2025年5月2日(金)
5月1日だが、午後5時15分頃だったか、「いいちこ」の残量が少なかったので、ローソンに行こうと思ったところ、留守電が入っているのに気がついた。多分、シャワーを浴びていた時にかかってきたのだろう。○○銀行のSさんからだった。折り返し電話をすると、次回の面談日に関してのものだった。5月15日の、午前10時位が良いが、どうかと言うことだった。パソコンを開くと、ようやく予約が取れたハーミー歯科の受診が丁度その日の10時だったので、13:30頃ならOKだが、姉の都合は分からないので確認しておいてほしいと連絡。
尚、おひとり様信託の関係で、友人の生年月日をまだ調べていなかったので、慌てて、タチゲに電話をした。これが、結構な長電話になった。今日も、手伝って貰って田植えをし、明日も続きをするとのこと。
次に、グビタにも電話をした。グビタは、今度また一緒に天体写真撮影を氏よと言ってくれた。
これで、想定外の時間を食ってしまった。その後、ローソンで、いいちこ、カルピス、アイスを買って戻ってきた。
心配になったので、姉に電話をしておいた。○○銀行のSさんが、姉にかけていたつもりで、私に電話をしたので、おかしいことになっていた。姉は、その日は生協の日だったが、Sさんからは、15日の13:30しか空いていないと言った感じの連絡だったそうだ。まあ、何とか了解を得た。
こんなことがあり、午後5時過ぎか、少なくても午後6時には「いいちこ」をかっくらって寝るつもりだったが、午後8時になってしまった。また、タチゲとの電話の際に、人間ドックの話が出て、案内の書類が届いていたことを思い出した。しかし、間違って捨ててしまったのか、いくら探してもない。姉に書類の内容を確認したので、後日、市役所に確認することにした。
眠気が襲ってこなかったが、中途覚醒の起こりづらい「サイレース」なる眠剤を飲んだせいで、何とか寝ていたようだ。しかし、直ぐに目が覚める。時計を見るとまだ午後10時。ぐぇー、2時間ほどしか寝ていないじゃないか。二度寝がなかなか出来ない。仕方が無いので、寝られなくても横になっているだけでも良いと諦めた。しかし、午前1時の目覚ましで目が覚めた。結局、眠りは浅かったが、寝ていたようだ、多分。
そこから、用意をした。昨日の内に、ほぼ終わっていたが、食パン2斤とブラックコーヒーを飲み、身体だけシャワーを浴びた。
と、別にチンタラしていたつもりはなかったが、出発が午前2時24分になってしまった。当初は、0時か、遅くても1時に出発する予定だったのだが。外は、結構な雨が降っている。まあ、これは予報通りだ。
結局、中国自動車道の作用ICには4時14分に通過。このため、たった14分遅れで、夜間割引が出来なかった。その後、雨の平日と言うこともあり渋滞は全くと言って良いほど無かった。
走っていると、少し眠気が差してきた。そのため、それほど行きたい訳ではなかったが、5時8分赤松PAにて、トイレにも寄って短い休憩をとった。
ここが赤松PAだ。雨が降っておりますな。午前5時8分。
赤松PAで、車の中から自撮りです。まだ、外は暗いですね。
6時42分、湖東三山PAで念のためのトイレと、休憩をほんの少し。
8時4分神坂PAで休憩を少し。ここで、わさびチーズと、バームクーヘンの切れ端?を買った。バームクーヘンは、後に、「こっつぁん」に渡した。
小淵沢ICから降りて、割とすぐにあるENEOSでガソリンを満タン。@179×39.6L=7.088円。この際の燃費は15.9km/Lと、思った程伸びなかった。雨が強かったせいか?そにれしても、ガソリン代が、ますます高くなっているよねぇ。岡山時代には、一時期83円/Lだったこともあるのにね。
