貧相アブ衛門の嘆き1.019


2021年9月27日(月)


一畑百貨店の思い出。


 アホ衛門は、高校時代まで、島根県の松江市に住んでおりました。
 松江市は、田舎ですので、ちと高級な物を買おうとなると、少なくとも当時は、唯一のデパート、一畑百貨店に行くことになります。
 小学生の頃でしたか、たまにお袋が、ここで「お子様ランチ」を食べさせてくれました。お子様ランチは、ビックリするほどおいしいとは思いませんでしたが、ケチャップライスには日の丸の旗が立っていたり、確か、プリンが付いていたり、とにかく特別な食事でした。
 また、これまた小学生の頃でしたか、玩具に毛が生えた顕微鏡を買って貰ったのもここでした。しかし、友人が、微動付ピントノブのある顕微鏡を持っていて、実にうらやましく思っていました。そこで、何年越しで、そんな顕微鏡を、追加で買って貰ったのもここでした。
 やがて、中学二年の頃には、微生物から天体に興味が移っていきました。一畑百貨店には、当時絶大な人気を誇っていた日野金属(ミザール)の望遠鏡が飾ってありました。
 

これは、日野金属のミザールH-100です。当時は口径第一主義のこともあり、反射望遠鏡の方が安いこともあり、この望遠鏡が欲しくてたまりませんでした。と「アレなんだ?」と思うことがありました。
 

H-100の筒先にはキャップが被されていたのですが、その真ん中に、少し小さな円状の物があり、それが少し光って見えていたのです。「ん?何であんな所に、レンズが付いているんだ。と思っていました。しばらくして、それが、太陽を観測するための絞りで、そこに、光沢のあるキャップが被されており、それが、遠目には、光を反射して、まるでレンズが付いているように見えていたのです。うーむ、当時からアホ衛門は、完全なアホぢゃったわい。
 
 して、そのH-100の隣には、同社の80mmアクロマート屈折望遠鏡「カイザー型」が、ドーンと君臨しておりました。当時は、ほぼアクロマートしかありませんでしたので、収差を抑えるためにFは15が当たり前でした。今からしたら、とんでもなく細長い望遠鏡です。
 

屈折望遠鏡はとても高価でして「大人になって、こんなすごい物が買える日が来るんだろうか?」と思っていました。よく見ると、モータードライブも、極軸望遠鏡も付いていませんでした。(人物との大きさの比較はこれで合っているのか?)
 
 結局、H-100をゲットしたのは、高校時代でした。天文ガイド誌の「譲るコーナー」で紹介されていたものを、共同購入したのです。
 
 ふと思い出しますと、平成8年か、それより少し前のことでしたでしょうか?私はスタッフ職となりまして、山陰エリアを回っていた時のことです。同行していた社員が「一畑百貨店が、新しく建て替えられるので、今のうちに古い百貨店を見ておきませんか?」と誘ってくれました。
 しかし、行って見てとにかく唖然としました。古いのは年月が経っているので仕方がありませんが、「えー!!こんなに狭かったかー!!」子供の頃は、意外に大きく見えていたんですね。


貧相アブ衛門の嘆き1.018


2021年9月26日(日)


あっかーん!!


 9月24日に、またもベランダ撮影を行いました。シンチュレーションが悪いのは分かっていました。でも、やらねばならんのだー。フンガ、フンガ。鏡筒は、高橋製作所のμ250CRSで、主に、ZWO社のASI 290MCカメラを使用しました。
 で、結果は・・・アホ衛門丸、撃沈!!何もかも皆懐かしい。
 

いて座の星を使って「ディフラクションリング」を撮ってみました。およよよぉー。何じゃこりゃああああ!!低空の星だから、同心円にならなかったのか?
 

それから、土星にチャレンジです。どわわわわー!何じゃ、こりゃああああ!!・・・木星も撮りましたが、更に出来が悪いので、カットであります。

 

 

こいつは、9月22日に撮った木星とガリレオ衛星です。ASI 183MC Proカメラを使用しました。こう言った対象ですと、シンチュレーションの影響はそれほど気になりませんので大丈夫なんすけど。
 
 ちなみに、眼視でも惑星を確認してみましたが、輪郭が細かくかなり激しく揺れていました。私の腕も相当に悪いのですが、この気流の状態では如何ともしようがないのでありました。はー、ポテチンっと。


貧相アブ衛門の嘆き1.017


2021年9月23日(木)


ダミぢゃ、こりゃああああ!!


 9月22日(水)のこと。前線が通過したとかで、会社に向かう際には、どえりゃあ、土砂降りになりました。や、やばいよ、ベランダには望遠鏡をセットしたままぢゃ。とりあえず、タイヤカバーを二重に被せてはいるけどね。天気予報通り、その後は晴れましたけどね。ありゃ、風もきついわ。
 
 で、帰宅してから、またもベランダ撮影です。満月なので、対象物は、土星と木星に絞りました。
 望遠鏡は、高橋製作所のμ250CRS(マイクロ)です。架台は、同社のNJP Temma 2です。
 μ250CRSは、ドール・カーカム方式です。この方式の中心像は、ともてシャープなのですが、周辺像はまるでダメ男君でした。しかし、コレクッテッド・ドール・カーカム方式になってからは、周辺像は、リッチー・クレチアン方式を上回る性能になりました。言ってみれば、史上最強の25cm望遠鏡なのです。
 

 元より、外に設置してあった望遠鏡ですが、タイヤカバーを被せていたこともあり、残っているかも知れない筒内気流(チューブカレント)を除去するため、附属の電動ファン回しましました。更に、扇風機を使って強制的に筒内気流を除去します。あ、これって、天体写真の西の大御所である「Ryutao氏」から教えて貰った方法です。ありがたや。
 

これは、日にちが前後しますが、9月21日に撮った木星です。ちーとも、細部が写っていません。シクシク。
 

これは、9月22日に撮った土星です。もう、死にましたわ。


貧相アブ衛門の嘆き1.016


2021年9月20日(月)


ベランダ撮影、しっかぁーく。


 またもベランダ撮影をやりました。昨日よりは、気流はちと良くなっていました。すかああああす!結果は、失格ーぅ!でした。ダメだこりゃああ。
 

 うーむ、ディテールがまるで写っておらない木星となってしまいました。本当に、ピントの位置が分からないのですよ。まだ、気流も悪くて、ユラユラがひどいせいもあるのですが。μ250CRSとASI 290MCで撮影。
 そろそろ、μ250CRSだけでなく、セレストロンのC11何ぞでも試してみましょうか?


