に?救助されたということではにゃーい。
 実は、ビクセンのSXP赤道儀のことなのです。台風が通過して、とりあえず晴れているので、セッティングしてみたのです。乗せる望遠鏡はスカイウォッチャーの18cmマクカセ。と、ふと望遠鏡ごと揺すってみたのです。「あ、何ぢゃ、こりゃあああああ!」(喉ちんこ丸見え)何と、望遠鏡がガタガタ揺れるのです。おろろ。
 これって、ギアの遊びであって問題なかったりして?・・・などと思ってはみるが結構ショックだじょー。そこで、高橋のEM-200 Temma Jrを出してきて、乗せ替えてみました。おお、これはびくともせんぞぉ。いかに高橋の赤道儀が優秀と言うことか。はたまた、単に私の工夫が足りないのか。まだ、結論を出すのは早いかも。
 
 余談ですが、ようやく、DKF21AU618・AS(イメージングソース・天文仕様セット)のソフトをパソコンにインストールしてみました。かぁー、遅すぎるわー。
 
 と、時間は流れ、とりあえず月を撮ってみました。満月近くなると、この望遠鏡では画面内に収まりません。およよ。DKF21AU618・AS(イメージングソース・天文仕様セット)も、ちろっと試してみました。しかし、画角が狭いので、極軸が合っていないとどんどん動きますなぁ。ありゃりゃりゃ、雲が出てきました。ジ・エンドでおます。また、しばらくは梅雨空みたいですねぇ。
 まあ、ともあれ、今日は久しぶりに土星も見ることが出来ました。結構シャープに見えるなぁ。
 

スカイウォッチャーの18cmマクカセの補正版でおます。

貧相アブ衛門の嘆き51

 

2013年6月15日 イライラの極致!

 
 久しぶりに月の撮影をしました。仕事も結構残っているんだけどなぁ。
 しかし、間があいたこともあって、手際が悪すぎる。暑いので、集中力がまるでない。がおー、がおー!最初に撮った写真は、何かとってもひどい。どうしてだろう?そこで、セッティングをし直して写しました。今度はまずまずだなぁ。しかし、拡大撮影の際は、ピントノブを回ると、像がグラグラ揺れて、そりゃーもう大変。これは、望遠鏡の強度の問題か?赤道儀の問題か?以前、MT-160に、国際光器で購入した電動モーターフォーカーサーをつけたことがある。少しは良かったが、思った程の成果が上がらなかった。多分、私がアホだからだろう。うむ、うむ。自覚症状がまだあるわい。 
 
 18cmマクストーフカセグレンで見る月は、ものすごいイメージ。月面の微妙な色の違いも分かります。月って、こんなにすごい対象物だったんだ。
 それにしても、アポロ計画は何故突然中断されたのだろうか?本当に、危険極まりないバンアレン帯を通過して、片道384.400kmの距離を往復したのだろうか?NASAに勤めている方、誰でも良いですから、内緒で教えてくでぇー。(誰が教えるか?)

 
写真は18cmマクストーフカセグレンの直接焦点撮影からトリミングをした物です。眼視のイメージに近いようにも思いますが。

貧相アブ衛門の嘆き50

 

2013年6月15日 続けてのアップ

 
 月の写真を少し追加アップしました。と言っても、最近撮ったものではありません。
 
 振り返って見ると「スカイウォッチャーBKMAK180」なる口径18cmグレゴリー式マクストーフカセグレンで撮った月が、意外にシャープなのでビックリしました。と言っても、ファーストランの時が異常にシャープだったのです。マクストーフカセグレンは、メニスカス形状の補正版のおかげでコントラストも高く、周辺までそこそこ良像を結びます。
 
 一方、シュミットカセグレンは、補正版が平坦に近いので乱反射によりコントラストが悪い上、像の平坦性が悪いのです。しかし、C11は口径が28cmもありますので、その光量や分解能も高いのです。
 
 様々な条件を高度に満たしているのが、高橋製作所のTOA130Sです。像の平坦性もあり、コントラストも高い。しかも、この上なくシャープ。問題点と言えば、上記の機材より口径が小さいことです。
 
