2024年7月 2009年ぶりの蝶ヶ岳登山にチャレンジ。だが・・・


 最後に、北アルプスの蝶ヶ岳に登ったのは2009年の盆休みの事でした。アホ衛門も、年をとりました。前と同じ様なペースで登山は出来ないことは分かっていました。しかし、何とかあの懐かしい蝶ヶ岳に登ってみたいと硬く心に誓いました。
 
 この2年間、十分とは言えませんでしたが、それでも、鳥取県の大山と烏ヶ山の登山を繰り返してきました。一つ問題だったのは、重いザックをかついでの登山練習をしていないことでした。これで、何とかなるのではないかと思っていたのです。
 
 そこで、まずは、かつぎやすそうなザックを探しました。結局、米子市の天満屋にある「好日山荘」で「カリマー・クーガー・エイペックス70プラス ザック」なるザックを買いました。
 

これは、カタログから撮った「カリマー・クーガー・エイペックス70プラス ザック」です。
 

 私の買ったものは、青い色のもです。こいつには、レインカバーまで標準で付属しています。しかし、実際に見てみると「これって、70L以上もあるのかと思うほど小さく感じました。(このザック、ネットで調べたら、いろいろな機能が付いていることが分かりました。最近では、紙媒体の説明書は付いていないことが多いですからね。自分で調べないといけません。)
 1993年に2度目の蝶ヶ岳登山をした時は、モンベルのゼロポイントなる名称のザックを使いましたが、リーズナブルなところは良かったのですが、作りが、ややチープで、相当に疲れたので、今回、モンベルのものは、考えていませんでした。
 

これが、モンベルのゼロポイントなるザックです。これは、かつぐと、結構しんどかったです。まあ、価格も安いものでしたしね。
 

左が「モンベルのゼロポイントザック」、右が「ザ・ノースフェイスのバッドランド75」です。
 
 しかし、これまでは、75Lのザックを使っており、更に、そこにデイパックを、スペースシャトル風に固定してかついでいました。そのため、この新しいザックには、当初考えてたいパーツを入れることが出来ません。困ったぢょー!!
 

 これは、2005年に、ビジネスホテルで撮った「ザ・ノースフェイスのバッドランド75」単体です。こいつは、身体フィットして、疲れ具合が相当に楽になりました。ザック本体に、ミレーのデイパックをスペースシャトル風に固定することは、後ろにバランスが移動するので、本来は宜しいことではありません。
 

2010年に、ビジネスホテルで撮った「ザ・ノースフェイスのバッドランド75」です。(この時は、テスト的にザックをかついでみただけで、デイパックをくっつけていません。)多分、この時のザックの重さは、27.5kgだったと思います。
 
 そこで、最初に宿泊する、長野県佐久市の民宿「三輪舎」に出発する前日の夕方に、大慌てで、大山にある「モンベル」に行って、更にモンベルの80Lのザックを買いました。
 これで、とりあえずパッキングが出来るぞと思ったのですが、とてもバランスが悪くて、ザックが少しでも傾くと、身体ごと横に持って行かれそうになりました。
 

 これが、大慌てで購入した「モンベルのアルパイン80」と言うザックです。
 モンベルにはエクスペディション トレールパック 80」なる、もっと安価のものも販売されていましたが、大山にある「モンベル」には、売っておりませんでした。最初は、80Lでも足りないので、100Lの物を買おうとしたのですが、それは、在庫がありませんでした。
 しかし、この「モンベルのアルパイン80」に、とりあえず荷物をパッキングしてかついでみたのですが、少しザックが傾くと、身体ごと傾いてしますほど、バランスが悪かったです。(これは、今回のパッキングがいい加減だったことも、大いに影響したのだと思います。)
 


 2024年7月24日(水)
 
 本来ならば、高速の夜間割引のある時間帯に出発したかったのですが、パッキングが旨くいかず、それは、叶いませんでした。
 午前6時36分、ようやく車を走らせました。
 結局「モンベルのアルパイン80」と「カリマー・クーガー・エイペックス70プラス ザック」の2つのザックと、もしかしたら必要になるかもしれないと思った、かなり余分な荷物を車に積み込む羽目になります。
 
 高速料金をいくらかでも安くするため、山陰自動車道を走り、作用ICから中国自動車道に入るルートを選択していました。しかし、鳥取ICと鳥取南IC間が、工事中で通行止めになっており、結構焦りました。ですが、意外に時間のロスは殆どありませんでした。(後で、Yahoo!ナビで見たら、この情報が出ていました。アホぢゃ。)
 9時12分、揖保川PAで休憩をとりました。あり得ない程の睡魔が襲ってきたからです。このところの私は、常に睡眠不足なのですが、運転中に眠たくなることは、ほぼありませんでした。しかし、この日は異常でした。このまま、運転をしていたら危険と判断して休憩を取りました。
 