貧相アブ衛門の嘆き1.015


2021年9月19日(日)


ちとドライブなんぞを。


 家にずっといても、酒をかっくらって寝ているだけぢゃーん。では、ドライブにでも行きますか?ちなみに、先日の吐き気や下痢はおさまっています。はやり食中毒だったかもしません。
 しかし、朝起きると、やはり体調はかなり悪し。顔も悪し。足は短し。いとかなし。でも、行かねばならんのぢゃ。止めてくれるな、妙心殿。
 新型コロナウィルス感染拡大が収束しておらず、県をまたいでの移動は自粛されています。しかし、もう、大山は、ちと飽きてきました。ならば、人との接触を完全に避けて、島根県方面に行こうか。
 初めは、三瓶山に行こうと思っておりました。しかし、体調が思わしくなかったのと、現地で蜜になったら嫌だなぁって思って、一端違う場所に目標を変えました。しかし、変えた場所は、割と狭い場所でしたので、もしかしたら、避けようのない蜜になっているのでは?・・・かくして、再度三瓶山に目標を変えました。およよ。
 

仕事でも、休憩のためよく立ち寄る出雲市の「いちじく温泉」。台風一過の快晴でご覧通りのコントラストの良い風景。
 

三瓶山の西の原の駐車場に着きました。Nikon D850にシグマの15mm対角魚眼で撮り、Photoshop2021で歪みを補正しました。結果、周辺の車は変な形に変形しています。にしても、人が多いなぁ。アホ衛門は、超ソーシャルディスタンスを維持していました。
 

これも、撮影機材は上と同じです。1980年3月にここへ来た時には、どっかの山のてっぺんをスパッと切り取って、この広い草原に、ドスンと置いて様な光景だと思っておりました。ちょっと面白い光景です。
 

対角魚眼で撮ったままの画像は、これです。山の裾野の広がりは、こっちの方
が正確です。
 

これは、Nikon D850で、28mmで撮ったものです。(ズームレンズ)28mmでは画角に収まりませんね。
 

西の原の草原には、観光客が沢山おられました。遠くにはススキが一杯咲いていました。もう秋ですねぇ。
 
 

次に「浮布池」方面に行って来ました。左のオレンジ色の屋根は「浮布池展望台」にある「浮布亭」なる建物です。曼珠沙華が綺麗に咲いていました。
 

やはり、新型レヴォーグの後ろ姿は好きです。前顔は・・・
 

曼珠沙華、それは、彼岸花とも言いますね。高校時代まで過ごした、家の近くにもこの花が咲いていましたが、隣町には群生地がありまして、それがとても綺麗だったことを思い出しました。
 

「浮布亭」からは「浮布池」の向こうに三瓶山が綺麗に見ることが出来ました。しかし、気温の高い時期の「浮布池」は緑色に濁っています。ちときちゃない。
 

 1980年3月に撮った、浮布池と三瓶山。Photoshop2021でカラー化してものです。記憶が正しければ、西の原から少々歩いたキャンプ場から撮ったものだと。しかし、何度も探していますが、そのキャンプ場はもうない様です。
 写っている遠くの人家の様子なども含めて、現在の「浮布亭」近くに、キャンプ場があったのは間違いないようです。
 

これは「浮布池展望台」の前の道の、池に近い場所から撮った写真です。上の1980年3月の写真とクリソツではあーりませんか?やっぱし、この辺りにキャンプ場があったんだ。でもね、ネットでどんなに探しても、そんなキャンプ場があったことは、どこにも書かれていません。ゲロゲロ。
 

「浮布亭」から少しだけ歩くと、こんな場所がありました。もしかしたら、1980年3月にテントを張っていたのは、この場所だったかも知れません。あれから41年の月日が経ちました。木々も、草も随分茂ってしまったことでしょう。草をかき分けると、何とか三瓶山が見えます。しかし、草が多くて「浮布池」はちと見えにくいですよ。
 

これは、1980年3月に「浮布池」の直ぐ脇で撮った「タチゲ」です。ん?キャンプ場と浮布池は繋がっていたのか?でも、考えてみますと、もしかしたら、結構な斜面を下ってこの場所に来たのかも知れません。右側はかなりの斜面にななっていますし。(Photoshop2021でカラー化)それならば、上の写真が当時のキャンプ場だった可能性は大いにあります。41年も前に、1泊だけキャンプした場所ですから、記憶が・・・
 

これは、邇幣姫神社の鳥居と、浮布池です。まだ気温が高い、この時期、池はお世辞にも綺麗とは言えません。
 

同じ場所から写しました。向こうの対岸のどこかに、1980年3月にテンパっていたキャンプ場があるはずですが・・・この植物の茂りようからしたら・・・
 


 
 帰宅してから、台風一過で、天候が良かったので、またもベランダ撮影です。しかし、気流の状態がアホ程悪かったですね。そりゃ、台風一過ですから・・・
 

低空で、アホ程瞬いていた金星です。およそピントの位置すら分からないほどでした。しかも、大気の分散で虹色になってますからあああ。おほほ。
 

高橋製作所の「μ250CRS」に「ZWO社のASI 183MC Pro」を取り付けて、金星で回折像を撮影してみました。何か意味あんのかーい!
 