 機材の選択には悩みますねぇ。それぞれにメリットとデメリットがあります。ま、まずは、その機材を使いこなすことでしょうか。
 
 惑星もしかりですが、最近では月の撮影にも、小型CCDカメラなどで動画を撮り、加工する方法が普及しています。撮った動画をRegiStax 6などのソフトでスタック(コンポジットととも言う)して、ウェーブレットフィルターをかけることで信じられないくらいすごい写真になります。例えば、静止画を数千枚の写真を重ね合わせた後に、シャープ処理をすることになる訳ですから、それは肉眼で見たイメージ以上に高解像度の写真が出来上がるわけです。しかし、月は画像が大きいので、部分部分を撮って処理をしてうえに、それをモザイク加工して一枚の写真にしなければなりません。ですから、撮った後の画像処理に大変な時間がかかることになります。
 
 その昔、パソコンで画像処理する方法が紹介されていました。当時は、ほぼフィルムだけでしたから、撮った写真をまずスキャンする必要性がありました。そのためには、性能の良いフィルムスキャナーを買わなければなりませんでした。また、当然パソコンも必要でした。私が、高いフォトショップを買ったのも実は天体写真の画像処理をしたかったからです。(Ver2.5の時に買ったのかなぁ?)
 

でも、今の私の月撮影はデジイチによる一発撮りまでが殆どです。おほほ。写真は18cmマクストーフカセグレンによるもの。

貧相アブ衛門の嘆き50

 

2013年6月15日 久しぶりの雨

 
 5月末、早々に梅雨入りしたのに、殆ど雨が降っておりませんでした。しかし、今日は本当に久しぶりの雨。休みの日の雨。でも、ホッとしますねぇ。
 

まるで梅雨末期?の様な天気図。
 
 どうでも良いことですが、自家用車の任意保険の更新案内が来ていないのです。これは、やばすぎると思っていたら、何と来年分まで自動引き落としになっていました。えがった、えがった。しかし、良くないのは、このHPを作っているソフト関連の引き落としがされていないような・・・・以前、ちゃんとカード決済の手続きをしたぞぉ。

貧相アブ衛門の嘆き49

 

2013年6月12日 ガビーン!新しいMac Proにショックー!

 
 ガビーン!ちょんわ、ちょんわ、くぇっ、くぇっ!役者やのぉー。(これが分かる人は、チト古い。)
 アップルのサイトを見ていたら、WWDC2013で、アップルの新製品の発表がされていました。何と、噂の新型Mac Pro 2013が3D?で載っていたのです。「何ぢゃ、こりゃああああああ!」これがパソコンかよ?オーマイガァー!にゃんと黒い円筒形のデスクトップパソコンです。
 
 現在のMac Proは、アップルのパソコンの中で一番旧態然としたものです。USBも2のままだし。サンダーボルトも採用されていないし。正直、Mac Proユーザーからは、「舐めとんのかー!」と怒りの声があちこちと。(私もその一人ですけど。)
 ん?私は英語がよく分かりませんし、疲れている状態では読む元気もありませんが、やっぱ光学ディスク(DVDなど)が削除されているような・・・これって、困るんですけどねぇ。必要なら自分で買えってことなのでしょう。(違っていたら、すんまそん。)
 
http://www.apple.com/mac-pro/
 
 浪費大魔王と化した、アブ衛門にはもうジェニが残っていません。後は、宝くじが当たることを祈るだけです。しかしなー、仮に買えたとしても、また動かなくなるソフトや周辺機器が出てくるんでしょうねぇ。ちなみに、価格はアホほど高くなりそうです。ある人が、採用しているパーツを一つずつ計算してみたところ、50万円以上になるとか。また、アメリカのサイトを見ると、もっと高いような記事も。
 