 10時46分頃、京都辺りから、結構な渋滞が始まりました。このエリアは、常に混んでいるのですが、この先、こんな渋滞が続くようならと、とても心配になりました。尚、この様な渋滞時は、レヴォーグのアイサイトXが活躍してくれました。前の来るが停まると、勝手に停まります。前の車が動き出すと、自分の車も勝手に動き出してしてくれるので、とても便利です。しかし、この手の装置に絶対的な信頼は置いておりませんので、常にブレーキを踏める体勢にしていました。それじゃ、意味ないぢゃーん!!
 その後は、片側工事の箇所が多数ありましたが、渋滞と言える程のものはありませんでした。これは、助かるわー。
 12時22分、養老SAで休憩と、食事をとりました。フードコートの様な場所で「天ぷらきしめん」900円也を食べました。ここは、回転率が異常なほど良いので、ササッと食事が出て来て、ササッと食べて、ササッと出ることが出来ました。12時50分に再スタートです。
 

これが「天ぷらきしめん」です。そこそこ美味しかったですよ。
 
14時40分、座光寺で休憩をとりました。年をとってケツの筋肉が減ってきたのか、お尻がやたら痛いのです。更に、目がシバシバとすごい違和感があります。これって、車の点検の時、エアコンのクリーナーをクリーニングをしてもらったことが影響かも知れません。しばらく、有機溶剤の匂いがかなりしていましたからね。
 
 阪神高速道路を経て、中央自動車道に入り、その後、岡谷から長野自動車道に入りました。しかし、ナビ通りに走っていると、更植ICで降りろと指示しています。そのまま降りると、また高速道路に乗れと指示をしています。訳が分からなくなり、一般道を走ることになります。しかし、その途中、ナビ画面には高速のICが見えました。一般道は、かなり流れが悪いため、思い切って自動車道に入ることにしました。恐らく「上田菅平IC」から「佐久IC」まで上信越自動車道を走TTAのだと思います。
 かくして、午後6時過ぎに、長野県佐久市の、とほ宿「三輪舎」に着きました。その距離、736.1km。要した時間は、大凡11時間半でした。
 「三輪舎」には、当初2泊にするか、3泊にするか決めかねていました。しかし、パッキングがいつまでたっても決まらないこともあり、また、天候も怪しげだったこともあり、更に、月齢のこともあって、結局3泊させてもらいました。
 

これが「三輪舎」の私が泊まらせてもらった部屋です。
 
 実は、外がクソ暑かったのと、この辺りの地理に全く不案内だったこともあり、昼飯を食べたりする以外は、かなりの時間を「三輪舎」にいさせてもらいました。あれでもない、これでもないと、試行錯誤して何とかパッキングに成功しました。結局、4Kのビデオカメラ、Canon EOS 6DHKIR改カメラ、その広角ズームレンズ、ニコンマウントのシグマの対角魚眼15mmレンズも、持って行くのをやめました。
 
そのおかげで「カリマー・クーガー・エイペックス70プラス ザック」に「ミレーのデイパック」を、スペースシャトル風に固定することが出来ました。
 

今回は、何とか「カリマー・クーガー・エイペックス70プラス ザック」に、無理矢理パッキングすることが出来ました。(しかし、デイパックは、思った位置に固定出来なかったので、かなり下にずれてしまいました。)
 

「三輪舎」の空き部屋を貸してもらって、パッキングを3、約3日間にわたって、やり直しました。右側のザックに何とか、荷物を入れることが出来ました。
 
 ザックを手で持ち上げると、おお、これは、25kg位か、それよりちょっと軽いぐらいだなって感じました。帰宅後実測してみましたところ、24.7kgでした。「俺って、天才じゃーん!!」(自分で自分を褒めておこう。)まあ、実際の登山には、ここに、1kg弱の水の重量が加わりますけどね。
 
 ちなみに、上府手前の「沢渡(さわんど)」駐車場で、車の中に、予備のカメラのモバイルバッテリーやスプレー缶等を、炎天下の中に、数日置き放しにすることになるので、愛車レヴォーグの荷室の下にかなりのスペースがあるので、そこにエマンジェシーシートにくるんで入れておきました。更に、佐久市のホームセンターでは、サンシェードまで買っておきました。
 


