2025年5月10日(土) まるでダメだった大山登山
またも、鳥取県の大山(だいせん)に登ってきました。
本当は、昨日登ろうかと思っていたのですが、それほど酒を飲んだつもりはないのに、起きると、何か二日酔いみたいな状態。身体もアホほどダルいのです。
てなことで、本日に延期と相成ったわけです。
しかし、途中で目が覚めたこともあり、まるで睡眠不足。おい、おい、こんな状態で登山なんか出来るのか?
などと思いつつも、とりあえず行って見よう。しかし、何かチンタラチンタラしていたんですよね。
大山の博労座に行くのですが、前を走っている車が、とーっても遅い。イライラ。
何とか、博労座第一駐車場に車を停めることが出来ました。んん?今日って、土曜日だよね。何で、こんなに車が少ないのかなぁ?
登山開始時刻は、ぬぁわんと、午前10時35分となりました。マジ、遅っせー。
登り始めてすぐに、木で出来たベンチと、お地蔵様のある場所に着きます。
1合目到着時刻は、11分越でした。こりゃ、最初から遅すぎるぞぉ。ここには、せめて10分で着かないとダメなのです。
2合目に着く前に、家族連れのパーティにお会いしました。珍しく、写真を撮って欲しいと頼まれました。何と、年配の男性の奥様の遺影をもっての登山でした。「私も、昨年、母を急に亡くしまして・・・」と私。
奥様の遺影と一緒に登る登山者さんでした。
あれぇー?どこ辺りだったかな?女性二人のパーティにお会いしました。1回の、大山登山で10往復をした人がいる話をしましたところ「知っています。がっちりした体格の人でしたよ。」と。ゲロゲロ、直接見たんかーい。
また、女性のパーティにお会いしました。何と、この方、1日4往復したことがあるそうです。「うそやーん。」「いえ、いえ、時間さえかければ出来ますよ。」「えーい、この老いぼれジジイに出来るかーい!!」
この小さく写っている女性の方が、1日4往復されたのでしたっけ?ジジイは、頭がパープリンで覚えておらず。
3合目には34分程かかって着いた様です。ジワジワと遅れています。まじ、しんどい。階段地獄は、登山最初から、7合目付近まで延々と続きます。
5合目に着きました。もう、ヘトヘトのヘトです。マジで登山を中断して帰りたくなりました。
5合目到着です。
5合目を越えると、割と直ぐに「行者コース」との分岐点が出て来ました。本気で、ここから「行者コース」を下ろうかと思いました。まじ、きつい。足がまるで動きませんし、心の臓も苦しいし、めまいすらしています。結構ヤバい状態です。
6合目避難小屋が目の前に見えてきました。6合目には、何と1時間20分程かかって到着です。昨年、良い時は確か1時間ちょっとで登っていたよね。あ、頭頂部が剥げとるやないかーい。否、白髪染めが旨くいかなかっただけでした。毛量は、不要な程多いのです。
しかし、アホ衛門は頑張りました。6合目避難小屋に着きました。しかし、その到達時間、1時間20分。あり得ない遅さです。マジで終わった。ヘトヘトなので、ちょっと休憩を取りました。
6合目からは、少しだけ、割と急な雪面を登ることになります。こういった場所は,登る時より下る時の方が怖いんですよ。
んで、超アホな事をしてしまいました。何と、デイパックには「Insta360X4」なる360度カメラを付けていたのですが、6合目でザックを下ろす時に、レンズを痛めてはいけないと、シリコーン製もキャップを被せました。そして、そのまま、キャップをしたまま、登り始めたのです。アホぢゃー。死ぬしかない。折角、登山の状況を撮影したつもりだったのにぃー。
さて、これより、もっと低い場所で、外国人の男性二人とお会いしました。一人は、イギリスからで、一人はアメリから来られていました。どっちがどっちだったか忘れましたが、日本に住んでいるとのことで、いくらかは日本がしゃべれるようでした。何と、この方とは、抜きつ抜かれつで、最終的には、ほぼ、一緒に行者コースを通って下山する事になりました。
さて、6合目からは、一端、そこそこ急な雪面が現れます。そんなに長くはないので、チェーンスパイクを履くことはしませんでした。
と、白人女性が降りて来られました。まだ、若い女性です。すごくニコニコして感じが良い方です。
「Hello, where are you from?」と唐突に声をかけました。と、フランスからでした。そこで「Bonjour(ボンジュール)」と挨拶をしました。最後に、変な発音で
「Au revoir(さよなら)」と声をかけました。発音が変だったのか、ちょっと笑らわれていた様でした。にゃはは。
途中下山者から、何度も「山頂は風がとても強くて寒いですよ。」と言われていました。
