2025年4月9日(水) 今シーズン初の積雪の大山登山


 夕べは、普段よりも、そこそこ早く寝ました。相変わらず熟睡は出来ず。それでも、これまでの酷い状態よりは若干マシでした。
 てなことで、午前4時半に起床。せっせと用意を始めました。そうです。鳥取県の大山登山です。本日を逃すと、しばらくは天気が悪そうなので、今日やるしかありません。しかし、今の体調で、決行出来るのでしょうか?はてー?
 
 なーんてね。行った来ましたよ。ほぼ全面積雪の大山登山。
 
 夏山登山の入り口から、結構な残雪が残っていました。スタートは、プロトレックをストップウオッチモードにして、計っているつもりでした。しかし、これを完全に忘れていました。まあ、何と集中力がないことか。
 

本来ならば、このプロトレックを、ストップウオッチモードにしてスタートしているはずでした。あまりにも集中力がなかったので、自分では、確実にそうしているつもりになっていました。アホすぎる。午前10時7分スタートです。
 
 と、前に、背のかなり高い外人のご主人と、金髪の小さなお子さんが3名?歩いておられました。
 片言の英語で挨拶します。お子さんは、明らかに、普通の運動靴です。「えっ?これで大山登るの?」と一瞬、思いました。山頂までは、3時間はかかると思いますよと片言の英語で言うと、どうやら、その辺りまで歩くみたいでした。ですよね。
 

 これは、夏山登山道に入る場所です。この場所で、こんなに残雪がありました。まずは、この雪の壁を登ります。こりゃ、しんどい登山になるぞぉ。前には、上記の外国人の家族が写っています。
 花粉と黄砂が酷かったので、この時点では、マスクをしていますが、マスクをしたまま登山をすると呼吸が苦しいので、外して登山を始めました。メガネは、真っ黒になる調光レンズのメガネです。これがあって良かったです。下手したら雪目になっていたかも知れません。
 
 その後、直ぐに登山道は、雪がずっと積もっているみたいだったので、早々にチェーンスパイクを装着することになりました。
 
 自分では、割と良い調子で登っているのかと勘違いしていました。しかし、途中経過をプロトレックで見ると、ドエライ遅さであることが分かりました。そーか、だから思ったより身体がしんどくなかったんだ。どよよよーん。
 今年は、最近にしては珍しく、昔並みの積雪があったので、登山道の殆どが積雪をしていました。快晴ではありましたが、黄砂や花粉のせいか、かなりけぶって見えていましたので、悩んだあげく「Nikon D850」は、車の中に置いていくことにしました。その代わりと言っちゃあ何ですが、撮像カメラは「Insta360x4」と「iPhone 16 Pro」だけにしました。重たいカメラを持っていってもろくな写真は撮れないと思ったのです。
 登り始めて、割と直ぐに、年配の男性が降りて来られました。私は、うっとうしいと思われているかも知れませんが、登山者、下山者には、日本人であろうが、海外の方であろうが、必ず挨拶をします。
 と、12本爪の本格的なアイゼンを装着した、ご年配の方が下山してこられました。「暑いですね、しかし、軽やかな足取りですね。」と言いますと、その方は「もう75歳になりました。体力の限界を感じて、6合目で折り返してきました。」と。なるほど、路面は、湿った雪が固まり、その上は,登山者の歩いたことでシャーベット状になっており、滑って結構体力を消耗しますからね。
 その後、男性クライマーに抜かれましたが、私がチンタラしていましたところ、あっと言う間に、姿が見えなくなりました。この方のスピードも速かったのでしょうが、昨日まで、アル中の寝たきりジジイになっていた、私の登山スピードは、かなり遅かったのだと思います。
 登山し始めて、割と早い時間帯に会った男性は、今日は、山頂に行ってもこの温度のままです。暑いですよ、と。この日は、平日と言うこともあり、登山客は多くはありませんでした。しかし、若い(と見えた)背の高いスタイルの良い女性の方が下山してきていて挨拶もしました。お互いに暑いですねと。
 しばらく登っていると、積雪のため、登山タイムはほぼ気にしなくなりました。と、もの凄い音が北壁の方から聞こえてきました。私は、この時は、雪崩の音だと思っていまして、下山客に「もの凄い雪崩の音がしていましたね。」と話していました。
 しかし、実は後で分かったのですが、雪崩ではなく、崩落に伴った落石の音でした。崩落した部分が、角度的に見えなかったので、雪崩だと思い込んでいたのです。えーい、この知ったかぶりがぁー!!この土砂の崩落に伴った落石などの音は、その後、頻繁に聞こえてきました。こんな時、元谷の上の方を歩いていた人がいたとしたら、大変危険だと思いました。
 