 2024年7月27日(土)
 
 「三輪舎」にて、朝、7時半過ぎに、朝食を食してから、一般道を通って、上高地の手前にある「沢渡」の駐車場に向かました。思ったより時間がかかりました。このシーズン、観光客やクライマーの車が一杯なので、停められるか、心配にでしたが、沢渡バスターミナルにある、一番下の駐車場に停めることが出来ました。あー、良かったわー。
 

沢渡のバスターミナルのある駐車場の一番下の箇所に、車を停めることが出来ました。「カリマー・クーガー・エイペックス70プラス ザック」には、ミレーのデイパックをスペースシャトル風に固定しています。万が一、ザックのサイドに固定している、ジッツォの三脚や「Insta360X4」等が、落ちないように「モンベル」のレインカバーを付けました。(本来付属していたレインカバーですと、ザック全体を覆うことが出来ないと考えからです。)
 

沢渡バスターミナルの一番下の駐車場です。空いているのは、この場所だけのようです。
 
 さて、ここから上高地にどうやって入るかが問題です。当初は、荷物が大きいので、タクシーを使った方が良いのではないかと思っていました。しかし、ジェニがないアホ衛門はバスを選択しました。その額、往復で2.800円でした。タクシーは確か、片道4.300円だったと思うので、だいぶ安上がりです。
 

沢渡バスターミナルから、上高地バスターミナルまでの、バス代は、往復で2.800円でした。
 
 この辺りで、バスやタクシーを一手に扱っている「アルピコ」の方が「13時のバスが出ますが、乗っていきますか?」と聞かれました。何とか急げば間に合う時間でしたが、焦ると、ろくなことがないので、次の13時15分のバスに乗ることにしました。(たった15分後にバスが出るから急ぐ必要もありません。)
 しかし、出発間近になっても、バスが来る気配がありません。そこで「アルピコ」の方に聞いてみました。ニャンと、建物の中を通って、反対側から出発するとのこと。ゲロゲロ。はよ、教えておいてよ。危なかったわー。
 

右の建物を通り、その裏からバスが出発するのですよん。マジ、焦ったわー。
 
 以前と異なって、バスの横に荷室があり、大きなザックもそこに入れることが出来ました。おお、これなら、タクシーでなくても、大きなザックを乗車内に持ち込む必要がなるなりました。他の方に邪魔にならないな。良かったわー。
それから、少しすると、若い女性が2人私の前に乗ってきました。アホ衛門から見て、左側の女性は、髪がアホほど綺麗な方でした。しかも、ノースリーブ。アホ衛門のエナジーは、一時的に、アップしました。これなら、フリーザと戦っても勝てるかもね。「あなた、結構強そうですね。ほほほ。」しかし、彼女たちは、大正池で降りて行かれました。おお、それは殺生やで。アホ衛門のエナジーは、急激にダウンです。ヒュルヒュルー・・・えーい、このエロじじいが!!ペシペシ。
 

上高地に向かう道は、かなり狭いのです。無線で連絡を取っているのか、対向にバスが来るのが分かると、対向出来るやや広い道幅のところで、何度も待機します。
 

反対の車窓から「大正池」が何とか見ていました。前の席に座っていた女性2人はこの大正池で降りていきました。シクシク。
 
 確か、45分程度で、上高地バスターミナルに着きました。
 
 ここで、あまりの光景に、思わず声が出てしまいました。何ちゅーバスの多さ。そして、何ちゅー人の多さでしょうか。バスに乗っていた他のお客さんも、その光景にビックリされていました。同じ様に声を上げてビックリされていました。まるで、有名な野外フェスとか、あるいは、東京のど真ん中にいるのかと、見まごうばかりです。
 上高地から出るバス待ちをしている人の数も半端なかったですよ。何じゃ、こりゃあああああ!ってな感じです。
 

一番混んでいるところは、余裕がなくて写真を撮ることが出来ませんでした。上高地バスターミナルから、小梨平に向かう場所から撮りました。
 
 これは、日本人の観光客、登山客も多いのですが、インバウンドの影響が大ですよ、きっと。その後、外国の方にも沢山合いましたらね。
 

今日の天候は、こんな風に、穂高には、ガスがかかっていて、鮮やかさがありませんでした。
 
 ちなみに、事前に、蝶ヶ岳ヒュッテのHPを見ますと
 
 【六百沢(上高地と明神館の間)の土砂崩れにより、梓川左岸の登山道が通行止めとなっています。

また、左岸沿いもウェストン碑の先(上高地ルミエスタホテルの先)で道路の浸食がすすみ、かなり危険な状態となっています。】と書かれていました。
 
蝶ヶ岳ヒュッテに載っていた写真です。これを見て勘違いしてしまったのです。
 
 これが、全くの勘違いでした。これまで通っていた道の方が通れると思っていたのです。重いザックをかついで、息も絶え絶えに、上高地の小梨平キャンプ場の奥まで着くと、通行止めになっていました。えーっ?こっちが通行止めなの?ガチョーン!!
 