8合目を越えて、木道を歩くようになると、確かに突風と言ってもおかしくない程の、強烈な風が吹いていました。
確か、この辺りで、アックスを2本持っている男性とお会いしました。「えっ?アックスなんか必要な所ってありましたっけ?」何と、沢を登ってこられたのだそうです。いくら経験豊かな人とは言え、こんなグズグズの雪では、アックスは刺さらないのではないでしょうか。
さて、木道を歩いている時の事です。私は、特に左膝が悪いので、ちょっとバランスを崩すことがあります。そんな時に、この突風が吹くものですから、危うく木道から落ちそうになりそうになることが何度もありました。更に、今回は、半袖でしたので、少々寒かったです。
さて、登頂タイムですが、プロトレックのストップウォッチをストップさせることをしばらく忘れていたので、イマイチ正確な時間は分かりませんでした。とりあえず、2時間28分少々で止めました。1時間40分台で登りたいのに、それは夢の又夢です。どんどん、登頂タイムが遅くなっています。終わっとる。正直なところ、今年は、1時間30分台で登ることを目指していたのですが、完璧に終わっています。
後で、これまでの記録を調べて見ると、体調の悪い時は、この位のタイムで登っていたことがありました。およよ。
実際には、このタイムより数分早く着いております。
山頂ステージには、若いパーティがおられました。聞いてみると、地元のT大学の手話サークルの男女混成のパーティでした。パッと見ると、大学生と言うよりは、高校生くらいに見えました。皆顔が小さいし、顔の肌の張りがすごくて綺麗な顔をしていましたね。一部の方は、医学部の学生さんだったので「私、以前、仕事でお世話にになっていましたよ。」と。すると「こちらこそ、お世話になっています。」と。何じゃ、この会話。
と、一人の女性が、山頂ステージで、ひっくり返っています。何でも、アルバイトをしてから来たので、体調が万全ではなく、おまけに山に慣れていないので、完全にバテているようでした。
山頂ステージでは、T大学の男女構成のパーティに会いました。しかし、女性が一人、体調不良でのびていました。
少し休憩していると、途中で抜かれた、あのイギリス人とアメリカ人が登って来られました。しばらくは、山頂小屋におられたようです。
すると、手話パーティの男性の一人が「写真を撮りますよ。」と言って、山頂でその外国の方の記念撮影を撮っていました。何か、エエ感じの人ですね。
ところで、山頂に来て初めて「Insta360X4」にシリコーンキャップを付けたままでいたことに気がついたのです。全く以てアホぢゃ。しかも、最初は、ウェストバックに、そのシリコーンキャップを入れたつもりになっていたので「あっ!あれだけ気を付けていたのに、キャップを無くしてしまったよ。」と思っていたのです。まさにアホの2乗!!
登山中に「ザックに付いているのは、何かのセンサーですか?」と聞かれました。シリコーンキャップが付いていたので、360度カメラとは思えなかったんでしょうね。何で、その時に気がつかなかったんだろう?
今年、北アルプスに行こうかと、ふと考えていましたが、この超鈍足ぶりでは、とても無理だと思いました。そこで、大山山頂小屋で泊まれるのかと、かなり久しぶりに小屋に入ってみました。
これが、大山山頂避難小屋です。この小屋の2階部分に泊まれると思われるスペースがありました。中は、結構暗いですよ。
と、山頂ステージでひっくり返っていた女性が、ここでもひっくり返っていました。「大丈夫?」と尋ねます。「気温が低くても脱水症になりますよ。水はありますか?」と聞いて、持っていた塩キャンディーを二つ渡しておきました。
と、それまでひっくり返っていた女性は、突如起き上がってきました。うーむ、これなら、大丈夫かな?「山は、登りより下りが危ないから気をつけてね。」と言って、下山を開始しました。小屋なのですが、二階部分に何とか泊まれそうな雰囲気でしたよーん。今年の夏は、昔みたいに、蛍の乱舞が見られるか、この大山に泊まりで登ろうかなって思ったりしています。
下りでは、登りの時以上に足が動きません。太ももの筋繊維がプチプチ切れているイメージがありました。
6合目避難小屋では、まとも、あのイギリス人とアメリカ人にお会いしました。
この方達が、イギリス人とアメリカ人です。登山も下山も、結構休憩しながら、ゆっくりとしてペースで行われていましたので、私みたいな鈍足でも、抜きつ抜かれつでした。
そこから少し下ると、女性が一人登って来られました。「6合目からは、少し残雪がありますよ。」と言うと「そんなん、知っていますよ。」みたいな雰囲気だったので「もしかしたら、二度目の登山中ですか?」と聞きました。まさに、その通りでした。
