2023年6月5日(月)
 
 梅雨の長雨になる前に、またも登山をしてきました。
 今回の登山は、鳥取県の烏ヶ山です。標高は1.448mです。烏ヶ山は「山陰のマッターホルン」とも呼ばれています。まあ、私としては、それは、ちとオーバーかと・・・何でも、この山は、大昔噴火した時に出来た、火山ドームだそうです。なるへそぉー。だから、あんな形をしているのか?
 

10時23分前に鏡ヶ成の駐車場に着きました。
 

登山口により近い、鏡ヶ成の小さい方の駐車場に車を停めましたが、既に数台の車が停まっていました。右端の、黄色い矢印の車の人は、後から、かなりのスピードで私を追い抜いていった人です。もう、いやーん。
 

新小屋峠は、アスファルトの坂道を上り、倉吉市に入った直ぐの場所にあります。
 

新小屋峠の烏ヶ山登山道入り口に着きました。10時39分に登山開始です。
 

登山道に入って直ぐは、こんななだらかな道です。しかし、標高差500m程ありますので、ずっとなだらかな訳がありません。
 

すぐに、クマ笹の群生地が現れます。
 

クマ笹は、背丈より高くなる場所が何度あります。
 

急斜面ではないのに、2本のザイルが設置した場所があります。この直ぐ上が、分岐点となる峠があります。
 

 例の分岐点に着きました。11時12分です。34分もかかってしまいました。本日は、歩き始めから足取りが重く、すぐに乳酸が溜まる感じでした。こりは、やばいどー。
 尚、この峠は「鳥越峠」ちゅー名前らしいです。私は、ここで、ノースフェイスのデイパックを下ろし、ルイボスティーを飲みました。と、駐車場にいた男性が、ズンズカと抜き去っていきました。いくら私が遅いとは言え、結構なスピードですぞ。私も、わずかの休憩の後、登山を続けました。
 

 結構、頑張って登っていくと、ようやく、烏ヶ山の山頂が見える場所に着きました。
 宇多田ヒカルさんのCMでも、この辺りが写っていたような記憶が・・・
 ネット検索してみますと、やはり、彼女は「新小屋峠」から登山されたようですね。
 

 
 

ザイルが設置された場所が何度も登場します。
 

何と、登山開始して1時間17分もかかって「新小屋別れ分岐点」に着きました。勝手に「第一ピーク直下」と呼んでいた場所です。
 

これは、下山途中に撮ったのですが、この場所の少し上で、宇多田ヒカルさんが岩に腰掛けてCMを撮っておられました。このピークは、南峰山頂とも言われています。iPhone 12 Proの広角で撮ったので、ちょっと対角魚眼レンズっぽい歪みが生じています。
 

この写真は、2022年5月15日に、鏡ヶ成キャンプ場登山口から登った時の写真です。「新小屋別れ分岐点」ですね。宇多田ヒカルさんは「新小屋峠」から登り、この分岐点に来たのだと思います。(実は、通称ヒカル岩は、この標識の2mか、それ以内程度の距離にありました。おほほ、私はぼけ老人だっちゃ。)
 

何と、その2022年5月15日に登った時に「ヒカル岩」と書いてありました。「誰ぢゃ、こんな落書きをしたのは?」と思っておりましたし「何のこっちゃ?」とも思っていました。宇多田ヒカルさんが、ここに座っているCMが流れていたことを、今日になって初めて理解しました。
 

これが、宇多田ヒカルさんが座っているCMのシーンです。うーむ、なるへそ、確かに「ヒカル岩」と書かれていた場所に酷似していますね。
 

おっと、2021年5月4日に登った時の写真も出てきました。岩の形は、刻々と変わっていますので、一概には言えませんが、多分、黄色い矢印の場所が「ヒカル岩」ではないでしょうか?南峰の頂上付近には人が写っていますね。(完全に間違っていました。もっと上に「ヒカル岩」はありました。)
 

ちなみに何ですが、これは、2001年6月17日に撮った「南峰」です。2000年10月6日に起こった「鳥取県西部地震」で大崩落したのです。この時も、ここまでは登りましたが、茶色い場所の岩が、グラグラ動く浮岩になっていたので、やばいと思って引き返しました。
 

 大山の南峰からは、一端下りになります。ここからの、烏ヶ山山頂と大山南壁と東壁の光景が結構好きなんですよね。チト、快晴ではないのが残念ですが・・・よく見ると、北峰山頂とも言われる、烏ヶ山山頂の大岩にには「新小屋峠」で、あったいう間に抜かれた人が、既に登っていることが分かりました。
 ちなみに、この山頂は北峰と呼ばれていることを、今回初めて知りました。アホほど登っているのに・・・
 