上高地の小梨平の奥まで歩いたら、こんな看板が出ていました。ありゃ?こっちが通行止めなのぉ???
 
 尚、看板だったか、ネットだったかで
 
「7月の集中豪雨により上高地から明神までの左岸歩道は通行止めになっています。明神、徳沢、横尾地区にお越しのお客様は、河童橋を渡り右岸歩道で明神まで通行してください。明神からは明神橋を渡り、左岸歩道を通行して徳沢、横尾地区にお越しください。」と書かれていました。これを勘違いしていたんですね。完全なアホだわ。
 
 この「左岸」と言うのは、川上に向かって決められているのだと思い込んでいたのです。しかも、ウェストン碑のあたりが崩落している写真を見たので・・・
 
 調べてみますと、
 「川の右左は、上流から下流に向かって右側が右岸、左側が左岸と決められています。昔、上流に暮らす人は暮らしに必要なものが、下流から舟で運ばれてくるのを見つめてまっていたそうです。そこから下流に向かって右岸、左岸と呼ばれるようになったといわれています。」げな。およよ。
 
予め、この案内図をしっかり見ていれば、間違うことはなかったのですが・・・
 
 更に、看板には、本日、明神の公衆トイレでクマの目撃があったと書かれていました。以前から、クマはいたのかも知れません。しかし、あちこちにクマ出没の注意を表す看板が出ていました。どぇぇぇぇー。熊に出会ったらどないしよう?くまっちゃうなー。どうじゃ、この寒いギャグで、熊も再度冬眠ぢゃ。
 
 何じゃとぉー?熊さんが出ると言う、明神の公衆トイレって、これから歩く場所でないのかよ?
 
 河童橋まで戻り、この橋を渡りました。しかし、河童橋でも、人の数が半端なく多いです。
 
河童橋は、かなりの人がいます。通り抜けだけでも、人とぶつからない様に気を使わないといけません。
 
 ここから明神に向かう道は、過去に少しだけ歩いたことがあるだけです。どの位、通常通っていたルートと比較して、時間に差が出るんだろうと思っていました。
 
歩き始めて、すぐに、こんな光景がありました。
 
こんな、木道も歩きます。
 
 実は、私は、更に勘違いして車道を歩いていました。梓川沿いの道は、遊歩道みたいなもので、景色を楽しむ方は、こっちをどうぞって思っていました。どうも、すんまそん。他の登山客もこっちの道を歩いていましたし、遊歩道を歩いている人に聞いたら「混んでいて、こっちは通らない方が良いですよ。」と言われていましたからね。
 
途中、こんな建物がありました。後で考えると、もしかしたら工事関連者が利用する建物だったのかも知れません。
 
 歩き始めて割と直ぐに、両足の付け根が、相当痛くなりました。ザックの重さは、これまでの最軽量の25kgを少し切るぐらいでしたし、ここ2年間は、小さなデイパックをかついでの登山ではありましたが、アホほど、鳥取県の大山と烏ヶ山に登っていましたので、一時的な痛みで、すぐに良くなるさって思っていました。しかし、時間が経つに連れ、それは、それは、あり得ない程の激痛に変わっていきました。
 
 明神橋の手前まで何とか着きました。若くてスタイルの良い女性が、足にぴったりのスパッツをはいて、スマフォで頻繁に写真を撮りながら歩いていました。元気なら、声をかけたいところですが、そんな余裕は全くありませんでした。頑張れ、エロジイジイ。地球滅亡のその日まで、後1時間。何や、それぇー?
 
