• 2023年5月17日 鳥取県の大山登山再開

  • 2023年5月17日(水)

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     いつかは、鳥取県の名峰、大山(1709m)の登山を復活したいと思っておりました。

     しかし、昨日は体調が悪く、ほぼ寝たきりジジイと化していました。うーむ、やばいどー。

     で、昨日の夜は、ベランダから、μ250CRSなる望遠鏡を使って、天体写真撮影をしておりました。その結果、午前4時に起きる予定でしたが、結局午前6時起床に切り替えました。

     

     うまいことに、本日も快晴。しかし、多分黄砂の影響でしょうか、我が家から見る大山は、黄色くけぶっています。

     

     初めは、登山道入り口の近くの駐車場に停めようと思ったのですが、平日なのに、満車。仕方なく、下の方の博労座の駐車場に駐車しました。その時刻、10時37分。本日は、夏日になる可能性もあるので、登山するには、この時間は遅すぎますね。一番暑い時間帯で登山をすることになります。(この日の米子市の最高気温は31.2℃だったそうです。しかし、エルニーニョ現象が発生するとのことで、この夏は冷夏ないしは天候不順になる可能性が出てきています。)

     

    良い場所にある駐車場が満車だったため、博労座の駐車場に車を停めました。

     

    ようやく、登山開始。しかし、勘違いして、一端違う方向に歩いてしまいました。アホぢゃー。

     

     10時53分に、夏山登山ルートから登山開始。「ヘリコプターの荷揚げ作業があるので、登頂には、ちょっとした制限がありまっせ。」みたいな紙が垂れ下がっていたので、勘違いして「僧兵コース」の方に、行ってしまいました。「ん?これはおかしい。」と思って、戻ってその紙の所から、登山道に入りました。うーむ、時間のロスぢゃ。

     

     ここで、ちょっと先に、背の高い35歳から40歳位と思える女性が登山をされていました。(年齢が、間違っていてら、ご免なさい。)直ぐ後を歩く私を気持ち悪がれたのか、何かを撮影されるふりをして?、一端ストップされていました。

     その後、その女性は、グングンスピードを上げて、あっという間に姿が見えなくなりました。私の登山スピードの1.5倍から2倍位のだったのは?まさにガビーン!私の体力が著しく落ちているのは分かっていたつもりでしたが、ここまでとは・・・その後も、私より年配の登山者にも、次々にかなりのスピードで私を追い抜かれました。「ドヒャー。これはショックだじょー!」

     ところで、登山では、知らない人にも、声をかけるのが常識です。「こんにちわ。」とか「お疲れ様です。」を連発。

     12時12分に、足が全く前に進まない中、6合目に到着。休憩中の、おじいちゃんに声をかけました。すると、このおじいちゃん、よう、しゃべること、しゃべること。私が話すいとまが全くないほどでした。

     

    ここが、6合目からの大山の風景です。結構迫力があります。

     

     その後、ちょっと太めの男性に遭遇。今回の登山では珍しく、私と同じ程度のスピードで登っておられました。そのため、しばらくは、その男性とお話をしながら、登山をしてました。話が出来るって、本当に嬉しいことです。

     「私は、心身ともボロボロになって退職したので、現在リハビリ中で、まるで登山スピードが上がらないんですよ。」などと話すと、何と、彼も「体調不良で、休職中なんです。あたなと同じようなもんです。」と言われていました。おお、同じ待遇の人だったんだ。

     途中までは、彼と一緒に登っていましたが、その後、彼のスピードが極端に落ちたので、また一人で登ることになりました。

     

     ついに、13時21分に山頂に到着。セットしたプロトレックなる腕時計のストップウォッチを見ると、何と、そのタイム、2時間28分。まさにゲロゲロの登山タイムでした。

     2001年の夏に、北アルプス登山の練習にと、この大山を登った時の登頂タイムは1時間39分58秒と書いてあります。この時も、左膝が痛い中での登山だったのです。これでは、今回の登山で、皆にバシバシ抜かれても仕方がないスピードですよね。

     

    ありゃありゃ、何という遅い登山タイム。

     

    あっんれー?山頂の標高が前より低くなっているぞー。ネットで調べると、2000年の鳥取県西部地震で崩壊した三角点を東方8mずらし、現在は1709.4mになっているげな。ほげー、知らんかったわー。