もう、ブルース・リーにヌンチャクで攻撃されたくらい衝撃のMac Pro 2013でした。
 
 さて、今日は台風三号さんが東海沖でチンタラしておりまして、ここ大阪ではすんごい透明度の青空が広がりました。日本海側ではフェーン現象が起こり、35℃超えのところもありました。梅雨入りしてから殆ど雨が降っていないし、この夏はとってもやばいかも。

貧相アブ衛門の嘆き48 

 

2013年6月11日 コンタクトレンズのお話

 
 コンタクトレンズは当たり前に使われている視力矯正の医療機器です。今では高度管理医療機器のクラスⅢとなり、心臓ペースメーカーと同じ扱いになりました。いい加減な取り扱いをしているとそれほど危険性があると言うことです。
 最初は、強角膜レンズと言って、黒目も白目を大きく覆うものでした。その後、PMMAというアクリル樹脂の角膜より小さいレンズが登場します。更には、材質に酸素透過性のあるものが登場して安全性が上がってきました。でも、これはハードレンズという部類のレンズ。慣れるまでコロコロと異物感がひどかったのです。
 ソフトレンズは1960年に、当時のチェコスロバキアの科学者によって発明されました。HEMAという材質で含水率もあまり高くありませんでした。しかし、合理性の高い?アメリカ人には大受けでした。(アメリカ人の多くは、ゴロゴロするものを何故目に入れなければならないんだと思っていましたから。多分。)
 コンタクトレンズの怖いところは、長い間酸素不足になると、角膜内皮が死んでしまい、水疱性角膜炎になる可能性があることです。こうなると大変です。
 角膜内皮は再生しません。一度欠落すると、周りの細胞が形を変えて補うのです。しかし、それにも限界が・・・(角膜内皮の状態を調べるには、一部の眼科に置いてある、スペキュラーマイクロスコープなる装置が必要です。)
 また、ソフトコンタクトレンズは柔らかいので、怪我をしても包帯すると痛みが軽減するように、自覚症状がなかなか現れないことがあります。
 しかし、今では、ハイドロゲルレンズなるものも出てきています。これまでのソフトレンズは含水率を上げることで、その水に溶けて透過する酸素量が重要でした。しかし、ハイドロゲルレンズはレンズ材質自体が酸素を沢山通すのです。
 
 アブ衛門は、何年か前は、このハイドロゲルレンズを使っていました。それまで、ハードレンズはいくら頑張っても異物感が消えなかったので普通のソフトレンズを使い続けてきましたが、ドライアイ気味になってきたので、ハイドロゲルレンズしか道は残っていなかったのです。しかし、老眼となり、コンタクトレンズは使いにくい物になりました。最近では遠近両用のコンタクトレンズも出てきましたが、アブ衛門には合いませんでした。あーあ、年をとってくると何かと不便ぢゃのぉー。
 
 また、視力矯正の手術も割とポピュラーとなってきています。LASIK(レーシック)は、プロゴルファーのタイガー・ウッズを初めプロスポーツ選手が沢山しています。まず、角膜の表面をまるで小さなカンナのような器具で、皮一枚残す感じでスッパっと切ります。(この器具、当初は定価で800万円もしました。)そこへ、エキシマレーザーを照射して、角膜の曲率を正視の状態になるように、吹っ飛ばします。後は、残った角膜の皮を戻せばOKです。これですと、あまり痛みもあまりありませんし、短期間で復帰できるのです。しかし、最初の頃は、いろいろトラブルもあったようです。いまだ、解決されていない問題点もありますし。
 
 では、アブ衛門はLASIKをするかって?しないでしょうねぇ。老眼になりましたので、不便ですしねぇ。
 
 昔、桐生天文同好会に、Sさんというとんもない視力の人がいたことを思い出しました。分解能も半端なくすごいのですが、とても暗い星を見ることが出来た人です。普通の人なら6等星が限界なのですが、確か、最高10等星の星を見ることができていたような・・・また、砂漠の民の視力のすごさも有名です。日本人なら誰一人分からない、遙か遠くを歩いているラクダを確認することが出来たという記事を思い出します。(藤井旭氏の本です。)
 