これは、牛飼座のアークトゥールスを使って撮った、ディフラクションリングです。真円ではないようにも思いますが、そこそこかと。実は、これまで撮っていたディフラクションリングなんですが、CMOSカメラの真ん中で撮っていなかった可能性があります。もしそうなら完全なアホぢゃ。
 

 これは、高橋製作所の「μ250CRS鏡筒」に「ZWO社のASI 183 MC Pro(冷却あり)」で撮った、いて座の球状星団「M22」です。20枚コンポジットしています。Captureソフトは「SharpCap3.2」を使用しました。「ステライメージVer.9」「Luminar AI」「Photoshop2021」何ぞで画像処理をしました。
 ちなみに、ガイドには、親子亀方式の高橋FC60(口径60mm f500mmのフローライト望遠鏡)を使っています。オートガイダーのソフトは、ステラショットを使いました。結構、これで何とかなっています。多分。
 

次に「M20(三裂星雲)」を撮ってみました。月が明るいですし、対光害フィルターも干渉フィルターも使っていませんので、まあ、こんな写り方です。
 

これはM16の一部です。わし星雲とも言いますねぇ。
 

しかし、木星はひどすぎる写り方です。本当に、ピントの位置がまるで分かりません。シンチュレーションが悪く、像は激しく揺れています。私の腕も悪すぎるのでしょうが、気流もかなり悪いのでしょう。ま、そういうことにしておいて下さい。シクシク。げっ、泣いとるがな。
 

ここで、私は、眠り込んでしまいました。ゲロゲロ。何とか目が覚めて月を撮ったのですが、これがひどい。パソコンの画面に映る月は、コントラストもなく(薄雲がかかっていた。)揺れ揺れで、細部がまるで分からない状態でした。あれ、もしかしたら鏡が結露し始めていたのかも。
 

あるクレーターを拡大撮影したものです。もうちょっとマシになるのかと思ったら、あーた、このひどさですよ。アホ衛門は、その直後、ぐれて死にました。


貧相アブ衛門の嘆き1.014


2021年9月18日(土)


やばいよ、やばいよぉー!


 実は、水曜日のこと。昼飯を食った後、夕方位から、むちゃんこ気分が悪くなってきました。すごく吐き気がします。
 とりあえず、仕事が終わって、さて、どうしたものかと考えました。晩飯を食うべきか、喰わざるべきか?ま、結局食べちゃいましたけどねぇ。しかし、食事の途中、吐き気がひどくなり、ハシが何度も止まりました。しかし、私のポリシーとして、出されたものを食べないのは絶対ダメと言うのがありましたので、無茶苦茶無理して食べました。
 家に着く40分程前でしょうか?思わず車の中で吐きそうになりました。なんぢゃ、こりゃああああ!!まさか、ノロウィルスか何かじゃあるまいな!
 
 帰宅してからも、もう吐き気が止まりません。下痢もし始めました。胃液で薄まった液が、口から、鼻から出て来ます。咳も出ます。やばいよ、やばいよぉー!
 
 翌朝、それまでたいしたことがなかった下痢がひどくなりました。しかし、熱は全く出ていません。と言うことは、やはり、昼飯が当たったんだなぁ。何とか、出社しましたが、体調不良及び超寝不足で、ぶっ倒れそうになりました。てな事で午後から休みを頂きました。ついでと言っては何ですが、睡眠時無呼吸症候群(SAS)の検査器具「終夜睡眠時ポリグラフ検査装置」をメーカーさんに、とりに行きました。
 その夜、その装置を付けて寝たのですが、超体調不良だったので、鼻に当てるチューブが直ぐにズレてしまったようです。アホぢゃ。
 てなことで、翌晩も再度セットして寝ました。さあ、結果は如何に?もし、SASが体調不良の大きな原因なら、改善する方法があるのです。このアホ程ひどい体調不良から脱出出来るかも知れません。
 

ネットからがめさせて頂きました。「終夜睡眠時ポリグラフ検査装置」のイメージ図です。
 
 さて、今日は、極めて特異な台風14号の通過に伴い、天候は少々荒れ気味。今年は、本当にまともに晴れる日がないなぁ。従って、天体写真も撮れていません。いろいろ試したことも残っているんだけどなぁ。
 
 てなことで、(何が?)以前撮った写真を再処理です。おほほ。
 

1989年8月に長野県の野辺山にオートバイで行った時の写真です。使い回しのようで、実は、ちょこちょこ処理し直しています。ゴーグルは、ミラータイプのもの。フェイスガードはスコットの黒いモノを付けています。これって、不気味で格好エエんですよぉ。ちなみに、この頃はオートバイに乗って来ていた人が多かったですね。
 

2007年8月に徳沢で撮った写真から合成。オナゴは、多分グラビアアイドルで、サングラスをかけてごまかしています。ポタ赤は、タンジェントスクリュー方式のアストロトラックのTT320Xです。この、ポタ赤、全周微動でなかったり、細長いので、収納がしにくい場合もありますが、抜群の強度と抜群の精度を誇るポタ赤です。私は、とっても好きなんですけどねぇ。
 

これは、2007年8月に、北アルプスの蝶ヶ岳に登った時の写真です。野郎だけでは寂しいので、水着のオナゴを合成しておきました。おほほ。あーあ、また、登山して星見たいなぁ。


貧相アブ衛門の嘆き1.013


2021年9月14日(火)


出て来た写真。


 ちょっと写真を整理していましたら、出て来ましたよーん。どこに行ったんだろうと、半ば諦めていた写真です。画質の悪いデータは残っていたんですけどねぇ。
 それは、1979年7月に行った、恐怖の鳥取県大山縦走の写真の一部です。
 
 何度も書いていますが、1978年夏には、「タチゲ」と私は、北アルプスの蝶ヶ岳に初めて登りました。この登山では、かなりの金と、死ぬほどの体力を使い果たしました。
 私的には、出来ることなら、もう一度北アルプスに行きたい気持ちもありました。しかし、さすがにそれは無理であると悟りました。だって、タチゲも、もう北アルプスはなぁ・・・みたいな感じでしたから。
 しかし、天文仲間だった「バク」が、大山だったら登ってみたいと言ってくれました。かくして「バク」と「タチゲ」と私の3人で大山に星見登山をすることが決まりました。3人での登山は初めてでしたね。
 大山登山と、かなりスケールダウンしましたので、折角だからと大山登頂した後、大縦走をして、振子沢を下り、三ノ沢に出て、それから、今の奥大山エバーランドを経て、思い出多き、鏡ヶ成にも行こうと考えていました。結構やばい山行だね。
 
