こっつぁんち 2015年5月ゴールデンウィークの旅
これまた、記憶にかなり曖昧なところがありますので、そこんとこヨロピク。

2015年5月1日
 
 出発前日。早く帰宅するつもりだったのに、帰ってみると午後10時。あーあ。午後8時には帰るつもりでいたのにねぇ。これじゃあ、いつもと同じだ。用意がぁぁぁぁ!


2015年5月2日
 
 予想通り用意に手間取り、結局、午前10時22分に出発。また、京滋バイパスに入ろうと思ったが、想定外に混んでおり、気がついたら、ながーい、ながーい、車の行列。もう左折レーンに入れない。そのまま、いったん高速を降り、また乗り直す。そう言えば前もそうだった。結果的にはこっちの方が早く行けるように思う。
 天候は快晴。しかし、アホほどの睡魔が襲ってくる。養老SAで昼食をとる。その後も睡魔がひどく、時折、微妙に車線を越えてしまうことがある。やばいので、何度もSAに入った。
 小淵沢ICでおり、ガソリンを入れる。そして、コンビニで酒やつまみを購入。こっつぁんちに着いたのは、確か午後6時頃。途中、何度もSAで休んだので意外に時間がかかったようだ。
 今日は、ヤマハのSR400と言う4スト単気筒のオートバイに乗ってやって来た30歳代の青年と、家族連れが3パーティ?ほどおられた。(記憶がちと曖昧。ちなみに、ヤマハSR400は超ロングランを続けているオートバイだ。4スト単気筒は高速道路などでは快適とは言えないが、実に味のあるエンジンだからねぇ。)
 天気が良かったので、ビクセンのSXP赤道儀にスカイウォッチャーの18cmマクカセを乗せて、月や木星をその家族に見てもらった。あまり、星に興味のない少年もいたよねぇ。でも、私のことをアブちゃんと慕ってくれている?かわいい奴ぢゃ。若い女性にはもてないのにねぇ。おほほ。
 夜は少人数で酒盛りになった。
 ところで、昨日だったかに、こっつぁんちの玄関先の桜が満開になっていたとのこと。近年この桜は、僕らが帰る頃にようやく咲き始めるのだ。これって、異常気象のなせる技か?
 

これは、翌朝早く撮ったもの。今回はビクセンのSXP赤道儀プラス延長筒に、スカイウォッチャーの18cmマクストーフカセグレンを乗せたものを持って行った。パソコン無しに自動導入するにはこれが一番だ。


 
2015年5月3日
 
 午前9時頃に、ブリザードギャグ軍団の総帥、オマサ氏が登場。朝の4時起きだったそうだ。その後、以前「バケ」と「スタック氏」に教えてもらった秘密の場所に行き、山菜の「こごみ」を採る。今年は暖かいのですでに伸びきっているものが多かった。それでも、濡れて滑りまくる斜面を登ると結構な量がとれた。
 その後、「怪獣」と言われる、これまた秘密の場所で「タラの芽」をとることにした。最初は全く見つからなかったが、悪戦苦闘していると群生地を見つけることが出来、ビックリするほどの量がとれた。
 (しかし、その「こごみ」は、既にこっつぁんが採ったものがあるので、明日の食卓に、「タラの芽」は、料理の都合上、5月5日の夕食に食卓に並ぶことになった。5月5日はお客さんがあまり多くなかったので、余ったものは、オマサ氏が持って帰ることになる。近年記憶に無いほど大漁だったのだ。)
 

これが、「こごみ」だ。マヨネーズであえるとおいちぃー。アク抜きも必要ないので意外に簡単に料理ができるのだそうだ。
 

近年、春の訪れが遅く、ゴールデンウィークにはほとんど採れなくなった「タラの芽」が大漁だった。これは、その一部。
 
 
 ちなみに、昼飯は、恒例である、清里の「ふきのとう」でジャガカレーとコーヒーを、総帥オマサ氏と食す。この日は、オマサ氏の車を出動してもらったので、その代わりに、ここは私のおごりだ。
 

「ふきのとう」では、以前「こっつぁんち」でお会いした方が来られていた。直前まで休みが決まらなかったとかで、こっつぁんちには泊まれず、一端京都に戻った後、また旅に出るとか。
 