すると、その女性から「前にも会いましたよ。ほら、残雪が多い時で、山頂には、あまり人がいなかった時ですよ。」「え?どちらから、来られましたか?」「岡山です。」「もしかしたら○○市からですか。」「そうです。」「あーあ、あの時の・・・」何と4月9日に、彼女は、スノーボードをするつもりで来たのに、何故か大山を登った方でした。その時は、積雪も多かったのに、アイゼンもなく、ステッキを無い状態だったのに、私より、遙かに速いスピードで登っておられました。
今回、彼女は、パトロールも兼ねて,1日で2回目の登山をしているとのことでした。んん?パトロール?何故、岡山から来て、パトロール?この女性、何者ですかねぇ?さぞかし名のある「くノ一」の方かと・・・
これは、4月9日に、6合目避難小屋で会った女性です。恐らく、この女性ですよね。
そう言えば、8合目付近でも、ある男性に「前にもお会いしましたね。」と言われてました。
その後、しんどかったのですが、予定通りに「行者コース」を下りました。元谷に行ってみたかったのです。しかし、今日も、北壁からは、何度も落石の音が。
これは、登る時に撮った、夏山登山道と「行者コース」の分岐点です。人によって印象は少し異なる様ですが「行者コース」の方が、遙かにしんどく感じます。「行者コース」は、左側になります。下り坂が結構急です。
元谷を歩いていると、後方に、あのイギリス人とアメリカ人が迫ってきていました。しかし、どうやら、そこで休憩をとられていたようで、しばらくは姿が見えなくなりました。
実は、以前、確か同じ5月に「ギンリョウソウ」の群生を、この元谷付近で見つけたので、今日は咲いているかなぁって思っていたんです。しかし、しんどくて下ばかり見ていたこともあり、全く気がつきませんでした。
この写真は、2005年に、北アルプスの蝶ヶ岳に登る際に、長塀山で撮ったものかと。ギンリョウソウは「銀竜草」とも書きます。また、ユウレイタケとも呼ばれています。葉緑素のない、少し透明な白っぽい色をしています。「直接的には菌類に寄生し、間接的には菌類と共生する樹木が光合成により作り出している有機物を、菌経由で得て生活している。」とのことです。
鳥取県の烏ヶ山にも、以前は、結構な群生地がありました。しかし、木を伐採するため、重機が入ったことで、その姿を消したようです。
元谷から大山北壁を望みます。反対側には青空も少し見えていましたが、こっち側は、曇っています。
元谷避難小屋がありますね。昨年3月に、九州から来た人2名が、この小屋を目指して撤退する際に、雪崩に巻き込まれて、亡くなられています。
その後「大神山神社奥宮」に寄りました。こっちは、修繕工事は、もう終わっていますよね。
この方向から見ると、大山北壁も見えています。
代わりに,隣の「下山神社」の方が、修繕工事に入っていました。今年いっぱいで終わる見込みらしいです。
その後、金門にも寄りました。曇っていてコントラストがあまりありませんが、新緑の向こうの大山北壁が綺麗でした。
賽の河原に降りますと、ありゃ、こんな所にと思われる場所に、石が積み重ねられていました。
これが、金門です。右側の岩は、行ってQ!でイモトアヤコさんが、練習がてらにロッククライミングをしたいた岩です。
私が、金門に寄ってから参道に戻ると、そのイギリス人とアメリカ人の方が丁度下ってくるところでした。そこで、片言の英語で「金門からは大山が綺麗ですよ。」と言いましたが、「大丈夫です。との返事でした。聞いてみたところ、朝に大川寺を見に来られたとのことで、金門もすでに見られていたのかも知れません。
「疲れましたね。」とお互いに言いながら、しばらくは、参道を下っておりましたが、彼らの足の方が断然速かったです。
私は、一端、大川寺橋の辺りまで行って写真を撮っていましたが、アホゲにもそのまま駐車場に戻ろうとしていました。「あ?下山届を出していなかった。」慌てて、南光河原訪問に行って下山届を出しました。
大川寺の辺りは、新緑がとても綺麗でした。
大川寺橋で、大山北壁を撮りました。この時間帯は、晴れ間が多くなっていましたね。んで、そのまま、南光河原駐車場に行って下山届を出せば良かったのですが、忘れてしまって、そのまま駐車場に向かって歩いていました。アホぢゃ。
てなことで、かなりのタイムロスがありまして、下山に要した時間は2時間40分程になりました。あり得ない程ドン亀でした。
その後、判で押したように参道の一番下の方の自販機で、グレープフルーツ炭酸飲料160円也を買って飲みました。
あー、ちかれたびー。