 しかし、とんでもないことが起こりました。
 
 1日目は、下山(しもやま)キャンプ場に泊まりました。
 そして、翌日、登山開始です。私のキスリングは33〜34kg程ありました。タチゲやバクのザックもそれに近いモノだったかも知れません。中学時代に柔道をやっていた「バク」は呆れた体力の持ち主です。しかし、時前のザックを持っていなかったので、私が大学1年の時に買ったフレームザックをかついでて貰うことにしました。しかし、大山は結構急勾配で、荷物が重いと、思いの外きつい登山になります。さすがの「バク」も途中でバテバテになっていました。それでも、何とか登頂に成功。当時の山頂小屋は、古いものでして、ここで泊まる人はかなり少なかったですね。そう言えば、この年の梅雨明けは遅かったのですが、登頂したこの日が梅雨明けとなりました。
 夜になって「タチゲ」が「蛍が飛んじょる!!」と大声で叫びます。「んなバカな。ここは1.700mを越える大山の山頂だぞ。」・・・「えっ?うっそー。」そこには、本当に蛍が乱舞していました。山頂付近まで歩いていって、二ノ沢や三ノ沢を見下ろします。と、まさに絶句!!無数の蛍の群れがジワジワと沢を昇ってくるのが見えたのです。それは、美しいというよりは、恐ろしいとすら感じてしまう光景でした。畏敬の念で見ていました。
 撮影をしようと機材を置いていた部屋に行きますと、何と!鍵がかけられていました。うっそー。そんなご無体な!!
 山頂小屋では、山小屋の青年が飼っていたのか、たまたま連れてきていたのか、子猫のミーコ君に出会います。大人になれば、我が道を行く猫ですが、子猫の時は、実に人なつこく、寝ようとしても顔のそばで「ゴロゴロ」喉を鳴らします。あまりにも寝られないので、何度も追い払いました。と、ついに諦めたのか、いなくなってしまいました。
 翌朝、目を覚ましたタチゲが「うわぁー!!」と大声を出しました。何と、ミーコ君が、タチゲのシュラフに潜り込んで寝ていたのです。「ぐったりしていたから、てっきり潰してしまったのかと思ったでぇ。」と。
 その後、水が不足していることもあり、また、山頂小屋では自由に天体写真撮影が出来ないと思い、ある思い切った行動に出ます。
 体力にイマイチ自信がないタチゲには、山頂から僕らの荷物を多くを、8合目付近にある「石室(いしむろ)」運んで貰うことにしました。そして、「バク」と私は、下山キャンプ場まで下り、水を補給することにしました。体力が一番あった時ですから、滑りやすい急勾配の登山道を、登山客が少ない時には、走って下っていました。今では、死んでも出来ない芸当です。下山キャンプ場では、ウンチを放出したり、頭を洗ったり、20分以上は休憩をしたように思います。そして、山頂から下山を開始して、石室に戻ってきたのは、何と、3時間足らずのことでした。とにかく、あまりのスピードに「タチゲ」がビックリしていたことが、妙に記憶に残っています。
 ふと気が付くと、石室には、あのミーコ君がいました。なして?「何か、山頂から着いてきちゃってねぇ。」とタチゲ。その後、山頂小屋まで送り届けましたけどね。うーむ、実にかわいい奴ぢゃ。
 しかし、せっかく石室に来たのですが、天候は今ひとつでした。それでも、早い時間帯には、何とか星が見えていました。石室のコンクリートの屋根に腰掛けて、バクが「ほぉー、あれが天の川かね。よく見えるね。」と感心していました。
 さて、その翌日、縦走を敢行です。と、かなりのベテランと思われるクライマーが小走りで戻ってきました。「いやー、私の技術では、とてもこの先は歩けないと思いまして。」一瞬背筋がゾクっとなりました。私のキスリングは33kg以上。しかも、昨日は、水補給のために登山道をかなりのスピードでピストンしています。疲労がたまっていて、足がガクガクしているのですよ。
 
 先頭は私が歩きました。言い出しっぺの私が先を歩くべきだと思っていました。
 と、最大の難関「ラクダの背」で、とんでもない事になりました。ラクダの背は、とても狭い痩せ尾根のコブで、ありえないほど崩落しやすいのです。ここで、私は足が滑ってしまいます。急斜面の痩せ尾根に手をついたまま、動けなくなりました。背中にはクソ重いキスリングがのしかかっています。足はガクガクと、踏ん張りがききません。バランスを少しでも左右に崩したら、何百メートルも滑落します。仮に下の方に足が滑っても結果は同じです。かと言って、上に昇ることが出来ません。「だ、ダメだ。もう死ぬな。」完全に死を覚悟をしました。また「バク」と「タチゲ」を、こんな危ないところに連れてきたことを猛烈に後悔しました。もし、奇跡的に私がここを通過しても、彼奴らが無事に通過するが出来るのだろうか?
 ふと「どうせ死ぬなら、上に登るチャレンジをしてみよう。」と思いました。すると、意外にもと言うか、あっけなくと言うのか「ラクダの背」を通過することが出来ました。あ、あれぇー???なして?
 しばらくして、大山最高峰の「剣ヶ峰」に着きました。ここで、ようやくクソ重いリックを降ろして休憩することが出来ました。「あー、生きてここまで来たぞ。」てな感じだったでしょうか?
 しかし、その後も一瞬たりとも気が抜けないほどの、痩せ尾根を歩き続けました。天狗ヶ峰からは、振子沢に向かう、殆ど人が通っていない、草で覆われた急勾配を下ります。足下がまるで見えないので、かなり気を使います。と、ここで、体力が有り余っていた「バク」が先頭を歩きたいと言い出して、先頭を交代です。しかし、彼のスピードは尋常ではなく、一番後ろを歩いていた「タチゲ」が焦ったのでしょうか、彼は、大岩に顔面着地します。
 物音で気が付き「おい、大丈夫か?大丈夫か?」と何度も大声で安否を確認します。しかし、彼はピクリとも動かず、返事も全く返ってきません。正直「死んだ。」と思いました。その後、ようやく起こしてくれと声を返してきました。「あー、良かった。生きていたんだ。」と、思ったのもつかの間、彼の顔面は血だらけになっていました。直接大岩で顔面を挫傷したのではなく、当時の眼鏡レンズはガラス製だったので、その割れたガラス片で左頬をザックリ切っていたのです。
 持っていたバンドエイドなどで応急処置をしました。とりあえず「駒鳥小屋」を目指しました。しかし、何故かタチゲはせっかく貼ったバンドエイドを自分で剥がしてしまいます。すると、左頬からは、ポタポタと大量の血がしたたり落ちました。このままではまずい。とりあえず「タチゲ」のキスリングは、バクと私で運ぶことにしました。まずは、一番体力のあるバクを先発隊として行かせたのですが、いくら待っても戻ってきません。そこで、タチゲを残して、今度は、私がバクを捜索に行きました。結局、バクは道を間違えて沢を登っていたようでした。それは、全く反対方向でした。その後、何とか合流することが出来ました。
 「駒鳥小屋」付近までたどり着いたのですが、小屋は、沢の脇の崖の様な急勾配を登らないとたどり着きません。3人とも疲れ果てていました。仕方なく、小屋を目の前にして、沢の中にテントを張りました。夜になって懐中電灯を付けると、時折、何かの動物の目が光ります。また、もし、雨が降ってきて沢の水が急に増えたら死ぬかも知れないなって思っていました。とにかく、肉体的にも精神的も疲れ果てていました。それは、寝返りすら打てないほどでした。沢を流れる水の音がとても恐ろしく感じていたことが、今でもはっきりと記憶にあります。
 