6合目にまだ着かない時間帯に、下山客にお会いしました。これまた、お互いに「暑いですねぇ。」と挨拶をします。実を言うと、家を出るまで、どんな服装で登山するべきか悩んでいました。風がないと、この時期、結構暑くなるんだよな。でも、高度が上がると寒いかもしれないぞぉ。悩んだ上に、上着は、長袖のポロシャツにウィンドブレーカーでした。下は、運動用のスパッツに、夏山用の登山パンツをはいて出発です。でも、念の為に、上下の防寒具と、レインウエアもデイパックに入れておきました。しかし、無茶苦茶汗をかくほど暑かったです。
 
 6合目手前で、ある女性にお会いしました。岡山県の新見市辺りから来られたのだそうです。それを示す言葉はイマイチ理解出来ていませんが、多分、スノーボードをしに来られたのですが、その道具は、車に置いたまま、何故か、登山をすることになったそうです。従って、アイゼンやチェーンスパイクもなく、トレッキングポールも持っておられませんでした。「お若い人は体力があって良いですね。」と言うと「そんなに若くはないですよと。」その話の中で、私がワンシーズンで、大山をワンシーズンで4往復を1回、5往復を2回したした人がいますよ。」と言うと「10往復した人もいますよ。」と。「えー?1日で10往復?それって本当なのか?」と思いました。また、大昔、大山山頂で、蛍の大群を見たり、沢の方から無数の蛍がジワジワと昇ってきて、美しいと言うよりは,怖かったですよ。」と言うと、「今でも蛍は見られますよ。」と。「ええ?そうなのぉー?」良い時期を見て、また山頂小屋に泊まってみたくなりました。
 

この女性、確かに登山用の服ではなく、ボーダー用の様なつなぎの服を着ておられました。こりゃあ、暑いぞぉ。こっちは、iPhone 16 Proで撮りました。「Insta360x4」は、360度で5.7K画質で撮っていますから、iPhoneの方が解像度も良く、歪みも出ていません。
 

6合目付近でお会いした、多分スノーボーダーの女性です。アイゼン、トレッキングポールもなしでしたが、運動をされているので、体幹も良かったのでしょう。「Insta360x4」の電池を交換している際に、私より遙かに速いスピードで登っていかれました。
 
 上記の、大山を1日10往復という話は「YAMAP」の記事に載っていました。2024年5月25日に叩きだした記録です。
 正確には9往復までは24時間以内で行い、10往復には27時間29分で敢行されていました。何と、10往復もされているのに、その登山タイムは、1時間10分から、一番遅い時でも1時間47分です。
 私も、1回だけなら、調子が良ければ1時間40分台は出せるかも知れませんが、これが10往復とは恐れ入りました。
 
 6合目を越えると、傾斜はきつくなります。また、7合目から8合目は、大山の中でも、恐らく傾斜が一番きつい場所になります。ここは、既に体力を消耗していたので。結構きつくなります。この辺りでは、一部雪のない階段状の場所もありました。
 

これは、7合目辺りを登っている時の写真です。恐らく、大山の中では、この7合目から8合目辺りが一番きつい傾斜になると思います。あ、6合目からも結構急ですね。
 

8合目付近は、一時的気に、雪が完全に溶けている場所もありました。
 
 8合目を過ぎて、木道が現れると、木道を痛めるといけないと、チェーンスパイクを外して登ることにしました。木道は、積雪が殆どありませんでしたが、それでも、途中で、雪道になっている箇所がいくつもありました。
 

木道は、極一部、完全に雪に埋まっていましたが、殆どは、このように全く雪はありません。
 
 山頂近くになって、山頂小屋の脇を通りました。途中の下山者が、山頂付近はまだ1m程の残雪が残っていますよ。って言われましたが、登るには全く問題がありませんでした。山頂付近の木道を歩いていると、体力が完全に消耗していて、いくら速く歩こうとしても、全くスピードが上がりませんでした。 これは、とってもやばい。
 

山頂小屋が見えてきました。私は、この新しい山小屋には泊まったことがありません。古くてカビ臭い、古い小屋には何度か泊まったことがあります。今では、太陽電池で自家発電していますね。
 
 マジで疲れ切って、ようやく山頂に着きました。誰一人いませんでした。
 
 登頂時刻は「Insta360x4」に録音させておきました。13時43分と記録されていました。どわわわわー。3時間36分もかかっとるがなぁ。
 山頂では、アミノバイタルと、アクエリアスをとりました。この時期なのに、結構汗掻いたどー。
 