午前11時10分、山梨県清里にある、じゃがいも料理の「ふきのとう」に着いた。始めは準備中の看板が出ていたが、すぐに営業中の看板に変わった。相変わらず、ジャガカレーとホットコーヒー1.600円也を食した。息子の大ちゃんが採ってきたものらしい、立派なタラの芽のバターソテー3本をおまけで貰った。ちなみに、この店主のニックネームは「農薬さん」なのだ。なんちゅー、ニックネーム。
ここで、長野県野辺山にある民宿の宿主の「こっつぁん」は、足が悪いらしく、あまり歩けないとの情報を貰った。借りていた畑も「こっつぁんち」では、もう食事を出さないこともあり、現在は、返却してもう使っていないとのこと。
尚、開業は「ふきのとう」が、少し遅いが、「こっつぁんち」と同じ年とのこと。確か、農薬さんは71歳とか。さすがに、疲れてきたので、週休3日にしようかと言われていた。
尚、農薬さんの話では、清里は、駅の近くにお店が沢山あってかつては賑わっていたが、単なる土産物屋さんしかないので、駅周辺での集客力は無くなったとのこと。但し、萌木の里とか、今でも賑わっているところはあるとのことだった。確かに、昔は、駅前にもギャルが沢山いたよね。「今日は、ギャルウォッチングに行ってくるわ。」など言うギャグを言っていたことが懐かしい。
「ふきのとう」を、出る頃には、雨が強くなってきた。「こっつぁんち」横を通るが、こっつぁんの息子のTちゃんが営業している「カナディアン・ロッキー」のお客さんらしき車が2台止まっていたので、通り越して13時15分頃に、平沢峠に行ってきた。他に、車が2〜3台ほど。雨が降っていて寒かったので、トイレに行き、少々時間を潰した。しかし、車の中では、特にやることも無かったので、早々に電波望遠鏡の脇を車で通った。農薬さんが言われていたが、迷探偵コナンの映画の人気で、駅前などからバスで、行くようになっているようで、一般車は入れなかった。
雨が降っていたので「ふきのとう」では写真を撮るのを忘れていました。あはは。惚けジジイぢゃ。
そのまま「こっつぁんち」に行く。午後2時ほんの少し前?結構な雨。今回は、貸し切りで「デネブ」という部屋にに泊まることになった。すくなくとも、ここ数年は、デネブに泊まったことはない。仲間がいると、ドミトリーになるので、安くなるのだが、今回は、スタックもおまさ氏も来られない様なので仕方が無い。
こっつぁんちに着いた時も、雨が結構降っていました。
丁度そんな時「カナディアン・ロッキー」に入っていくお客さんがおられました。
ここ最近は、この「デネブ」の部屋に泊まったことはない。人数がすくないこともあり、貸し切りで泊まれた。その代わり、代金は少し高くなった。
「こっつぁん」は、息子のTちゃんがバリカンでカットして髪の毛が短いこともあるが、かなり痩せて、尚且つ老けた様に見えた。でも、体重は変わっていないとのこと。足はむくんでいるのだが、今までの検査では異常は無いとのこと。「こっつぁん」のふくらはぎを触ってみるが、以前のゴム鞠の様な素晴らしい筋肉では無く、パンパンに腫れていた。早く良くなると良いねぇ。
「こっつぁん」の奥様の「うまちゃん」は、ショートカットになっていて、かわいらしい感じになっていた。「おお、シティガールみたいで可愛いですね。」と私。
尚、「うまちゃん」から、最終日に、佐久市にある三輪舎からの帰り道を教えて貰った。高速をずっと走ると、大回りで、尚且つ大金を取られる。なので、下道を教えて貰ったが、果たして明日覚えているだろうか?15分程度のロスで済むらしい。しかし、そもそも、一番混む時期なので、その道で良いのだろうか?