 その翌日、怪我人のタチゲにとっては非情極まりない決断を下します。三ノ沢まで一緒に下り、そこからは、荷物のない状態で、彼には、治療のため一人で帰って貰うことにしました。完全な言い訳ですが、一人平均30kg以上のリックが3個残っているので、これを人気のある場所まで運び出さないといけなかったのです。
 彼のいなくなった、下山キャンプ場に「バク」と私の二人でテントを張りました。天気は、珍しいことに快晴になっていました。
 大川寺橋あたりで、ジワジワと暗くなってくる西の空を二人で見ていました。バクは「へぇー、大山ってこんなに景色が良かったかね?」とぼそりと一言言うと、まるで石仏になったように身動き一つせず、ただ黙り込んだまま西の空を見ていました。
 大川寺橋あたりでは、ショートパンツをはいた女性がはしゃいでいました。バクは「この人達は、大山を誤解して帰るね。」と、これまた、ボソリと言いました。僕はただうなずいていました。
 

これは2018年6月に博労座から撮った、夕焼け。あの日、丁度こんな光景を見ていたのだと思います。
 
 この怪我で、タチゲとの星見登山は終わったと思いました。もし、彼がまた登りたいと思っても、彼の親御さんが許してくれるはずもないと。
 しかし、その後「タチゲ」とは、1980年3月に島根県の三瓶山縦走、1981年3月の3m以上の大山登山を敢行しています。
 
 あれから何十年、タチゲの左頬には、今尚目立つ傷跡があります。
 

 1979年7月の、大山は「剣ヶ峰」での記念撮影。もう何十年も経っているから、モザイクなしぢゃ。許せよー。色あせたり、ゴミが付いていたので、そこそこ画像処理でごまかしました。
 左が、まだとっても細身の「タチゲ」。右の青いトレイパンをはいているのが、驚異の体力の持ち主である「バク」です。いんやー「ラクダの背」で死にかけましたので「ようやくここまで着いた。」と、安堵の表情と言うのか、放心状態と言うのか・・・
 

 これは、多分ですけど1979年の新聞記事です。(Photoshop2021でカラー化)とすると、写真は1978年のものでしょうか?これまた多分ですけど、ここが「ラクダの背」だと思います。ここを、横に大きくてバランスがとりにくい33〜34kgのキスリングをかついで縦走するなんて、自殺行為だったかも知れません。ちなみに、両サイドは500mを越える絶壁です。ここだけではなく、道幅30cm以下で、両サイド絶壁の箇所がいくつもありましたからね。
 当初の記録では、道幅10cm程度で両側絶壁と書いていましたが、さすがに10cmは、オーバーだったような気がします。ま、それくらい、恐かったと言うことです、はい。
 

これは、2020年4月4日に鍵掛峠から見た「大山南壁」。山は、遠目にはなだらかに見えても、間近に見ると結構恐かったりします。でも、これは、遠目にも恐いわ。この「ナイフリッジ」の様な縦走路を歩くのは、まさに命がけですね。
 

これは、新緑の頃の、鍵掛峠からの大山南壁です。


貧相アブ衛門の嘆き1.012


2021年9月11日(土)


やはり、そうなのかな?


 はーい、アホ衛門だよ。
 便器ですかぁぁぁ!!便器があれば、ウンコも出来る。一、二、三、ぷぅー。もう、屁ぇばっかり。このバカチンがぁぁ!!
 
 本日、かかりつけのクリニックを受診してきました。そこで、先生に相談を。
「しぇんしぇい、どうも、特定の薬がまるで効いていない気がします。これと、あれと、それを休薬してもらって、代わりに「八味地黄丸」を処方してもらうことは可能ですか?」・・・おお、ドクターにとっては、一番うざい患者だどー。
 と、先生から「特に今回の愁訴を聞いてみますと、〇〇の可能性があります。メーカーに頼んで、ある器械を手配して貰います。それで、一度測定してみて下さい。」「そうですか、確かに以前からその可能性は充分あると思っていました。では、お手配お願い致します。」・・・これで、この体調不良がある程度改善すれば、もうパラダイスぢゃけんのぉ。
 
 さて、夜になりますと、またもベランダ撮影です。しかし、雲がかかったりで、機材をセットしかけ、片付け、を何度かやっていまい羽目に。ガォーでごじゃりまする。
 気流の状態は、芳しくありませんねぇ。本当に、どこでピントが合っているのか分かりませんね。
 ちなみに、ある恒星でディフラクションリングを見ますと、結構光軸は合っているように思いました。しかし、方向を変えると、光軸は結構ズレているようなイメージに。合っているようで、合っていないようで・・・えーい、どっちやねーん!!
 

まずは、扇風機まで使った筒内気流の除去にいそしみます。
 

 で、撮れたのが、この木星。完全に終わっとるがな。まるで、ディテールが写っちょりません。ひでぶぅー!
 高橋製作所μ250CRS・ASI 290MC・テレビューパワーメイト2.5×・ADC 1.25″大気分散補正プリズム使用。


貧相アブ衛門の嘆き1.011


2021年9月10日(金)


ああ、このまま終わってしまうのか?