ようやく山頂に着きました。これは「Insta360x4」での撮影です。
 

これが、山頂にある碑です。2000年の鳥取西部地震で、それまでの山頂部分が崩れたため、山頂の位置をずらしたのです。なので、現在、山頂の標高は、1709.4mとなっています。
 

 ですが、大山の一番高いところは「剣ヶ峰」で、1.729mです。でも、ここも、昔は1.931mだった記憶があります。大山は、もろいので崩落が激しいのです。積雪期には、縦走している人が沢山います。ですが、基本的に縦走禁止になっています。積雪のないときには、とてももろくて細尾根なので、歩けるものではありません。
 思えば、1979年7月には、33kgのキスリングをかついで、縦走しましたし、1980年代には、鏡ヶ成にオートバイでやって来て、テントを張り、烏ヶ山からずっと大山を縦走したことがあります。ですが、今は、縦走禁止ですよー。
 

これは、アミノバイタルの包装紙です。摂取した後に写真を撮りました。
 

今回使った水筒は、これです。いつも使っている、魔法瓶的な水筒は、どっかに締まってしまい、出発までに見つける事が出来ませんでした。
 
 と、しばらくすると、あの岡山から来た女性が来られました。山頂小屋で休まれていたとのこと。ほんの短時間話しただけで、その女性は、下山を開始されました。
 私はと言うと、山頂で少しだけ休んだ後、直ぐに下山を開始しました。
 木道が終わる頃に、チェーンスパイクを装着しました。しかし、ここで、とんでもないミスを犯していました。アッカーン。
 あまりにも怠惰な生活をしていたので、あちこちが、筋肉痛になり始めていました。おまけに、下は水分の多い圧雪で、その上は、登山者が歩いたため、シャーベット状になっており、下りは、アホほど滑ります。
 「あ、今の1歩で1mほど滑ったぞぉー。むちゃ滑るなー。この雪質だから仕方がないのか?」
 
 丁度、7合目で、とんでもない人に会いました。何と、ザックにはスノーボードを固定して、足にはスノーシューを履かれています。
 どう考えても、この斜面をスノーシューを履いて登るのは、体力が何倍も必要になります。本人も「いくら歩いても、全く前に進みません。」と言われていました。それなら、即刻スノーシューを外して登った方が良いのになと思いました。
 

何と、この時間帯に、スノーシューを履いた、スノーボーダーが登って来られていました。解像度が低いので、PhotoAIのβ版の機能を使ってシャープ度を増したつもりでしたが、顔の部分は潰れてしまっています。
 
 と、ここで、私は、ふと自分の登山靴に目が行きました。「あ?嘘だろー!!マジ嘘だろう?」何と、左のチェーンスパイクがないのです。自分では、完全に固定したつもりだったのですが、固定不足だったのだと思います。どうしよう。一瞬、このまま下山しようかとも思いました。しかし、片方のチェーンスパイクなんぞ、どう考えても、人から見ればゴミでしかありません。ゴミを山に捨てて帰ることは、私の主義に合いません。
 覚悟を決めて、また、8合目に向けて登り始めました。本当に、しんどくて、しんどくて、完全に心が折れそうになりました。ですが、頑張って登り続けました。この辺りは、大山夏山登山道の中で、一番傾斜がきついのです。
 

これは、モンベルのカタログからとった写真です。私の登山靴もモンベルのものですが、固定するゴムは、こんなに深くはまりません。今回のミスは、恐らく黄色い矢印のゴムが、しっかり固定されていなかったからだと思います。
 
 8合目付近で、積雪が少しだけ切れている場所に着きました。丁度その場所の雪の塊の先に外れたチェーンスパイクが落ちていました。
 

ありゃー、こんなところに、左の足用のチェーンスパイクが落ちていたよ。見つかって良かった。もしかしたら、斜面を滑り落ちて、元谷の方に落ちている可能性も考えたのです。もし、そうであったら、一巻の終わりでした。
 