暗くなってから、トウモロコシ大好き、と言うことから、大好きなTさんと、変に略されて呼ばれる様になったTさんと、コナン人気で、電波望遠鏡の解説で急遽呼び出された、高専4年のYさんが来られた。Yさんは、学校で天体関係の機材を作っているのだそうだ。「量子もつれ」の話も私よりはずっと詳しく知っていた。私が「ここには、1985年から来ているんですよ。」と言うと「僕が生まれる20年ほど前ですね。」と。私より、少し年上のTさんと「えっ?」と顔を合わせて、呆然。そりゃ、年取るはずだよ。
Yさんは、野辺山天文台の台長?と関係があるらしく、今回のガイドツアーの解説員として、呼び出されたようでした。「天文台の台長って、結構お年の方なんでしょうね?「否、若いですよ。多分40歳位。」ここで、こっつぁんからも教えて頂いた。その台長さんは、2023年5月に、こっつぁんを含めて一緒にタラの芽を採りに行った方だった。ああ、あの人だったのか?小さなお子さん連れだったし、確かに若い台長さんです。
Yさんによると、45m電波望遠鏡は、傾けたりすると、微妙に放物面がズレるのだが、以前は、そのズレを考慮して、放物面を補正する技を持っている人がいたのだそうだ。しかし、退職されたのだそうだ。どの世界にも達人がいるのだ。
ところで、Tさんは、神戸に家があるが、神奈川で単身赴任。私より少し年上。Tさんは、キャンディーズのファンなのだ。本当は美樹ちゃんのファンだが、現在、芸能活動を唯一行っている蘭ちゃんの応援をしているとのこと。21時から蘭ちゃんのラジオを聞いていた。乙女チックやのぉー。(メンバーの一人である田中スーちゃんは、お亡くなりになっている。)
私は、午後9時から、ジブリの「君たちはどう生きるか」を細切れで見ていた。なので、内容が殆ど理解出来なかった。こっつぁんと、Tさんと、Yさんも加わって「いいちこ」何ぞを飲んでいた。私は、部屋に戻ってからも紙コップのわずかばかりの「いいちこ」と薬を飲んでいた。寝たのは、0時頃か?電灯もストーブも付けっ放しで寝ていたようだ。とにかく、今日は寒かったのだ。初めは、ストーブなんか要らないよって思っていたが、そのうち耐えがたくなって、付ける事になったのだ。先日は、最低気温が-5℃になったと言うことだ。
尚、私は、バスタブには入らず、シャワーだけにした。
2025年5月3日(土)
本日は午前6時半頃目が覚める。まだ寒いし、霧がかかっている。
実は、昨日19時半過ぎに、おまさ氏から、メールが届いていた。明日の「タラの芽採り」は、野辺山天文台の駐車場が使えないので、どうしたものかと言う内容だった。マジで、困っている。平沢峠で停める方法もあるが、満車かもしれない。
その後、3人で食事をした後、特に予定を決めていないTさんと、歩いて、野辺山電波望遠鏡天文台に行ってきた。朝だというのに、どえらい人だ。何十年もここに来ているのに、こんな混雑は見たことがない。その後、ベジタブルボー・ウィズの屋上に人がいるのを見つけた。屋上があるのを初めて知った。Tさんと行ってみた。視界が開けているので、景色が実に良い。八ヶ岳がとても綺麗だ。
午前7時5分の「こっつぁんち」。この時間帯は、まだ腫れていなかった。
こっつぁんちの駐車場に生えている「小梨の木」だ。カナディアン・ロッキーが出来る時に、撤去する予定だったのだが、残してくれた。この木には、思い出がいっぱい残っている。ああ、5月4日になって「こっつぁんちの桜はどうだった?」と聞かれたが全く記憶無し。上の写真を見ると、どうやら、桜の木は伐採された可能性が高い。毎回、桜の開花の時期が異なるので「おお、今年はもう散っているよ。」とか「今年は、まるでつぼみのままだ。」と言っていたことを思い出しました。
こっつぁんちの前の畑は、まだ連作障害のため、消毒中だった。
細い道を歩いていると、野辺山45m電波望遠鏡が見えてきた。
野辺山の畑には、以前は黒いマルチがかけてあったが、現在は、温度が上がりすぎらないように白いマルチが圧倒的に多くなっていた。
と、突然、ガスが切れ始め、八ヶ岳の山頂付近が見えてきた。
野辺山電波望遠鏡の天文台は、午前9時過ぎなのに、すごい人がいた。この写真では、あまりイメージが沸かないと思うのですが・・・
ガイドツアーは、有料です。私たちは、スマフォで登録して、説明なしで見学しました。まあ、アホほどここへは来ていますので・・・
大好きなTさんと、45m電波望遠鏡だ。何でも、この天文台、予算がなかなか下りないので、コナン人気にあやかって色々とやって、予算を何とか付けてもらうように必死なのだそうだ。Yさんも、ガイドツアーのお手伝いをしているとのことだったが、姿が見えなかった。
これは、ミリ波干渉計ですね。こっちも、複数あって格好良い。
ミリ波干渉計を裏側から撮ってみました。意外に、裏側から撮っていなかったなぁ。
45m電波望遠鏡には、コナンのポスターが貼り付けてあった。