 昨晩のこと、割と早く帰宅出来ました。空は、久しぶりの快晴。ならばと、ベランダ撮影をばと、セッティング。
 しかし、このところの体調は、極悪状態でして、とにかく、身体がだるい。集中力がゼロ。頭もボーッとしているのです。こんな状態でも、一生懸命頑張ってみました。
 
 しかし、結果は「しどい、しどいわ、ひどすぎるわ。」でした。折角ゲットした高橋製作所のμ250CRSですが、こんな結果では、メーカーさんに申し訳ないです。
 

 これが、撃沈の結果です。鏡筒は高橋製作所のμ250CRS。赤道儀は同社のNJP Temma 2。撮影カメラはZWO社のASI 290MC。同社のADC 1.25″大気分散補正プリズムも使用。このプリズムは「FireCapture」の方がズレを検出しやすいとのことでしたが、私にはどうにも分かりづらいのですよ。そこで「Sharp Cap3.2」を使って補正し、その後に、撮影に「FireCapture2.6」を使いました。拡大率を上げるために、テレビュー社のパワーメイト2.5×も使いました。
 画像処理は、「Autostakkert!3」でスタック、「Registax6.5」でウェーブレット処理をしています。更に「Topaz De Noise AI」と「LuminarAI」「Photoshop2021」まで使っています。ああ、こんなに色々やっても、これぢゃだめぢゃーん。
 しかし、何故、こんなにボケボケの写真しか撮れないのか?撮った動画を見ると、木星像は激しく揺れています。時折「おっ!ディテールが見えるぞ。」てな事はありますが、全体としては全くダメです。やはり、この土地が、あるいは、ベランダでのシンチュレーションが悪いのは、否定できません。大阪に住んでいた時には、時折、パソコン画面上でも「おお、模様がくっきり見えるがな。」てなことを経験しました。しかし、当地に引っ越してからは、全くダメです。μ250CRSでもそうですが、TOA130Sでも同じような結果です。もう、ハワイにでも引っ越そうか?
 

これは、土星とその衛星達。
 

こちらは、木星とガリレオ衛星。今回は、ガリレオ衛星の4つの内、3つが、木星本体に近いところにいました。
 
 

これは、2020年8月4日に、ベランダからμ250CRSを使って撮った土星です。今回はマスクを使った処理をしています。ああ、でも結果は・・・それに、ADC 1.25″大気分散補正プリズムを使っていないので、色が分散していますよーん。あはは。(色を白っぽくした画像に入れ換えました。あれぇ、余計ダメかも。)
 
 
 
 あ、そうそう、いつまで経っても引き落とされなかった「Photoshop2021」と「リチウムポータブル電源EcoFlow RIVER Max」の代金ですが、ようやく支払いが完了したようです。何かホッとしました。


貧相アブ衛門の嘆き1.010


2021年9月7日(火)


自動ガイド装置ST-4の思い出。


 パソコンのデータを整理?していたら、自動ガイド装置「ST-4」の事を書いたメールのデータが出て来ました。
 「ST-4」は、SBIG社のスタンドアローン・オートガイダーです。オートガイダーとしては草分け的な存在です。ネット検索をしましたところ、発売は1989年の事らしいです。CCDの画素数は、今では考えられない3万画素。ヒョエー!
 それまで、望遠鏡を使った直焦撮影では、ガイド星をずっと見ていなければなりませんでした。オートガーダーを使ったらどんなに便利だろうと思って、まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちで、国際光器さんから購入しました。かなり高かったのですよーん。しかし、色々試してみても、全くまともに動きませんでした。オートガイダーは、ガイド鏡の像が悪いとダメだと言うことで、フローライトを使った高橋のFC60を購入しました。また、ガイドマウントもガタがあってはダメだと、今はなき誠報社さんや、前橋至誠堂さんから、頑丈な粗動マウントを購入したりしました。おい、おい、どんだけ金がかかるんぢゃーい!!プリプリ。
 それでも「ST-4」は、まともに動きませんでした。「ああ、これはババをひいたな。」不良品を買ってしまったと、半ば諦めていました。
 
 そんな時、天文雑誌に「ST-4」の特集が載りました。確か、有名なアマチュア天文家のYさんの記事だったと思います。「ST-4がまともに作動していない人の殆どが、入力するこの値が間違っているのです。具体的には・・・」と言った内容だったと思います。
 
 そこで、ワラにもすがる気持ちで試してみました。自分でも、本当かどうか定かではありませんが「購入して、苦節10年程でST-4がまともに動き出した。」と書いてありました。
 それを考えると、今のオートガーダーは、性能もとても良くなって、価格も随分安くなりました。今は昔・・・
 
2000年1月4日
 パソコンの修正をもくろんだが、直らないどころか、完全におかしくなってしまって、また、初期化してアプリケーションを再インストールする羽目になってしまった。アホほど時間がかかった。
 午後4時頃、アパートを出ることにした。というのは・・・先回の撮影で、ST-4にフリップメイトをつけたところ、まともに動かなくなってしまったからなのだ。なんとかせねば。もう一度チャレンジして、それでもだめなら、ST-4を諦めるか、はたまた、新たに購入を考えるか、結論を出さなければならないのである。
 それにしてもこの時期しては考えられないほどの穏やかな日だった。暖かいし、風もない。晴れているものの、まるで春のように霞がかかっているような空だった。
 ST-4を取り付けた際にまず気がついたのが、ガタがあることだった。慌てて小さなねじをすべてきつく締め上げた。
 次に思ったのが、「説明書に書いてあった、ピント位置が実は間違っていたのではないか。」ということだ。付属のアイピースを覗いてまずスケールにピントを合わせた後、実際の星にピントを合わせれば、それがST-4のピント位置でもあるというような説明がなされていたが、これを疑ってみたのだ。何故ならば、明るい星を入れていても、バリュー値が、思いの外低いかったからだ。
 そこで実際に試してみたら、案の定ピントの位置が違っていた。しかし、それを直しても、発光ダイオードの表示する値がどうも不安定なのが気になる。光を完全にシャットアウトして時間をおいてみても、バリュー値は11で止まってしまうし、X、Yともに「0」ではなく、時より変な値が出てしまう。うーむ、大丈夫かぁ?
 エーイ、とばかり、C1を5、C2を10でキャリブレーションを行ってみた。「やったー!」エラーがかからない。実際のガイドでもうまくガイドをしているようだ。空の状態があまり良いとは言えないのと、明日から仕事だということを考えて、M45を40分露出、M42を40分露出をして終わることにした。M42の時はもしかしたら、ガイド鏡のマウントのクランプの締めつけが弱かったかもしれない。うまく写っていてくれよー!それから、ST-4のCCD部の取り付け位置だが、実際の星の動きを肉眼で見て想像して、それに合わせてやればいいことが分かった。なんだ、簡単じゃあん。
 