「ふきのとう」の玄関前の写真。昨年の夏は、亀仙人がお迎えしてくれていたが、今回は「ドンガバチョ」がお迎えしてくれた。
 
 また、夕方には、岩手からはるばる700kmも車を運転してきた「Nジイ」と、こっつぁんちの陰の社長と呼ばれる「スタック氏」もやって来た。何か、昔の「こっつぁんち」のメンバーが揃った感じだ。
 今日のお客さんは、全部で20名。車も10台だ。近年の「こっつぁんち」にはあまりない満室だった。(こりゃあ、失礼。結構満室になることもあるげな。)残念ながら、夜は曇ってきて観望は出来なかった。
 夜は、結構な酒盛りとなり、ベロベロに酔ってしまった。
 

これは、翌4日の朝に撮った写真。例年この桜は帰る時期にようやく咲き始めるのだが、もう葉桜になってしまっている。およよ。


2015年5月4日
 
 突如、Nジイ、スタック氏、オマサ氏と私の4人で、ドライブである。いつもは、ダラダラして、せいぜい山菜採りに行ったり温泉に行ったりするのだが、今回は珍しく名所巡りのドライブだ。
 しかし、私は、寝不足のせいか、途中ですぐに猛烈な睡魔に襲われてきた。オマサ氏に車の運転をかわってもらう。どーも、すんまそん。
 まず寄ったのは、佐久市にある五稜郭だ。「龍岡城」と称し、今は城址となっている。市街地にある函館の五稜郭とは異なり、のどかな田園地帯の集落に位置し、今は敷地に小学校が建っている。
 

これは、佐久市の五稜郭全体の模型だ。
 

これは、五稜郭のお堀だ。
 
 次に行ったのは、東御市にある海野宿(うんのじゅく)である。ここは、北国街道の宿場なのだ。ちょっと江戸時代にタイムスリップした気分になる。
 

 

江戸時代にタイムスリップして海野宿を歩く「オヤジ達」。
 
 こっつぁんちに戻ってくると、「はっつぁん」の車があるのを発見。久しぶりにゴールデンウィークに休みが連続で取れてやって来たのだそうだ。外は小雨が降ってきていている。
 そう言えば、昨年の盆休みにもお会いした三味線弾きの「しん」さんが来ていた。今回は奥様と一緒だ。(奥様で良かったんだよねぇ。違っていたらご免臭い。)夜は、その三味線で合唱が始まった。こっつぁんのハーモニカもなかなかのものだったねぇ。
 

懐かしいメンバーが集まった。この部屋は、以前は「老人憩いの間」とか、「トドの間」と呼ばれていたのだ。(今はトドの間が定着か?)
 

子供達が部屋に戻ると、「しん」さんの三味線(あるいは三線かな?)の演奏で盛り上がる。こっつぁんのハーモニカも何か良い感じ。昔は、ここでフォークコンサートもやっていたんだよ。


2015年5月5日
 
 「今日どこ行くぅ?」「ええ?どうしようか?」「伊那市の高遠城址公園ってのはどうかな?」またしても、突如、Nジイとスタック氏とオマサ氏とまたもやドライブだ。
 高遠城址公園に行くはずだったが、途中目に入った旧平田家住宅にまず入ることになった。天気は途中より快晴。
 
 ネットで探すと、こう書いてあった。「武田信玄の家臣の子孫で江戸時代の大名主だった平田家の古民家。江戸時代中期(17世紀後半)の建築とされ、当時の生活様式を偲ばせる要素を数多く残し、学術的にも貴重な住宅とされています。建物は倒壊のおそれがあったので、平成3年10月から平成5年3月にかけて解体・移築・修理を行いました。国重要文化財。」
 
 
 一番驚いたのは、家の中に馬屋があり、そこに等身大の馬をわらで2体作って飾ってあることだった。受付に、おばちゃんが一人、平田家の中にも、暗い部屋に説明をしてくれるおばちゃんが一人いた。しかし、観光客が少ない状態で、おばちゃんが一人でいるのはつらいだろうなぁ。後で、男3人連れのパーティが入ってきたのだ。
 