おーっと、これまた文面に関係ない写真だ。多分高校2年の時のものだよねぇ。

貧相アブ衛門の嘆き47

 

2013年6月7日 李 振藩を思う。

 
 「李 振藩」と書いても、何ぢゃ、そりゃあ?と思われる方が殆どでしょうねぇ。発音は「リ・ジュンファン」となるのでしょうか?そして、香港での芸名は李 小龍(リ シャオルン)でした。ま、これでも分からない方が殆どでしょうねぇ。では、ブルー・スリーと言えば・・・こうなると殆どの方が分かりますねぇ。1973年公開の「燃えよドラゴン」で一大カンフーブームを起こした人です。(北京語と広東語では発音が違います。一方がカンフーで、もう一方がクゥンフーとなるようです。漢字で書くと功夫となります。ちとウロ覚え。)
 映画を見た少年は、誰もが「ブルー・スリー」になっていました。「あちゃー!」と奇声を発し、お手製のヌンチャクを回していました。
 
 実は、当初、私はブルース・リーのことを知らず、当時流行っていた「仮面ライダーVスリー」のことを間違えて言っているのだと思っていました。アホかいな。
 「燃えよドラゴン」の予告編は、衝撃的でした。この予告編に触発されて「燃えよドラゴン」は何度も見に行きました。最近では、DVDやブルーレイ版が発売されていますので、ぜーんぶ買っちゃいましたよ。アホかいな。
 
 さて、ブルース・リーは実はちゃんとした武道家です。今ブームになっている詠春拳の葉問(イップ・マン)、彼はブルース・リーの師匠でした。ブルース・リーはその後様々な武道を学んでいます。極真空手やムエタイ等。そして、独自の截拳道(ジークンドー)を編み出すのです。(余談ですが、望遠鏡などのメンテナンスをメインでされている、ヨシカワ光器の吉川善久氏はこの詠春拳を長く修行されています。意外ですよねぇ。)
 しかし、『燃えよドラゴン』でアクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、すでにリーは亡くなっていました。その生涯わずか32年。一応死因は脳浮腫となっていますが、様々な噂が飛び交っています。
 ヌンチャクはブルース・リーの代名詞のようになっていますが、中国拳法にヌンチャクは存在しません。もっと長い棒を3つ、紐などで繋げる武具、三節棍はあります。一説には武具を使うことを得意とする空手家の倉田保昭氏がブルース・リーに教えたと話もあります。(ヌンチャクは、琉球古武術で用いられる武器の一つです。昔、沖縄空手家の山下タダシ氏だった思いますが、ヌンチャクで二段重ねの煉瓦をスパン、スパンと割っていたテレビ番組を思い出します。何と時速240kmに達するとか。当たれば死ぬなぁ。山下氏は、燃えよドラゴンにもちょっとだけ出ています。リーの敵役のオハラがデモンストレーションをしているシーンで棒を思いっきり叩きつけている髭の空手家です。余談ですが、ジャッキー・チェン氏もこの映画に出ています。ブルース・リーに首をへし折られる役です。あら、残念な役柄。)
 
 ああ、これまたどうでも良い余談ですが、何故ブルース・リーと言う芸名になったのか?漫画「空手バカ一代」よると、ブルースリーが極真空手を習っていた時にさかのぼります。当時、道場主は弁護士の仕事が忙しくて、事実上リー氏を指導し、かわいがっていたのが、師範代のブルース・オテナという人物だったそうです。それを恩に感じたリー氏は、彼の名前をとって「ブルース・リー」にしたとか。
 

ブルース・リー(燃えよドラゴンから)

 
 
 
★ ブルース・リーの没後、一大カンフーブームが湧き起こります。しかし、殆どは、中国拳法の「はぁーあ、はい、はい、はい、はい。」と言ったイメージの物が多かったですねぇ。しかし、ブリース・リャン氏の映画はおもしろかった。多くは倉田保昭氏と共演しています。リャン氏は中国拳法もやっておりましたが、基本は日本空手の動きです。(当時でも空手五段の腕前だったと記憶しています。)その当時はジャンプ力が半端でなく、跳び蹴りで人の頭の上を軽々と飛び越えていました。
 