その、大岩の途中で休憩していた男性をトリミングして拡大しました。
 

んで、登頂タイムは、1時間32分28秒でした。かつては、鏡ヶ成キャンプ場コースからだと、1時間かからないタイムで登頂していました。この「新小屋」コースだと10分程余分にかかるとは言え、じぇんじぇん体力が回復していないことが分かります。まあ、前回、5月30日の登頂タイムが、1時間42分程でしたから、10分程短縮していることになります。まあ、現在の年齢と体調を考えれば、少しずつタイムアップすれば良いなと思いましたね。
 山頂の大岩の途中には、あの青年?おっちゃん?が、登っておられ、ブタンガスヒーターで何かを作っておられました。
 他にも、もう一人おられましたが、私の声が小さかったのか、反応はなしです。この方は、低い岩場に腰掛けて食事をされていました。
 私は、ちょっとだけ休み、ルイボスティーを飲んだ後、下山を急ぎました。
 

ちなみに、烏ヶ山山頂から大山を300mm望遠で撮り、トリミングして、ちと画像処理しました。すると、剣ヶ峰の標識の横に、縦走している人が二人写っていました。死ぬなよー。
 

 山頂から少し歩くと、この様に狭い岩の間を、ザイルを頼りに降りる場所があります。以前、Nikon D850を肩にかけていたら、カメラを、あちこちに、ゴッチ、ゴッチとぶつけた場所です。そのため、今回は、D850はデイパックにしまい込んで下山しました。
 
 南峰で(今まで第一ピークと呼んでいた場所)で撮影していると、後方で気配を感じました。あの大岩におられた青年?おっちゃん?です。(ひげを生やしていましたし、お子さんがいると言われていたので、やはり、元気なおっちゃんですね?)あったいう間に追いつかれてしまいました。彼のスタイルは、顔を黒い布で覆い、サングラスをかけていました。「おお、銀行強盗に行くのかしら?」・・・んなアホな。彼は、いろいろな情報から、下山も「新小屋峠」ルートをとるとのことでした。
 

南峰からは、断崖絶壁(ちとオーバーか?)が見られます。2000年の鳥取県西部地震で大崩落した箇所です。2001年に、登りましたが、その時は、茶色い土がむき出しで、岩も浮き石になっておりました。その時は「これは、仮に登れたとしても、無事に降りられるのか?」と思い、引き換えした場所です。
 
 私は言えば、完全に足に来ていましたが、久しぶりに鏡ヶ成キャンプ場へ向かうコースを降りることにしました。
 

 このルートは、南峰から直ぐに、勝手に「一枚岩」と名付けた場所が現れます。フォールド出来るデコボコが、殆どないので、ザイルを頼りに降ります。と言っても、私は、この岩の右側の、枯れ木や土の所を降りましたけどね。おほほ。
 
 このコースは、新小屋峠コースより、少々傾斜がきつく、更に最後の最後の方で、木の伐採のために、重機が入り、広めの道があちこちに枝分かれしています。それも、途中で途切れているのです。そのため、これまでの登山及び下山で、危うく4回も遭難しそうになった場所です。
 
  と言うわけで、赤いテープを注意深く確認しながら下山です。通常、赤いテープが貼ってある場所が、登山道を示しています。黄色いテープは「林業従事者や登山道管理者が立ち木の伐採の目印、或いは切らないための目印としてテープを巻くことがあります。」げな。
 しかし、絶対これが当てはまる訳ではなく、赤いテープが退色して黄色くなっている場合もあるそうなので、注意が必要です。
 
 「あっれー?!赤いテープがあちこちに付いているぞぉ。それに、多分登山客が付けたと思われる、白っぽい紙をよじったような目印も、あちこちについているぞぉ。」
 以前の登山では、赤いテープや黄色いテープは見かけたのですが、これほどの数はなく、途中で途切れていたと思います。道に迷う人が多く、後日、数を増やしたのではないかと、勝手に思っております。
 

 んなことで、また遭難寸前になるのかも知れないと言うのは、全くの杞憂で、簡単に鏡ヶ成登山道入り口に着きました。下山する時に、プロトレックのストップウォッチを押し忘れていたので、ストップウォッチの時間は、合っていません。13時42分に下山ちゅー事ですね。下山した時刻が12時24分でしたから、1時間18分もかかったのであります。遅すぎるわー。まあ、足に来ていて、筋肉痛にもなっていましたから、仕方がないかもです。
 

