出て来ましたよー。1980年3月の三瓶山の写真。でも、一部の写真はどっかに行っちゃったのか?あるいは捨てちまったのか・・・エーン、エーン。
 
 
 1980年3月13日から18日にかけて、島根県太田市の三瓶山に行ったと記録に書いてありました。
 相棒のタチゲは、1979年夏に行った、鳥取県の大山星見縦走で、左頬をザックリ切る怪我を負いました。その時、もう僕らの星見登山は終わったと思っていました。彼がOKしたとしても、親御さんが許すはずがない、そう思っていました。
 しかし、記憶が定かではありませんが、この三瓶山登山は、タチゲから誘ってくれたような、そうでないような・・・
 

僕らがテントを張ったのは「浮布池」の畔だったと思います。そこからは、三瓶山の二つの峯が池越しに見えていました。うつくすい。
 

「浮布池」の渕で、タチゲを写しました。
 

「西の原」までは、少々歩きます。その日の天気は、春を通り越して、まるで初夏の様に暑かったのを覚えています。
 

 夜になって「西の原」まで、せっせと歩きました。初めは、いくらか星が出ていましたが、そのうち、全天雲に覆われました。防寒着を着ていますが、多分、かなり暑かったと思います。
 

 翌朝、小雨がずっと降っていました。寒いなーって思っていると、三瓶山に新雪が積もっていることに気が付きました。そら、寒いはずだわ。
 天候が落ち着くのを待って、登山を開始しました。その時刻、16時半前でした。ある意味、とても無謀な登山です。(登山と言っても、山頂を目指したのではなく、火口跡の室の内を目指していたので、完璧になめていました。)
 やがて、辺りは暗くなってきました。ヘッドライトを付けながらの登山になりました。雪も降ってきました。途中から、50cmほどの残雪が行く手を阻みます。体調がイマイチのタチゲは、ふと「疲労凍死」の文字が頭に浮かんだのだそうです。
  ようやく「室の内」と思われる平坦な場所に出ました。室の内は、昔の火口の跡なのです。しかし「イバラ」のトゲがあちこちに刺さり痛かったですねぇ。
 「あっ?!」目標にしている「室の内池」が見当たりません。道に迷ったかも知れません。しかし、雪は降っているし、もう体力がありません。適当な場所にテントを張り、潜り込みました。
 

 上の写真は、翌日かあるいは翌々日に縦走をした時に、撮った写真です。室の内池は大半が氷結し、その上に雪が積もっていたのです。夜に、この池を確認するは至難の業だったと思います。
 
 

これは、タチゲがカラーで撮った「室の内」です。矢印の場所にテントを張っていました。
 

翌朝、テントの外に出ると10cmほどの新雪が積もっていました。とにかく寒むかったです。このテント、フライシートをオプションで買ったのですが、被せるだけのモノでした。それじゃ、意味ないぢゃーん!テント本体とフライシートの間にはいくらかの間隔がないと駄目ですよ。
 

「うーむ、このぶんだと、星空は無理だなぁ。」人が雪を何度も踏んで出来たこの道が「便所道」と言います。あー、きちゃない。
 

「オプティマス・ストーブ(ヒーター)」の周りには、風よけのイグルーを作りました。これがあるのと無いのとでは大違い。
 

このテントは、ニッピンの「イグループロ7」と言うドームテントです。1979年の大山縦走の時までは、設定が面倒臭くて重い家型のテントを使っていました。出来れば、その大山縦走に間に合わせたかったのですが、ギリギリアウトでした。初めて使ったのが、1979年の海水浴の時でした。どういうこっちゃ?
 

 男三瓶山を写しました。真ん中の白い場所は「つばくろ谷」と言うのだそうです。その右側には「犬戻しのリッジ」と言う険しい場所があります。ワンちゃんも恐くなって戻ってきちゃいましたみたいな感じでしょうか?

 多分、雪が止んだので、近くの山に登った記憶があります。と、見る見るうちに晴れ間が広がってきて、慌ててテントに戻ったと記憶しています。

 

写真は、この日の「女三瓶山」だったでしょうか?き、記憶が・・・
 

相棒のタチゲです。ダイエーで買ったダウンジャケットを着ています。うらやましい。
 

私は、金が無くて、オール合繊の防寒着です。アホほど寒かったですねぇ。少なくとも−10℃以下の気温だっただと思います。
 

 温度はみるみるうちに下がってきました。プラスチックの容器に入れていた水が、あっと言う間に、中までカチコチに凍っていましたからねぇ。
 しかし、ここでの星空の、ものすごいこと、ものすごいこと。標高は高くないのですが(600弱m程度か)、元々人口が少ないエリアに位置しているうえ、外輪山が、一切の光害をカットしてくれるのです。写真は、子三瓶山をバックに写した星達です。
 