以下は、ブルース・リー氏ではなく、ブルース・リャン氏です。(梁 小龍)

「帰ったきたドラゴン」から、ブルース・リャン氏と倉田保昭氏。

 

同じ映画より。このお互いがハイキックをするのが格好良かった。(何の意味があるか不明ですが。)

これは、狭い壁の間を足だけでピョンピョンと登っていくシーン。
 
 この狭い壁を足だけでピョンピョンとジャンプして登っていくシーン。格好良かったので練習をしまして、私も出来るようになりました。
 ところで、私の通っていた高校は、廊下が校舎の外にとってつけたような構造になっていました。そこで、その廊下の両側にある柱をつかってこれをやっていました。手を使えば何とか壁を登ることができる友人が一人いましたので、お互いが出会うと、突然、両足で柱にピョンピョンと登り、地学部ジャンケンをするのが定番でした。(実際には3回くらいジャンプして登る程度ですが)中国拳法の型を真似して、チョキは「鶴の型」、パーは「虎の型」、グーは「龍の型」でした。周りから見たら何してんのかと思ったことでしょうねぇ。当時からアブ衛門はアホ衛門だったのですよ。
 ああ、アホ臭いけど、懐かしい。
 
 ああ、追加です。先ほど他の物を探していたら、1998年の「燕岳登山記録」のDVDが出てきました。S仙人も、ペンギンさんも動画で見られます。しかし、圧縮率が高すぎて、ブロックパターンだらけでした。編集し直したい登山記録がアホほどあるんだけどなぁ。もう根性がないよなぁ。

貧相アブ衛門の嘆き46

 

2013年6月7日 ついに精密検査に。

 
 本日、ついに、ある医療センターに精密検査を受けに出かけました。行き帰りの時間を含めると、7時間もかかってしまいました。結果は、大きな異常はなしです。あとは、血液と痰の検査結果待ちとなりますが・・・異常が見つからないのが逆に怖い話です。どんな病名でも良いのです。それがなんなのか知りたいのです。原因が分かれば、治療法もあるかも知れません。実は、単に男性の更年期障害かも知れませんし、ストレスが原因なのかも知れません。それが分かればまずは良いのです。そういう意味では、何だかなぁって言う結果でした。
 しかし、今日は身体が異常にだるかったのです。胸の苦しさは全く解消していませんし。病院の検査、治療が終わったら仕事をしようかと思っていましたが、とてもそんな元気はありませんでした。
 どうでもいい話ですが、折れたシャーペンの芯を踏んでしまい、それが見事に足の裏に刺さってしまいました。全部引き抜くことが出来ず、とっても痛いです。
 
 ふと、ヤマダ電機に立ち寄ったところ、探していたDVDを売っておりましたので買ってしまいました。それは、「岳」(がく)という映画のDVDです。元々は、漫画です。映画での主演は小栗旬氏と長澤まさみさんです。主人公の「島崎散歩」(さんぽ)は、ボランティアで山岳救助をしている設定になっています。助けた遭難者に「よく頑張った。」というのが定番の台詞です。「なんでこんな無謀なことをしたんだ。」などと怒らず「よく生きていた。よく頑張った。」と言う訳です。「雪が溶けたら、また山に来なよ。」漫画の最終回は、詳細が書かれていませんが、救助に行って死んだと思われます。
 