これが、鏡ヶ成キャンプ場前にある、登山道入り口です。
 

駐車場に着くと、とりあえず、上の下着と服をを着替えました。汗ベッチョリでしたからね。下は、スパッツをはいていたので、意外にベチョベチョとまではいかなかったのですが、腰回りは汗で相当に濡れていました。そこで、それを乾燥させる意味もありぃーの、ジュースが飲みたかったこともありぃーので、今は閉鎖されている旧国民休暇村に行きました。(現在は、下の写真に写っている建物で営業されています。食事も宿泊も出来きますよーん。アホ衛門は一度だけ食事をしたことがあります。)
 

この場所に来ると、いつも撮っている烏ヶ山です。雲が多かったけど、良い光景です。
 

 「Luminar Neo」なるソフトとPhotoshop2023で、晴れた空に加工してみました。わたしゃ、アホか?おほほ。
 

象山も綺麗ですね。こちら側は、青空も結構多いですよ。
 

旧国民休暇村では、念願のジュースを飲みました。
 
 その後、駐車場に戻って、しばし、チンタラしていたら、烏ヶ山の、あの大岩にいた方が、歩いてこられました。「あれっー?あの人のスピードなら、こんな時間に下山してくる訳ないぞ。」
 てなことで、状況を確認してみたら、烏ヶ山を下山後、象山と擬宝珠山まで登ってれたとのことでした。ゲロゲロです。
 ここで、しばし、登山談義が始まります。「私は心身ともボロボロになって、早期退職して、今は言ってみれば、リハビリ中なんです。」と。「昔は、33kgのキスリングを担いで、大山を縦走したり、最初の北アルプスの蝶ヶ岳登山では、37kg近いキスリングを担いで登った事ありましたが、今ではその10分の1の体力もありません。」と、どうでも良い話をしました。
 彼は兵庫県から来たのだそうです。常念岳から蝶ヶ岳を通って下りたことがあると言われておりました。燕岳には、いつか行ってみたいと言われておりましたね。また、六甲の山々を計40kmほど歩いている年配の登山者がいますが、その青年のスピードをもってしても、全くついて行けないスピードで歩かれるのだそうです。
 「いんやー、今時の年配者はすごいや!」ちゅー結論でした。
 
 ところで、彼は、下山中走っていたら、こけて手やクライミングパンツが汚れてしまったのとのことでした。「どこか、トイレか、手を洗うところはありませんかね?」と聞かれました。鏡ヶ成は、今ではすっかり、うちの庭みたいな場所になっているので「トイレならあそこにあります。キャンプ場にも炊事場がありますよ。」と、ご案内申し上げました。
 
 帰宅してから体重を量りました。朝食をとった後で計った体重より2kg減っていました。まあ、一時的なものですが、この近年掲げていた目標体重より減っていました。でも、筋肉も落ちているからなぁ。
 
 帰宅してから、以前の記録を探しておりましたら、鏡ヶ成キャンプ場前からの烏ヶ山登山記録は1999年9月5日に叩き出した54分50秒が最高だったと書いてありました。(これは、もしかしたら、1999年ではなく1998年だった可能性あり。)大学時代は、もっと速かったと思うんですが、詳細な記録はなし。
 烏ヶ山下山記録ですが、残っているものは、1999年5月30日の51分30秒。あれぇー、もっと速く、40分台で下った記憶があるんだけどねぁ。(探しても記録がどこにあったかが不明です。)
 
 ああ、更に、どうでも良い追伸です。
 

新型レヴォーグの前席のシートには、シートカバーを販売店で購入して取り付けております。(汗が付いても、洗えると思ったからです。まあ、実際は、薄すぎるうえ、固定があまり宜しくなく、座って降りる度に、フニャフニャになってしまうのですが。)先回、洗濯した後、これを固定するプラスチックのバックルの雄側が1個がなくなって困っていました。
 

ホームセンターでこのパーツを買いましたが、規格が合いませんでした。どないしよう。スバルさんに言って何とかしてもらおうかなとも思っていました。
 
 しかし、登山後、念入りに車の中を探しましたところ、助手席の右側の凹みに挟まっているのを発見しました。うーむ、これまでも念入りに探したつもりだったんだけどな。しかし、新たに買わずにすみました。めでたし、めでたし。