この場所、初めて電波望遠鏡を見に来た1985年にも撮ったことがある。そこには、若き日の「タチゲ」がいた。レールが見えているが「あれ?こんな所に、小海線の線路があったかなぁ?」と思っていた。実は、電波望遠鏡を移動させる為のレールだそうだ。
ベジタブルボー・ウィズの屋上から見ると、視界を遮るものがなくて、八ヶ岳が実に綺麗だ。
八ヶ岳を300mm望遠で撮ったもの。これは、ガスがかかっているのではなく、山頂付近はブリザード状態になっているのでは・・・
それから、ふきのとうで、Tさんと食事をとった。私はと言うと、じゃがいもとベーコンのとろろオムレツにふきのとう入りソーセージを食した。
今回「ふきのとう」で食べたのがこの料理だ。
奮発して「ふきのとう入りソーセージ」も食べた。結構高いが、実にうまい。
「ふきのとう」は、かつて「堀北真希さん」や「杉村太陽さん」などが来て撮影を行ったことがある、風情のあるレストランだ。
「ふきのとう」の横には、昭和の懐かしいレトロな「昭和堂」があるが、駄菓子屋さんの卸会社が無くなってしまったので、現在休業中だった。
その後、Tさんも特に予定がないのとのことで、私の車で、双葉町の「シャトレーゼ・ベルフォーレワイナリー」に行くことにした。ナビの指示通りに走ったのだが「あれ?こんな道とはちゃうやろう!」と思える程、変な道だった。しかし、途中の新緑が実に鮮やかで綺麗だった。Tさんも、新緑が好きなようだった。更に、韮崎辺りでは、富士山が実に大きく素晴らしい姿を見せてくれた。残雪は、昨年の二倍くらいあったんだじゃいかな?
さて、双葉町のシャトレーゼ・ベルフォーレワイナリーは、雪印だった頃は、人がかなり沢山来られていたが、今は、工場がメインになっているのか、人はあまり多くなかった。尚、店の下の駐車場まで、車が停めることが出来た。一番下に停めてしまった。完全なアホぢゃ。先回も行っているはずなのにねぇ。
ここで、サラミ、チーズ、小さな白ワインを買った。おまけのアイスクリームは、お店の中で食べた。
勘違いして、一番下の駐車場に車を停めたので、エッチラホッチラと坂道を歩いて「シャトレーゼ・ベルフォーレワイナリー」にやって来た。この坂道にも思い出が沢山ある。
大好きな?Tさんと、アイスクリームを食べました。Tさんは、もう少し若いと時は「久米宏さん」にソックリだったんですよ。
雪印の時にあった、甘口のとても美味しいワイン、通称ブルーボトルは、原酒が入らないとのことで、ずっと販売していません。残念。
今回買ったのがこれです。サラミは、食事代わりに、帰宅後すぐに喰っちゃいました。健康に悪し。
夜は、一人温泉に行っていたTさんの帰りが遅かったので、先に、カナディアン・ロッキーで、きのこカレーを食べた。食べ終わった時に、Tさんがお店に入ってきた。滝見の湯に入って来られたたのだが、私は、そこで食事も済ませてくるかと思っていた。Tさんが戻ってきたので、私はジェラートのシングルを追加注文した。固まりが2個あったので「あれぇー?シングルを頼んだと思ったんですけど。」と言うと「それシングルですよ。」と、うまちゃん。これは、何か得した気分になった。
夜は、愛媛から来られた、ご夫婦と、その長男さんが来られていた。よそんちの、元別荘だった建物をリフォームして出来た「きらりNOBEYAMA」に泊まられている。夜間高速バスで、新宿まで来られ、そこからは、自由席の特急などで来られたのだそうだ。
長男さんは、もっと若いと思っていたが、25歳。東京の某所で小学校で図工の先生をやられているとのこと。中学校の図工では、興味の無い学生は、つまらなそうにしていたが、小学生は図工の時間、とても目を輝かせていたとのことで、小学校でも図工の先生の枠があるそのエリアで、先生になったとのこと。
何でも、星にも興味があるとのことで、外に出てみた。北斗七星などが、ガスの合間から見えたので、超簡単なご説明をさせてもらった。
この家族、昨年は、コナン人気を知らずに、函館に行っていたのだそうだ。何で、こんなに混んでいるのかが、初めは分からなかったそうだ。恐るべし、コナン人気。
それにしても、調子をこいて、エラそうな話をしてしまった。人生なんて、初めが良くても後がボロボロな人もいる。その逆の人もいる。人生なんて、終わってみれば、結局、どんな人も同じで、チャラではないかと。
尚、このご家族は、お酒は大好きとのことだったが、夜遅くなっても、来られなかった。風呂の様子を見に来られていたが・・・
私は、相変わらず、シャワーのみ。
2025年5月4日(日)
午前7時頃に完全に起きる。その後、朝食をとった。と、昨晩姿が見えなかった、Yさんがいた。何でも、23時半頃「こっつぁんち」に戻ってきたが、鍵が閉まっていたので、天文台の関連施設?で寝てきたのだそうだ。何か気の毒。でも、そちらで楽しまれたので別に良いか?