 乾いた岩に腰掛けて、チェーンスパイクを再度装着しようとしました。と、腹筋が吊りました。あいてててて。最初は、片手で装着しようとしましたが、これがいかんかったのです。かがとの部分のゴムの外側が旨く登山靴にひっかかっていませんでした。そうか、外れたのも、これが原因だな。今度は、両手で装着して、しっかり登山靴にはまっていることを確認しました。ゴムの固定が悪いと、チェーンがピーンと張っていないことで分かります。
 そころから、また、もの凄く滑りやすい急斜面を下ることになります。疲れもありましたが、急がないことにしました。ここで、転倒したら、エラい事になります。
 しばくして、あのスノーボードをザックにくくりつけた人に、再度会いました。 「どう考えても、スノーシューを履いて登るのは、無駄に体力を消耗しますよ。それを脱いで登られた方が良いじゃないですかねぇ?」と声をかけます。
 「ザックが重いんですよ。それが出来ないんですよ。」
 「えー?どの位重さがあるんですか?」
 「いや、計っていないので分かりませんが、とにかく重いんです。私のザックを下の部分から持ち上げてみて下さい。」
 そこで、私が、その方のザックを少し持ち上げてみました。
 「うーむ、多分ですが、22〜23kg程ありそうです。」
 スノーシューは、結構大きくて重いので、外して手で持って歩くことが出来ないのでしょう。
 その方は、とりあえず、山頂まで登って、途中からスーノーボードで下るとのことでした。恐らく、滑り終わった場所が、誰も歩いていない場所なので、スノーシューが必要なのでしょう。
 頻繁に落石の音がしていますので、充分に気をつけてと、言ってお別れです。すんごい体力の持ち主だな。
 
 私も、1981年3月には、30kgのキスリングをかついて、恐らく3m以上の積雪の大山を登ったことがありますが、ムチャンコしんどかったですからね。若かったので出来た、ある意味無謀な話です。
 
 最後の方では、明らかに筋肉痛になっていることが分かりました。しかし、敢えてスピードを上げることはやめました。滑っても1歩から2歩までで止めなければ、転がり落ちることになる可能性が高いからです。
 

かなり下った場所は、雪が溶けて大きな穴が空いている箇所がありました。むしろ、こうやって見える穴は良いのですが、時折、ズブッと踏み抜くことがありました。でも、今回の踏み抜きは軽度のものでした。1981年3月の下山の際は、とにかくまだ積雪量が半端なく多かったので、突然、腰の辺りまで足が埋まって、危うく大けがをするところでした。あの時は、30kgのキスリングをかついでいたからな。
 
 朝10時7分に出発して、下山出来たのが,17時4分の事でした。約7時間も歩き続けたことになります。多分、本日の登山者の中では、かなり遅いペースだったとは思います。
 

下山タイムです。今回は、プロトレックをちゃんとストップウオッチモードにしておきました。17時4分に、無事帰還です。
 
 登山届けには、16時に下山すると書いておりました。これは、アホほど余裕を持っての時刻のつもりでした。それを、1時間少々遅れていました。あの、チェーンスパイクが外れて、7合目から8合目を往復したこともその原因でしょうが、あまりもの鈍足ぶりに、落胆せざるを得ませんでした。
 まあ、昨日まで、アル中の寝たきりジジイでしたので、仕方がありません。
 ちょっと脱水状態になっている可能性があったので、参道の一番下の自販機で、グレープ味の炭酸飲料500mlを全部飲み干しました。
 

この500mlの炭酸飲料をグビグビと飲みました。一気には飲めなかったので、後は、車に戻ってから、全部飲み干しました。もうちょっとで脱水症状が出ていたかも知れません。
 
 帰宅して、車から降りると、身体のあちこちに痛みが走っています。ふくらはぎの裏側が特に痛いのです。これは、身体があまりにも硬くなっていた事が原因でしょう。首の付け根から肩にかけても結構な痛みがありました。
 そこで、少々厚めのお風呂に入って結構をよくしておきました。山頂で、アミノバイタルの粉末をアクエリアスで流し込んでおきました。これまでの北アプルス登山の経験上、このアミノバイタルを摂取することで、後からの筋肉痛が明らかに軽くなることを体験していたからです。
 
 風呂に入ってから、体重を計りました。夕食を食べる前という事もありましたが、朝、測った体重より2.1kg減っていました。殆どは、汗が出て行ったためだと思います。でも、お腹が少しスリムになったようにも感じました。
 トイレで小用を足した時、一瞬焦りました。量も少なく、血尿とまではいかなかったのですが、あり得ない程、濃い茶色い尿が出ていたのです。まじビビったわー。
 
 最後に、もう一つ猛省点。トレッキングポールは使用した後は、完全に伸ばした状態で綺麗にして、乾燥させておくことが必要です。中で、白いサビ?が出てしまいます。どうかすると、伸ばせなくなることがあります。まあ、知っている人なら、そんなこと当たり前だよって思いますよね。
 

白く錆びた?場所は、ミクロコンパウンドで磨いてから、綺麗に洗い乾燥させておきました。それでも、白いサビの様なものの跡が残っています。そう言えば、T字型のトレッキングポールは、これでお釈迦になったんですよ。もう学習能力がないったら、ありゃしない。
 

帰宅後、マンションの廊下から大山を撮ったものです。こうして見ると雪はだいぶ溶けたように見えますが、上記の通り、登山道は積雪がないところは希でした。
 
 次回の登山は、今回の事を反省してやってみましょう。