これが、藁で作った「お馬さん」暗い部屋のこともあって妙にリアルだ。この家は、天井付近がガラ空きの構造なので、冬はアホほど寒かっただろうねぇ。
 
 次にようやく伊那市にある高遠城址公園に行く。結構歩き、良い運動となった。
 
 これまた、ネットで検索するとこう書いてあった。「武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城は、明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1876年)に公園となりました。高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となりました。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。また、秋にはタカトオコヒガンザクラ独特のほとんど紅葉せずに落葉した公園に、およそ250本のカエデがきれいに色づき紅葉が楽しめます。公園内には、国の登録有形文化財の指定を受けた高遠閣や城下から移築された問屋門、太鼓櫓、新城藤原神社のほか、高遠公園碑、無字の碑、靖国招魂碑などの碑文等、古きを偲ぶ歴史的資料がたくさんあります。春の桜のほかに、夏の新緑、秋の紅葉など年間を通じて多くの観光客がこの城址公園を訪れています。」
 
 ここで、ローメンなる焼きそばのようなものを食す。生ニンニクが入っているのと、ラム肉が入っているのが特徴だ。クマバチがやたら近くを飛んでいたが、ほかのメンバーの話だと、スズメバチと違ってじっとしておれば、攻撃をしてくることはあまりないという。ホンマかー?結構こわかったどー。
 

ローメンを食す「オマサ氏」快晴で気分がとても良い。
 

高遠城址公園の案内看板。

 

城址公園を歩くオヤジ達。
 
 

ここは、ダムが近くにあり、若葉萌える山とすんごくマッチして、とても綺麗だった。
 

展望台から絶景を眺めるオヤジ達。
 

この展望台からは信州ならではの絶景が見られる。スタック氏が、私のスワロフスキーEL8.5x42 SWAROVISIONで覗くと、この双眼鏡の性能の高さにビッツラしていた。霧ヶ峰あたりには車がひっきりなしに走っているのが見ることができた。思い起こせば、若い頃、このビーナスラインを何度もオートバイで走っていたよねぇ。
 

少し視線をずらすと諏訪湖まで見えるのだ。
 
 次に、こっつぁんの奥さまである「ウマちゃん」が欲しがっていた「亀まん頭」を購入しに行った。
 
 その後、帰途につくのだが、アホ衛門は突如として強烈な睡魔に襲われた。昨日と同じように、オマサ氏に運転を代わってもらった。何か、とってもやばい状態だどー。
 
 今日は、Nジイ、スタック氏、オマサ氏、はっつぁんと奥さん、一人息子のH君と、親子でかなり久しぶりに来られていたお客さんだけだった。明日の宿泊者は0だと言う。およよ。
 夜は、結構な星空になったが、完全お疲れモードに入っているアホ衛門は、望遠鏡を出すことも無かった。金星がギンギラギンとさりげなく輝いていた。(これって、分かるかなぁ?近藤真彦の歌の台詞だよ。)木星も明るい。5月2日には月明かりで見づらかった、牛飼い座もはっきり見えた。あと、沈みゆく牡牛座何ぞも。
 

夕方、こっつぁんちから面白い光景が見られた。遠くの山や雲だけに陽が当たっているのだ。
 

今回の旅では全く温泉に行かなかった。面倒臭いと言うのもあったが、「こっつぁんち」のボイラーが新しくなって、「こっつぁんち温泉」が快適になったこともあるだ。写っているのはNジイ。
 

この日の晩ご飯。これに、僕らの採ってきた「タラの芽」何ぞが加わる。「ウマちゃん」いつも、おいちい食事をありがとうごぜいますだ。


2015年5月6日
 
 朝もはよから?片付けをし始めた。Nジイとスタック氏は、佐久市の三輪舎にい行くのだという。(通称バケとその奥様が開いた民宿だ。)オマサ氏と私は、とっとと帰ることとなった。何と、オマサ氏は翌日の午前2時に突如仕事が入ったとのこと。なんとまあ、ご苦労様です。
 
 と言っても、私は、まずは平沢峠に行って、八ヶ岳を見て、その後、小海線の野辺山駅の近くで土産物を買ってから帰ったのだよーん。
 

平沢峠から見た八ヶ岳。うつくすぃー。
 

以前有料道路だった場所を下り、小淵沢IC近くで写真を撮る。いつもここで写真を撮っているよねぇ。
 

この場所からは富士山も見えている。今年はちょっと残雪が少なさそう。
 
 渋滞はあまり無かったが、チンタラチンタラと帰ることとした。一端茨木ICで降りて、ちょっとお買い物をしてから帰宅した。まあ、そこそこ疲れましたかのぉ。でも、命の洗濯が出来たよねぇ。