 私の登山歴の中で(ま、たいそうな!)一度だけ本当に死を覚悟をしたことがあります。何度か書いていますが、1979年に行った鳥取県の大山縦走でのことでした。約33kgのキスリングをかついで登頂。しかし、一端登頂しながら、翌日には麓のキャンプ場まで、どえらいスピードで水を補給に往復したのです。一人残していったタチゲがその早さにビックリしたほどのスピードでした。その翌日、身体にも足にもかなり疲労が残っている状態で、縦走を始めたのです。そして、一番の難関である「ラクダの背」にさしかかった時に事件は起きました。
 ラクダの背は、両側が絶壁になっているコブです。足場はものすごくもろい状態です。その時、私は重いキスリングをかついでいたこともあり、足がズリッと滑りました。前のめりになってそのコブに手をついた状態で動けなくなりました。ちょっとでもバランスを崩せば断崖絶壁の左右どちらかに転落です。カカト側に滑っても恐らく転落していたでしょう。そうなれば確実に死にます。「駄目だ。もう駄目だ。」と覚悟をしました。それと同時に、私が縦走したいと言ったことで、一緒に来ていた友人2人を殺してしまうことになるかも知れないと、ひどく後悔をしたものです。
 結果は・・・どうせ死ぬのなら、何とかこの「ラクダの背」を登る努力をしてみようとしたところ、意外にも前に進むことが出来たのです。タチゲもバクも何とかクリアすることが出来ました。
 しかし、その後、地獄谷に向かう急勾配で、タチゲが岩場に顔面着地。彼は、割れた眼鏡の破片で左ほほをざっくり切る怪我を負ったのです。しかし、あまり人が通らない山のど真ん中での事故でしたので、どうすることも出来ませんでした。折角応急処置をしたのに、タチゲはそれをとってしまいました。その結果、彼は顔から血をポタポタ垂らしながら歩くことになったのです。
 考えたあげく、タチゲのキスリングを近くに置いたまま、とりあえず無人小屋を探しました。しかし、バクと私が各々に探しに行き、道に迷うことになりました。その後、何とか駒鳥小屋を見つけたのですが、沢の横の急斜面を登らないとたどり着きません。もう、誰一人その斜面を登る力が残っておりませんでした。仕方なく沢にテントを張ったのですが、夜中にライトを当てるとギロッと光る動物の目が・・・また、沢を流れる音がとても怖く感じました。寝返りも打てないほど疲れ果てているのに、なかなか眠れませんでした。
 
 駒鳥小屋に置いている荷物を何とかしないといけなかったこともあって、タチゲをバスが通る道まで送ると、一人で帰らせました。殆ど鬼畜の所業ですねぇ。その後、バクと私は、必死の思いで荷物を運び出して、とりあえず下山キャンプ場でテンぱりました。
 
 その日、大山はとても良い天気でした。夕方、バクは遠く弓ヶ浜をじっと見つめていました。身動き一つせずじっと見つめていました。そして、ボソリと独り言の様に言いました。「大山ってこんなに景色が良かったかいね?」また、ホットパンツで遊んでいる女性のグループを見て、「この人達は大山を誤解して帰るねぇ。」とも。私はただうなずいていました。
 
 バクがじっと弓ヶ浜を見つめている姿が印象的で、その当時を「石になった男」と題して記録しておりました。しかし、その記録もどこに行ったのやら?
 
 ともあれ、登山では死を覚悟しないといけない時があります。引き返す勇気も必要です。また、二重遭難を防ぐためには、無情と思われようが遭難者を放置しないといけないケースもあるでしょう。「登山家は山で死ねれば本望だ。」って、あれは嘘だよねぇ。特に好きな山では死にたくはないし、人に迷惑をかけますからねぇ。
 

1979年、何とか生きて着いた「剣ヶ峯」。写真はタチゲとバクです。その後も、全く気が抜けない道が続きました。
 

2005年に撮った「ラクダの背」。この年もこんな痩せ尾根のコブでした。年々崩落していますから、行ってみないと状況が分からないと思います。手前の風景はなだらかな山道に見えますが、それは、ほんの最初だけです。転落したら、数百メール下まで転がり落ちるんじゃないかなぁ?

貧相アブ衛門の嘆き45

 

2013年6月3日 これまた戯れ言を。自然界の小さな悪魔?