 この写真、どこで撮ったのか分からなくなっていたのですが、室の内で撮った北天の日周運動だと分かりました。今更・・・アホかいな?
 この場所には、一人では絶対行きたくないと思いました。3日間だったかで、遠くをわずか2〜3人が歩いた跡があるだけの、とても寂しい場所であることもありますが、とにかく恐いのです。誰もいない場所には、完璧に慣れているはずですの私ですが、実は違うのです。この場所は、全くの無音の世界だったのです。積もった雪が、音を吸収していますし、外輪山が外の音も完璧に遮断しているのです。耳の中で「シーン!!」と言う、音とも言えない音が木霊していました。意味も無く、大声でタチゲに話しかけます。男三瓶山の方からでしょうか、時折落石の音が聞こえてきます。すると、妙に安心するのです。無音の世界があれほど恐い物だとは知りませんでした。
 ちなみに、タチゲはカラーで写真を撮っていました。それを、後で見せてもらってビッツラ。星、星、星、星・・・とにかく星だらけの写真でした。
 

これは、翌日撮った写真でしょうか?この辺りからは、時間の経過が実に曖昧です。この写真は子三瓶山です。R1フィルターを付けて写しました。昔は、モノクロフィルムにR系の赤いフィルターをつけて、超ハイコンな写真にするのが流行っていましたねぇ。
 

これは、上にもありましたが、男三瓶山です。
 

この写真は、何時のものでしょうか?残雪はまだ結構ありますが、少々陽もさしています。ちなみに、室の内は、ご覧の通りの火口跡で、周りには、男三瓶山、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山などの外輪山が連なっています。
 

 テントとタチゲ。この写真には、松山千春氏の「卒業」と言う歌がよく似合うと思っていました。ちなみに、カラー写真はすべてタチゲが撮ってくれたもののようです。私は、モノクロフィルムしか使っていなかったようでした。
 オプティマス・ストーブの風防用に、雪で作ったイグルー?の背が結構高いのと、陽が刺していますので、室の内に入った2日目あたりの写真でしょうか?
 

確か、室の内に入って2日目は、外輪山を全部縦走しましたね。
 

3月なので、さすがに、室の内池の氷も雪もだいぶ溶けてきています。
 

タチゲは、頭にタオルを巻いて外輪山を縦走していました。その格好が、極真空手のクマ殺しの「ウィーリー・ウィリアムス氏」に似ていたので、勝手に「ウィリー・タチゲアムス」と呼んでいました。
 

一番標高の高い、男三瓶山頂の標識の前で記念撮影です。しかし、まあ、何と、アホ衛門のダサい格好。
 

男三瓶からは、タイミング良く「天使のハシゴ」を見ることが出来ました。
 

その近くでは、氷花が咲いていました。
 

男三瓶さんからの下り坂は、そこそこ恐かったです。また、このアングルだと、かなり雄大な山容に見えます。
 

この男三瓶山からの下りですが「層雲越」って言っていましたよね。記憶が定かではないのですが、夏山用の4本爪のアイゼンを付けているような、そうでないような・・・写真は、タチゲです。
 

途中にあった展望台から、自殺?を図るタチゲ。「かわいいオナゴがいないから、僕、死んじゃう。」と言ったとか、言わなかったとか?アホかいな?
 

女三瓶山頂には電波塔が建っています。勝手に「春を待つ孤独な兵士達」とか題名を付けていましたね。
 

大平山から男三瓶山を臨むアホ衛門。
 

テントの周りの雪はだいぶ溶けてきましたねぇ。
 

40年前のアホ衛門登場。変身。トォー!!でけるかー?アホ衛門、着ぶくれのせいか、何か結構豚に見えますね。
 

だいぶ溶けてきた室の内池で、水を確保するタチゲ。それとも、何かを水洗いをしているのかなぁ。
 

テントとアホ衛門。雪がだいぶ溶けてしまいましたねぇ。
 

 ありゃ、帰りのバス停は「定の松」ではありませんでしたね。「三瓶温泉」って書いてありますもんね。記憶が定かではないのですが、行きは「定の松」停留所で降りたのかも知れません。
 この、おじっちゃん、確か佐々木さんと言う名前だったと思うのですが、アホほど親切な方でした。「寒いから中に入ってバスを待ちなさいよ。」って。確か、お茶なんぞも出してくれたような・・・
 

 帰りの列車の中で、結構バテバテになっています。電化が遅れていた山陰本線ですが、この時は、汽車ではなく、さすがにディーゼル車だったかも知れません。
 
 実は、雪の中で星を見てみたいと思ったのは、有名なアマチュア天文家の藤井旭氏や大野氏が、雪の中で星を撮影している写真が、何度も天文ガイド誌に載っていたからです。憧れの写真でした。
 ともあれ、すべてが、一期一会でした。お世話になった相棒の「タチゲ」を初め、出会った皆様、ありがとうございました。
 ちなみに、写真の補正には、かなりの時間がかかってしまいました。
Topaz社の「 DeNoise AI」を多用して画像処理しています。他にも色々な画像ソフトを使用しました。