これが、SBIG社のスタンドアローン・オートガイダー「ST-4」です。
 

しかし、本体だけではガイド星がうまく入らないので、結構高いフリップメイトも購入しました。内部にミラーが入っており、直接ガイド星を見て、ガイド星を真ん中に持ってくることが出来る様になりました。
 

2000年、岡山県美星町で、高橋製作所MT-160に「ST-4」を装備した写真です。赤道儀は、自動導入装置を改造して取り付けた「高橋製作所のEM200 Temma Jr.」です。


貧相アブ衛門の嘆き1.009


2021年9月6日(月)


前の写真の再処理。


 ネタが寝たので、前に撮った写真の再処理です。
 

 2021年5月3日に、大山の鏡ヶ成で撮った「烏ヶ山と星達」です。タイムラプス撮影した15秒露出のJPEG画像からの処理です。
 光害は、一番ひどい時よりは少しマシになったような気がします。でも、1977年7月以降、水銀灯が付いたりで、かつての星空の園の姿はかなり消えてしまいました。これも、観光客を入れるためには仕方が無いことなんでしょうねぇ。
 

2021年5月4日に烏ヶ山に登った時の写真の再処理です。元画像では、彩度が不足しすぎていましたので「Luminar AI」、「Topaz De Noise AI」、「Photoshop2021」で再処理してみました。あ、あんまし変わらんか?


貧相アブ衛門の嘆き1.008


2021年9月5日(日)


県をまたいでの移動がまずいので・・・


 山陰でも、新型コロナウィルス感染者の数が増えています。まあ、都会から比べたら、かなりマシなのですけどね。でも、県境を越えての移動自粛が要請されていますので、またも「エバーランド奥大山」と「鏡ヶ成」へのドライブです。マンネリやのぉー。
 

「エバーランド奥大山」にある「幸福の鐘」と大山南壁です。ここで、ある年配の方に「木谷沢渓谷」の道の状況等を聞かれました。アホ衛門は、何度か行ったことがありますからね。ちょちょいのちょいです。
 

奥大山スキー場を少し登ると、大山南壁がとても綺麗です。ここで、タイムラプス撮影してみたいな。でも、最近、大山付近で熊の目撃例があるようなので、チト恐いような気もします。
 

鏡ヶ成に着きましたが、天候はこんなんです。今年は夏がないなぁ。異常気象の年だなぁ。大山は、紺碧の空と白い雲が似合うんだけどなぁ。
 

前に、鮮やかな花はもう殆どありません、みたいな事を書いていましたが、鏡ヶ成駐車場の脇には、白とピンクの「フウロウソウ」と、ジシバリでしょうか、黄色い花がまだ咲き乱れていました。
 

鏡ヶ成の草原とキャンプ場の間にある「発狂トンネル」。1977年夏のこと、音が反響するので、当時グリークラブに入っていた「タチゲ」が突然発声練習を始めたのです。それで皆が「うわー、タチゲが壊れたと」・・・てなことで「発狂トンネル」と命名しました。
 

 その昔、このキャンプサイトでよくテンパっていました。当時は、こんな段差はありませんでしたし、左の炊事場のある建物も、実にきちゃなくて古いものでしたけどね。
 ふと、あの頃の事を思い出しました。夜食用のおにぎりを作っていたのですが、何個かは無茶苦茶辛いものを作りました。それを食べた人が大当たりです。当時の鏡ヶ成の星空は、まさに腰を抜かさんばかりの強烈なものでした。低空でも全く減光されずに星がギラギラ輝いていました。かつて、神戸大学天文研をして「恐怖心すら感じる異様な星空」と言わしめた絶品の星空の園でした。
 

 妄想的合成写真です。烏ヶ山のシルエットは、昼間に撮ったものを加工して真っ黒にして切り抜きました。いて座の銀河は実際に、鏡ヶ成で2018年6月に撮ったものです。人物は、南高時代の実際の写真です。私以外は、サングラスをかけさせたり、眼鏡に加工をしています。左の女性は、野郎だけでは寂しいので、合成しました。おお、この辺りがアホ衛門たる所以ぢゃな。
 前にも書きましたが、烏ヶ山の後ろに、いて座の銀河が輝くことはありません。方向が違いますからねぇ。でも、こんな合成写真の方が、当時のイメージに近いかも知れません。あの時に味わった感動は一生ものですよ。


貧相アブ衛門の嘆き1.007


2021年9月4日(土)


何やかんやの写真を大アップぢゃ。アホぢゃ。


 何か、体調が戻りませんねぇ。あ、そう、そう、宝くじが600円当たっておりました。最低でも3.000万円は当たっているはずでした。おかしい。何もかもおかしい。どっひゃひゃひゃ。おかしいので笑っておきました。
 
 てなことで、(何がてなことか、不明。)怒濤の写真アップぢゃ。結構重複写真あり。ご免なんしょ。
 

 1985年8月に、初めて長野県野辺山の民宿「こっつぁんち」に行く前に、つかった露天風呂。何ちゅー名前の温泉か記憶がございません。ジジイは忘れるのぢゃ。
 見よ、アホ衛門の豊満な身体。惚れるなよ。特に全国の女子高生の皆さん。(今、自分で自分を死刑にしておきました。)
 

これは、何時撮ったのでしょうか?長野県の入笠山に天文台があると聞いて、オートバイで見に行きました。と言っても、ただ外から見るだけでした。つ、つまらん。
 

1989年8月に「こっつぁんち」に行きました。その際、臼田の電波望遠鏡も見に行きました。「タチゲ」は、フルカウルのオンロードオートバイで、この砂利道を走るのはしんどかったでしょうねぇ。(左のオートバイ)
 

同じ1989年には、乗鞍岳にも行ってみました。当時、私はヤマハDT200R(上の右のオートバイ)に乗っていましたが、2ストのオートバイは、高山病がひどいのよ。まるで、原チャリ位のパワーしか出ませんでしたよ。
 何故か、口先をとんがらかして、左手の指を2本立てています。ん?これは、もしかしたら「スタン・ハンセン」の「テキサスロングホーン」なのか?
 「スタン・ハンセン」は、プロレスラーでして、その必殺技「ウエスタン・ラリアット」は最強でした。
 さて、ご覧の通り、この当時、乗鞍岳はマイカー規制がまだなくて、車の数が半端ないですね。
  

盆休みなのに、乗鞍岳には、結構な残雪がありました。あ、後ろのおばちゃんが、何じゃこの人は!!みたいな顔をしていますぞ。(もしかしたら、オートバイのギアではなく、スキーウェアを着ているとでも思われたのでしょうか?)
  