「こっつぁんち」の看板。こっつぁんも、年をとったので、昔の様な宿ではなくなってしまった。沢山の思い出をありがとう!
と、おまさ氏から電話があったので、とりあえず「平沢峠」に9時前に着いた。実は、もっと早い時間にオマサ氏からメールが2件ほど入っていたが気がつかず。
しかし、丁度満車になっていたので、野辺山スキー場の駐車場に車を停めことにした。ちょっと歩かないといけないが、逆に良い運動になる。
ちなみに、おまさ氏は、スキーで足首を捻挫したとのこと。何でも、足首が反対の方向を向いていたらしい。そのため、今回、登山はNGとのことだった。
そこから、飯盛山の登山道の登り口辺りで、少ないながらタラの芽を採った。
その後、杣添川(そまぞえがわ)に行った。「こっつぁん」に、何度か連れてもらった場所でもあり、以前は、こっつぁんちの「お釜パーティ」が行われていた場所ではないか?1992年には、バーベキューをした場所にも近い。また、行く道が違っていて、気がつかなかったが、携帯電話の電波塔がある場所に車を停めて、牧場を横切って、ここには、何度も行っていたのだ。うーむ、時代によって、この場所も,結構姿を変えているのだ。
まだ、関係者の車だけしか通れない林道を、徒歩で行くと、その脇で、タラの芽もいくらか採れたし、コゴミは大量だった。今回は、対岸に渡らないことにしたため、モンベルの登山靴を履いた。この際だったと思うが、おまさ氏が、小枝で目を打ち、結膜下充血と、一部は少し出血していた。
この林道の脇で「タラの芽」を少々。この下で「コゴミ」を大量に採ることが出来ました。
食事は、あいもかわらず「ふきのとう」で。農薬さんは、顔に疲労は感じられなかったが、やはり疲れていたのか、最初、反応は良くなかった。奥様にによると、昨日の昼食は、午後4時だったそうだ。そりゃ、疲れるわな。
私は、ジャガカレーとコーヒーを食した。午前11時から12時まで。
この日、食べたのが、恒例の「ジャガカレー」です。うまし。
おまさ氏は、目の調子が悪いので、佐久市のダイレックスと言う、ディスカウントストアに寄った。実は、昨年7月に、三輪舎に何泊も泊まったが、ここへは、何度も行っていたのである。処方薬の様な、ちゃんとした抗菌剤はなかったので、おもさ氏は、それなりの抗菌作用のある目薬を購入した。
午後5時に三輪舎に着いた。既に、スタック氏の車が停まっていた。スタックは、お母さんの調子が良くないので、三輪舎には来られないかも知れないと言っていたので「あれー?来とるがな。」てな感じだった。
三輪舎の食事は、結構な品揃えと量があって素晴らしい。それでいて、1泊7.000円なので助かる。今夜は「こっつぁんち」で出会った「親方」と勝手にニックネームを付けていた方から、タケノコが送られてきていて、竹の子ご飯が出ていた。人気がとてもあり、直ぐに無くなってしまった。
記録を直ぐ録っていなかったので、記憶が曖昧だが、確か○○銀行勤務の、背のかなり高い男性と、その奥様が泊まられていた。
夜は、相変わらずシャワーのみだった。
尚、お客さんが多かったので、おまさ氏と私は、ロフトだった。アルミの、かなり高い階段をかなり登る。ロフトは、当たり前だが狭く、且つ、結構暑かった。
酒を結構飲んでいたが、目がさえていて、全くと言っていいほど眠れない。途中で、睡眠薬を飲んでいなかったことに気づき、慌てて飲んだ。しかし、全く眠れない。おまさ氏のイビキもありぃーの、左を下に横向きにして、寝ようとした。しかし、これがいかんかったようだ。(私のイビキの方が酷かっただろうね。何せ、アレルギーで鼻が詰まっているし、太ってきたからね。)
ところで、この夜、外に出ると、あかる月はあったが、とても良い星空出した。地元米子市では、観望会があったのですが、私は、不参加とさせてもらいました。すんません。
今回、直前まで悩んで、望遠鏡は持って行くのをやめました。ポタ赤や、サイオニクスオーロラプロも持って行ったのですが、一度も出番はなしでした。