 
 ふと、どうでも良いようなことを思い出しました。それは、最強にして最悪のプランクトンのことです。
 
 こんなプランクトンを知らなかった時代に、その辺りにさしかかると、漁師達はバタバタと倒れていくのです。科学者がその水を採取して一生懸命研究したのですが、原因は分かりませんでした。
 
 それもそのはずです。人が近づくと彼らは深く潜り、しかも、普通のプランクトンの顔をしているからです。しかし、その毒素は直接触れるだけでも危険なのに、空気中に漂い人間を危険な状態にしてしまうのです。更に、彼らは変態を繰り返し、ある姿の時のみ天敵がいるのですが、姿を変えるとその天敵すら喰ってしまうのです。まさに、最強のプランクトンです。
 
 
以下、ネットから検索した内容です。
 
米国東海岸で発見された淡水にすむ単細胞生物フィエステリア・ピシシーダ(Pfiesteria piscicida)は,有毒な渦鞭毛藻類の1種だ。フィエステリアは魚がいないときは無毒だが,魚がやってくると有毒な遊走子に変身し,毒素を放出しながら魚に近付いていく。毒で麻痺させた魚を攻撃し,魚を殺してむさぼり食う。この間にフィエステリアは配偶子から遊走子へ,さらにはアメーバへと変身を重ねていく。少なくとも24種類の姿に変身することが確認されている。
 フィエステリアの毒素は人にも害を及ぼす。汚染された水が皮膚に触れても危険だし,空気中のフィエステリアの毒素を吸い込んでも危険だ。研究室内で毒素の被害に合った科学者は,呼吸困難や頭痛のほか,物忘れ,読み書きや言葉の不自由といったアルツハイマーにも似た症状を引き起こし,回復に長い時間がかかった。(テレビ放映された時の内容では、確か回復に半年もかかったとか。)同様の症状は危険な水域で仕事をしていたダイバーや漁師にも現れている。
 
 また、人間の脳を溶かしてしまう、「ネグレリア・フォーレリ」というアメーバーもいます。日本でも罹患例がありますよ。こわいねぇ。
 
 更に、しょうもないことを書くなら、当初、臨床医は全く信じていなかったのですが、日本海領域には「コレラ菌」が休眠状態でウジョウジョいるのだそうです。現在、地球は温暖化。いつ、そのコレラ菌が休眠から覚めてもおかしくないのかも知れません。
 温暖化が進み、極地の氷が溶け始めたらとんでもないことが起こるかも知れません。遙か昔に氷に閉じ込められたウィルスが甦るかも知れません。そうなると、全く免疫がない人類は滅亡するかも知れません。
 
 地球の歴史を研究をしている科学者によると、今まで数度にわたって、生命が絶滅の危機に瀕した可能性があるのだそうです。人類がこのままの生活をしていたら、「人災」よって生物は滅びるかも知れません。それも、ある意味運命、ある意味必然なのかも知れません。
 

最初のページにもアップしましたが、位相差顕微鏡で撮った味塩の結晶。この位相差顕微鏡は引っ越しの際、段ボールに詰め込んだのだが、1年以上経っても箱から開けていない。アホぢゃー!もしかしたら、レンズがカビだらけだったりして。顕微鏡で思い出したんですけど、私のこの体調不良は、真菌類の(つまりカビ)アスペルギルスフミガーツスが原因だったりして。カビで人は死に至ることもあるのですよ。ともあれ、彼らは普通に生活していただけなのかも知れません。人間が不用意に彼らに近づきすぎただけかも知れません。

貧相アブ衛門の嘆き43

 

2013年6月1日 今年もあとわずか。ほげっ?

 おーい、また関係ない写真だよ。社会人1年目に買ったオートバイです。当時、カワサキのバイクが一番アメリカンらしいものでした。アメリカンは、楽で良いと思っていましたが、シートに垂直に座るので、結構疲れます。ケツが痛いです。また、コーナリングをするとタイヤがよれます。また、エンジンは2気筒でしたのでまるでおもしろみがありませんでした。翌年、スーパークロスを見て、突如一番嫌いだったオフロードバイクに方向転換するのでした。おほほ。(しかし、何ちゅー、猫背。みゃーうぉーん。)
 
 うっそー。もう6月ですよ。どないしましょう。