乗鞍岳で、ちと、眼鏡を外して、真顔なアホ衛門です。「レッドホライゾン」のウエストバックがアホ程でかい。
 

2016年8月、徳沢に行く前に、上高地の河童橋にも寄りました。
 

河童橋で写真を撮ると、直ぐに奥上高地の徳沢に行きました。「徳沢園」の建物は、骨格こそ昔のなごりがありますが、見る度にその姿を変えています。
 

2016年8月、徳沢から見た薄明の中の北斗七星です。
 

これも2016年の写真です。北斗七星が明神岳、前穂岳に沈んでいきました。
 

これも、2016年8月に徳沢で撮ったものです。ドノーマルのNikonD810でガイド撮影したものです。夏の大三角が沈んで行きます。・・・げぇー、アルタイルが画角に入っとらんがな。どこが夏の大三角ぢゃ。
 

徳沢に寄った後には「こっつぁんち」にも行きました。あー、また、皆でどんちゃん騒ぎしたいなぁ。
 

 おまけの写真だよーん。これは、2020年4月28日に、鳥取県の鏡ヶ成近くで、天体写真を撮っていた時の、記念写真です。ピントが甘かったので、Photoshop2012のスマートシャープである程度何とかごまかしました。また、カメラアングルのせいもあって、ただでさえ、とーっても短い足が、あり得ない程短く写っていましたので、Photoshopで修正して人並みの足の長さにしておきました。(ん?これで人並みか?)
 ちなみに、この日は、風は弱い日だったのですが、時折、向こうの木々などがザワザワと音をたてると、しばらくして、この望遠鏡にも風が当たってきました。撮影した写真を見て、その時は、星像が団子状になっていました。μ250CRSに乗せる赤道儀は、やはりEM200 Temma 2 Zでは貧弱すぎましたね。風の影響が殆どないベランダ撮影では、EM200でも何とかなるんですけどねぇ。って、このところの遠征ので、NJP Temma 2 赤道儀の出動はまるでありません。アホぢゃ。ジジイぢゃ。


貧相アブ衛門の嘆き1.006


2021年9月2日(木)


9月でっしぇー!


 体調の極悪のアホ衛門は、本日、有給休暇をきました。異常なまでの睡魔に、意識朦朧状態。そして、胸も背中も痛てぇーのよ。このまま仕事をしていては、車の運転中に事故るなって思っていましたからねぇ。
 

 いつもの文面とまるで関係ない写真。2005年に鳥取県の大山を登った時の写真です。黄色い矢印の場所が、多分「ラクダの背」だと思います。大山は、実にもろいので、死ぬほど恐いです。「ラクダの背」は、1979年7月の縦走の時に「死を覚悟した」場所ですよ。「ラクダの背」ばかりではなく、縦走路の殆どで、一瞬たりとも気が抜けません。「もう一度縦走したい。」なんて事は、全く思っておりません。
 そう言えば、1979年の流血の縦走の後の話です。名古屋勤務時代に、鏡ヶ成から、烏ヶ山、キリン峠、剣ヶ峰、天狗ヶ峰、弥山を大縦走しました。大川寺まで一気に下りました。大川寺からは、バスで鏡ヶ成に戻ろうとしたのですが、既に、その時間バスは走っていませんでした。そのため、鏡ヶ成まで、かなりの距離を歩いて戻りました。水を補給した程度で、殆ど休憩もしないで、とんでもないスピードで10時間程歩きました。
 と、鏡ヶ成にテンパっていたテントが、雨と強風でひっくり返っていました。しかたなく、オートバイに乗ってお袋の家に泊めてもらいました。疲れすぎて、食事がまるで喉を通らなかったことを思い出しました。ようあんなこと出来たなぁ。しかし、何故、あれだけ恐ろしい縦走路をあれだけのスピードで歩けたのか?それは、小雨が降っていて、下が見えなかったからです。見えていたら恐くて歩けなかったでしょうね。おほほ。
 

前にもアップした1979年の写真。現在、剣ヶ峰は、標高1.729mの様ですが、この時は1.731mと表示されています。「ラクダの背」で、死を覚悟した後でしたので、「生きてたどり着いた。」とホッとしまくっています。(写っているのは、左がアホ衛門で、右がバクタです。タチゲはカメラマンでしたので、この写真には写っていません。)しかし、この後も、実に恐かったですよ。振子沢に向かう、急勾配の下りで「タチゲ」が岩場に顔面着地し、結構な流血。その後も、駒鳥小屋を目指したのに、迷ってしまったり・・・当然、登山は中止に・・・
 

 これは、1979年7月の大山の「石室」(いしむろ)で撮ったアホ衛門です。子猫を抱いているのが分かりますでしょうか?元々はカラー写真だったのですが、モノクロに焼き直した写真しか残っていませんでした。そこで「Photoshop2021」で、そこそこにカラー化しました。
 大山登頂した夜に、まさかの蛍の大乱舞を見ました。しかし、夜になると、いつのまにか、機材を置いている部屋に鍵をかけられていました。こ、これでは写真を撮ることが出来ない。
 色々先のことも考えて、翌日、水の補給も兼ねて登山口の下山キャンプ場まで下り、そして、猛烈なスピードで、この8合目付近にある「石室」まで登ってきました。ここなら、気兼ねなく天体写真が撮れるだろうと。天候はイマイチでしたが、早い時間には星空が見ていました。石室のコンクリートの屋根の部分に座って、バクが「ほぉー、あれが天の川かね。よく見えるね。」と一言。石室の中には、大正時代の落書きが残っていました。
 と、山頂小屋で知り合った猫の「ミーコ君」が、タチゲと一緒に、石室までついてきました。こんな子猫を、このままにしておいては危ないと、山頂小屋の青年?に戻してあげました。何か懐かしい思い出です。