この日、ご一緒だったお客様。メカに詳しく、かなりマニアックなお話に花が咲いていたので、話に割り込めませんでした。カワサキのオートバイは、初めZⅡかと思っていましたが、ゼファー750でした。三輪舎さんのFacebookから画像をがめました。
2025年5月5日(月)
起きたのは良いが、あまりにも寝不足。そして、横になって眠ろうとしたので、カチコチに固まっていた左の背中がアホほど痛くて耐えがたいものになってきた。そこで、食堂の床にうつ伏せになると、オマサ氏に、お願いして、背中を踏んでもらった。その後、あまりにも調子が悪く吐き気さえしていたので、そのまま、仰向けでひっくり返ったいた。と、宿主の奥様であるYちゃんが毛布を掛けてくれた。「全くこの人は・・・」と言う感じの表情も浮かべていたが、Yちゃんは優しいのだ。
さて、この日は、スタック氏が、野辺山の「ふきのとう」に行くとのことで、おまさ氏と一緒に行くことになった。
そこで、誰の車を出すかが、少々問題になった。別に私の車を出しても良いけど、この体調で、運転するのは、とても怖いのだ。結局、スタックの車で行くことになった。私は、後部座席で、少しだけ寝ることが出来た。1時間もあれば着くだろうと、10時に出たのだが、着いたのは、何と11時20分頃だったと思う。やはり、この日は混んでいたのだ。
スタックが、自分の車を出してくれた。私は、後部座席で完全にダウン。
その後「クマ工房」に行ってきた。工房の少し手間で「クマさん」が薪割りをしていて、スタック氏が大声で挨拶をしていた。しかし、クマさんはちゃんと認識出来ていただろうか?
「クマ工房」の前で、おまさ氏を写しました。この場所も、長きに渡って思い出がありますね。そにれしても、近くの木々が伐採されて、畑にするとかで、近くの風景が随分変わっていました。これも、時代か・・・
スタックは、リラさんに用事があったので、我々二人は、外で待っていた。今回は、高原ロッジでお店を出しておらず、リラさんは在宅中だった。
リラさんは、とにかくキャラが明るくて面白い。「リラさんは、全然変わりませんね。他の人も、リラさんはバケモンだって言われていますよ。」と言うと「そら、褒めてないだろう?」と。
また、リラさんが「朝は、かなり寒かったけど、今は暖かくなって、頭から芽が生えてくるわ。」と言う。「そんなやつは、おれへんやろー。」と私。
何と、娘の「A ちゃん」は、もう30歳。現在は、奈良に住んでおり、赤ちゃんが生まれる予定なのだそうだ。ありゃー、あの赤ちゃんだった「Aちゃん」がもうそんな年かよ。そりゃ、私も年をとるはずだよ。
まだ「Aちゃん」が学生だった頃、ここに来ると、スタックに向かって「おーい、S。」と呼び捨てで呼んでいた。そこで、スタックは「SじゃなくてSさんだろうが。」と。結構笑える。
その後、クマさんが、かまどを作ったとのことで、家に入られてもらった。大きな災害があった時のために、自給自足的な生活の準備をしておきたいとのこと。後は、電気だけなので、クマさんに水車を作ってくれとお願いしているとのことだ。クマさんは、お願いをしておくと、直ぐには作ってくれないが、何年か後には必ず作ってくれるのだそうだ。
尚、スタックは、農薬さんにもリラさんにも、何やかんや買ってきていた。よく気がつく奴だと思う。私は、ジェニもないので出来ましぇーん。
実は、スタックの家は、旗竿地なのだが、今は入院しているお母さんが、追加で土地を買って、広い土地を持っているのだ。結構な金持ちなのだ。スタックは、70歳まで仕事をすると言ってはいたが。ちょっと、スタックのイメージが変わった。「なんでい、S財閥のお坊ちゃまじゃないかよ。」
ちなみに、スタックのお母さんは体調が悪くて入院したが、この日電話があって、一般病棟に移ったのとのこと。まずは、めでたし、めでたし。