     思い起こすと、1979年には、友人の「バク」と一緒に、登山道入り口近くの下山キャンプ場まで、水の補給に、下山及び登山、所謂ピストンをしたことがあります。下りは、大山山頂から、カメラと、水筒ぐらいの荷物でしたが、学生の集団登山で、思ったスペースでは下れませんでした。それでも、その集団登山者がいなくなって、若干傾斜が緩やかな所では、走って下っていましたよ。今ではとても出来ない芸当です。下山キャンプ場では、ウンチを放出したり、頭を水で洗ったりして、恐らく20分ほど休憩していたのではないでしょうか。それから、水を補給して、恐らくザックは15kg位あったと思います。そのザックを担いで、山頂より少し下にある「石室」に着きました。何と、そのタイムは3時間以内でした。体力に自信がないタチゲには、可能の限りで良いから、僕らの荷物を、石室まで運んで欲しいと、残して行っておりました。

     石室にいた「タチゲ」は、僕らのあまりの速さに「えっ、もう行って戻ってきたの?」と驚いていました。

     まあ、これは、大昔の話なんですよね。昔は、私は、コースタイムの半分で登山出来るのが、当たり前で、ある意味自慢でした。勝手に「倍速クライマー」とうぬぼれていましたね。

     

     それにしても、本日は、山頂小屋にヘリコプターで、何度も何度も荷揚げしておりました。そのため、ヘリコプターが近づくと、あちこちに配備されている警備員?によって通行止めとなります。

     登頂してから、そこそこ経った頃に、あの休職中と言っていた青年が登って来られました。途中で,ヘリコが来るとのことで、足止めを食らっていたそうです。

     

    警備員?があちこちにおられまして、ヘリコプターが近づいてくると、登山や下山にストップをかけられます。警備員が、今は下山できませんと手で合図をしておりますね。また、立って撮影をしていると、座っていて下さいと。・・・左側の黄色い服の方は、私ではありません。

     

    ヘリコは、結構近くで見られますので、迫力がありました。荷物を下ろして、ヘリコがUターンをする時には、ヘリコに乗っている人がはっきり見えます。その方は「スキッド」と呼ばれるヘリコの足の部分に足を乗せ、身体をヘリコの外に出して、下を確認されていました。いくら、訓練をされ、慣れているとは言え、よう、あんな怖いこと出来るわ。また、こちらが、手を振ると、必ず手を振り返してくれました。何か、嬉しい。

     

     ヘリコの荷物が、北アルプスで見たヘリコの荷物と比較して随分小さいと思っていました。すると、その青年が「あの荷物は200kgあるそうですよ。」と。えー、そんなに重たいんだと、ちょっとビックリ。

     山頂では、少し休んだだけで、下山を開始しました。足が本当に思ったように動きません。ノロノロとしか下山できません。登山中と同じように、次々に、他のクライマーに抜かれていきます。

     と、途中で、左膝が「ぐにゅっ!」となりました。や、やばい。歩けなくなるのでは・・・と心配しました。まあ、少し痛みがありましたが、何とか歩き続けることが出来ました。

     そして、ようやく下山。その時刻、17時16分位。何と1時間58分ほどもかかっておりました。何じゃ、この超遅いタイムは!!クッソー、絶対リベンジしてやる。

     下山届を書いていると、あの青年も降りてこられました。彼は、山頂で、ビタガスヒーターを使って、食料か、飲み物をつくっておられました。それを考えると、彼の下山スピードより遙かに遅い下山タイムだった頃が想定できました。ガオー、ショックだじょうー。

     

    下山した時に、私のプロトレックを撮りました。ホンマに、アッチャーと言う、超鈍足タイムでした。終わっとるがな。

     

     絶対、リベンジしてやる。そもそも、こんなタイムでは、北アルプス登山の再開など、夢のまた夢ですからね。

     

    これは、大川寺橋からとった大山です。「はあー、ホンマにしんどかった。」

     

    これは、博労座の駐車場から、ずぼらにも車の中から撮った大山北壁です。

     

     下山後、お袋さんの家に寄って、雑草取りや、ゴミの回収を行いました。

     帰宅後、シャワーを浴びてから体重を量りました。朝から比較すると、丁度2kg減っていました。

      しかし、その後、珍しくコンビニで買った「そば と おいなりさん」を食べ、アイスクリームを2個も食べ、カルピス系の飲み物も一気飲みしてしまいました。多分、これで体重は元に戻ってしまったかも。アホー!!

     それと、やっぱ、左膝が痛いわ。とにかく、今回の登山でも、左足にまるで力が入りませんでしたからね。集中的に左足のトレーニングをする必要がありますね。