この日、昨年4月にも会った小柄でスキンヘッドの男性に会った。確か、昨年は、仲間とスーパーカブで来ていたが、今回は「HONDAのRebel250」なるオートバイで来られていた。何でも、買ったばかりで、3.000kmも走っていなく、慣らし運転も終わっていないと言われていた。
と、Yちゃんが「あ、オイルが付いている。」と。最初は、チェーンルブが吹き飛んだのかと思っていたが、あるステーの外側にもオイルが付いてたので、リアサスのダンパーからオイルが漏れているんじゃないのかなてな話になった。あれやこれやしていたが、持ち主が、ダンパーを手で触ったところ、ダンパーからのオイル漏れであることが分かった。「あー、慣らし運転も終わっていないのに。」と頭を抱え込む持ち主。
これは、5月6日の朝に、雨の中撮った、お二方のオート。左のオートバイが、リアダンパーからオイル漏れしていたオートバイです。だましだまし、乗って帰り、その後、多分部品交換してもらう予定のようです。
この方のオートバイのリアダンパーからオイル漏れをしていました。この方も、昨年お会いしていました。
その後、昨年も会った、ふくよかな男性が来られた。この方も、昨年は、カブで来られていたが、今回は立派なバイクで来られいた。
夕食の時、そのふくよかな男性のカメラの話から、盛り上がる。その人はEOS10Dを持ってきていた。マニアの友人に聞いてみたところ、もう壊れていると言われていた。確かに、変なエラーセッセージだ出ていた。もうお釈迦だ。しかし、コンタックスのコンパクトフィルムカメラを持ってこられていた。何でも15万円ほどしたとこと。
スタックもおまさ氏も、他のお客さんも、北海道にはよく行っていたので、その話で盛り上がっていた。私は、北海道には一度も行ったことがないのでカヤの外だ。
ところで、バケは、一時期リゾートにに行っていて(入院のこと。)体調は絶好調だが、体力が全く付いてこないと言っていた。
今回のお客さんの中には、癌になったことがある人も多くて「癌仲間」と言っていた。ちと笑えん。だが、私も病気自慢の話には加わることが出来た。この年になると、健康な人はいないのだ。
さて、BTRのお兄さんが、戻ってきたが、何と、転倒して、首や色々な所に痛みが走っているとのことだった。昨日の試合は、レベルが低いとかで、3位だったが、今回は、転倒して最下位だったとのこと。
夜は、山賊焼き、皿うどん?、オマサ氏と私が採ってきた「こごみ」が出て来た。これをマヨネーズと一味唐辛子でまず食べた。その後、コゴミの炊き込みご飯も出て来た。更に、鶏肉の竜田揚げの様なものも出て来た。お腹いっぱいだ。
まずは、おまさ氏と私が採ってきた「コゴミ」をお浸しにしてくれたので、マヨと一味唐辛子で食べました。んまぁー。
この日の夕食がこれだ。この量があって、1泊、朝食、夕食付きで7.00円はとても安い。
さすがに、昨晩は、ほぼ寝ていなかったので、午後9時頃に部屋に戻った。今回は、和室に移り、おまさ氏と、BTRのお兄さんと3人だった。オマサ氏も疲れていたのか、布団に入ると、直ぐ寝入っていた。私は、念の為、耳栓をして布団に潜り込んだ。今回は、仰向けで寝ることにした。どんな格好で寝てもいたいのだが、この方がまだマシなのである。
と、睡眠薬を飲んだせいもあって、私もすぐ寝てしまった。
午前4時半に目が覚めた。まあ、時間にすれば、そこそこ寝たので、まあ、これで二度寝出来ないでもいいっかと思っていた。しかし、少し目が覚めていたが、気がつくと、午前7時のアラームで目が覚めた。つまり、結構寝ていたのだ。これは、とても助かった。
昨日の状態では、とても帰宅することが出来ないと思っていた。これなら、まずは安心だ。オートバイの二人が出発してから、私も出ることにした。まずは、近くのガソリンスタンドで、ガソリンを満タンにすることにした。あれ?おつりが出てこない。周りを見渡すと、ガソリンスタンドの部屋の中に、精算書があったので行ってみた。しかし、何度やっても、バーコードを読み込まない。仕方なく、ブザーを鳴らした。と、かなりの年配のお爺さんが出て来て、バーコードを読み込ませると、簡単に読み込んだ。えっ?何で?角度などいろいろ位置を変えて読み込まさせるようにしたのに・・・これは、タタリか。
ちなみに、出発は9時4分だったか。初めは、北上するルートを考えていたが、距離の面や、渋滞のことを考えて、ルートを変えたのだ。上越自動車道を通り、その後は長野自動車道、中央自動車道、阪神自動車道、中国自動車道、山陰自動車道を通るルートにしたのだ。高速料金が心配だったが、疲れた身体では仕方がない。
BTRに乗ってきた方の車を撮影したが、雨のせいもあってから、旨く写らず。痛みは、次の日になってから出てくるからね。気をつけてね。
神坂PAに12時頃食べた「アジフライ定食」だ。これが、結構旨かった。
雨の中、高速道路はスムースに動いていた。まあ、サンディドラーバーが多いのか、上り坂になるとスピードが落とす者も結構いたな。坂道なんだから、アクセルをある程度踏み込まないと、スピードが落ちるのだ。また、車間距離を詰めてくる、アホな後続車がいた。まじでイライラする。
更に、恵那山トンネルでは、左側の車線を走っていたのだが、前の前の軽自動車が、チンタラ走っていたので、これにもちょっとイライラしていた。スピードの落としすぎ。恵那山トンネルは、進路変更は不可なうえ、とても長いのだ。
京都付近で、渋滞があったが、この辺りはいつも混むところなので覚悟のうえだ。しかし、その渋滞も大したことが無かった。
雨は、ずっと降っていた。それも、結構激しい時もあった。
12時頃、休憩を取った神坂PAでは、席が空いていたので、フードコートみたいな所で「あじフライ定食 850円也」を食べた。こう言った所では、あまり美味しくないこともあるが、ちゃんとした「あじフライ定食」だった。何か、行きと同じ場所で休憩しているぞぉ。
14時3分、これまた、行きと同じ湖東三山PAで休憩をとった。昨晩結構寝たとは言え、疲れが残っているので、フラフラしてきたからだ。マルチビタミンなる小さなペットボトルも購入しておいた。
16時10分前に、加西SAで休憩を取った。頭がボーッとしてきたのだ。いつの頃からだったか、長距離運転をした後、車から降りると、めまいがするようになってきたのだ。もしかしたら、耳石が出来ていて、振動で揺れているのかもしれない。メヌエール氏病の軽い状態かもしれない。コンビニ入ってもフラフラ。トイレをしている時でもフラフラして、倒れるんじゃないかと心配になることもしばしばだ。
ようやく、山陰自動車道に入ってきた。片側一車線の自動車道なのだが、アホな運転する奴がいて、腹が立った。山陰の運転マナーは悪いのだ。
帰宅したのは、19時1分。走行距離約730km。燃費は、計ったように17.6km/Lだった。寸前までは、ずっと17.7km/Lの最高記録を示していたが、最後の最後で、上記の数値になった。うーむ、10時間弱で戻ってこらたのは、早かったのかもしれない。午後8時を過ぎることも、充分に考えていたからね。
走行距離約730km。帰宅時間が、午後7時1分。燃費は17.6km/Lでした。
車を降りると、すぐに、荷物を部屋に戻し、洗濯を行った。
後から思うと、あっと言う間の旅でしたね。
そう言えば「こっつぁんち」の常連客になっている「はっつぁん一家」と「ナベジイ」は、今回来られていませんでしたね。色々と都合もあるんでしょうね。
かつて「こっつぁんち」は、1日で54名だったか泊めたことがあるのだそうですが、今は昔の話になっています。良き昔の、こう言った宿は、人気が無くなったんでしょうかねぇ。?
それから、野辺山電波望遠鏡天文台ですが、日々訪れる人が増えていました。野辺山駅から、ちょっと離れた場所に臨時の駐車場があり、そこからシャトルバスが出ていた。と言ってもハイエース的な車格だ。とても待てない多くの人が、ぞろぞろと行列をなして歩いているのが何度も見えた。