 明神橋が見えてきました。青空も見ています。実に綺麗です。しかし、アホ衛門の両足の付け根には激痛が走り、まるでヨチヨチ歩きでしか歩けません。
 ありゃ?美人の女性がいるぞぉ。
 
明神橋では、あの女性が前を歩いています。波動エンジンに点火しても、この女性には追いつけませんでした。ああ、足がいてぇよぉー。
 
 明神橋では、橋一杯に広がって、中国人が写真を撮りまくっています。片言の日本語で「ご免なさい。」みたいなことを言っていますが、ちょっとは、他の人に、気を使ってくれよと思いました。明神橋は、吊り橋なので、沢山の人が歩くとそこそこ揺れて怖かったです。
 
 マジで、息も絶え絶えで、明神に着きました。クマの目撃があった場所です。ザックを置いて、自販機で小さなペットボトルの飲み物を飲みました。
 
明神に着きました。この建物は「明神館」と言います。左奥のトイレで熊が目撃れ他のではないのでしょうか?こわや、こわや。多分、私のドロップキックでも熊は倒せません。
 
ここで、この飲み物を買って飲みました。勿論、山価格。あれ?いくらだったかな。200円?正直なところ、上高地から徳沢までは、90分も歩けば着くと思っていましたので、水筒に水を入れていませんでした。これが、後で大変なことになるのです。
 
 それにしても、足の付け根の激痛は何なんだ。以前、股関節が痛くなってしんどい思いをしましたが、その時は、翌日には、ケロっと痛みが引いていました。今回も、この痛みは、直ぐにひくのでしょうか。
 
徳本峠(とくごうとうげ)の分岐点が出て来ます。昔は、こっちの道しか無かったので、相当な時間がかかっていたんでしょうね。
 
これは、人工の涸れた川?です。この場所は、ずっと昔からありました。明神岳が綺麗です。
 
んん?この辺りに「白沢」って言うのが、昔はあったのですけどね。今は、普通の山道になっているようです。
 
 1978年8月上旬に、ヤマト同心の「タチゲ」を「白沢」で撮りました。地面は白い砂で敷き詰められていて、大きな木は枯れていました。そして、その上には明神岳が実に荘厳に見えていました。(標準レンズであることや、誤って、上の部分を感光させてしまい、トリミングしているので、ちょっと分かりづらいですね。)
 この白沢は、昔、土石流があって、こんな風になったんだとか?
 
あ、これは、1993年の盆休みの時の写真ですが、この時も、まだ「白沢」の面影は充分ありましたね。
 
道の横には、綺麗な水の池もあります。
 
 徳沢を歩く道を歩いていると「カランコロン」とかなり大きな音が聞こえてきます。ザックに付けている熊鈴の音量ではありません。ふと気がつくと、四角の木が埋め込まれ、そこに大音量の熊鈴が設置されていたのです。と言うことは、頻繁に熊が出ているんだなって思いました。今は、結構ヤバい山道になってきているんだね。
 
設置されている、大音量の熊鈴です。これが、とんでもなく大きな音が出るんですよ。
 
ありゃ「クジャクチョウ」がいましたぞぉ。
 
 もう、マジでヨチヨチ歩きでしか進めなくなりました。そんな時、中国人のパーティに抜かれました。その中の、黒縁の眼鏡をかけた、ちょっとおかっぱ風の髪型の女性は、実にテンションが高かったですね。この方達は、日本語はほんの片言しかしゃべれません。英語も話せません。しかし、何とかなるもんですね。
 「台湾から来ました。徳沢でテントを張ります。」みたいなことを言われます。私も、徳沢でテントを張りますよ、と言うと「おお、お隣さん。イェーイ!」と、二度もハイタッチをしてくれました。何と、テンションの高く、フレンドリーな女性でしょう。
 
 その後、両足の付け根の痛みは、限界を超えてきました。もしかしたら、徳沢にすら着かないかもしれないと心配になってきました。
 
 
おおっ!この光景は覚えているぞ。徳沢が近いぞ。奥に「大天井岳」も見えとるがな。
 
しかし、この草の生い茂り方は何なんだ。昔は、こんな草はおおくなかったぞぉ。これも、地球温暖化のせいか?
 
おお、この場所も・・・しかし、何か違う。そうです。右側は、岩が崩れていて、それ以上崩れない様に、長い間工事されていたのですが、綺麗になっていたのです。
 
黄色い矢印の所が、ずっと崖崩れの状態でした。2007年の写真。
 
徳沢間近で見た梓川です。7月初めだったかに、大雨が降ったので、水量が多くなっております。
 
 いつもなら、この黄色い矢印の方に行くと、水量が少ない場所があり、梓川の中州に渡ることが出来ました。しかし、今回は、どう考えても無理ですね。しかも、大雨で、川縁がかなり削れていますからね。
 
これは、2007年の写真です。上の黄色い矢印の箇所を降りれば、川幅の狭いところを通って、中州に行くことが出来ました。
 
 夜、晴れていたら、星は、この近くで撮るしかないですね。
 
あれまー、この黄色い矢印の所に行くと、昔は、堤防があったのですが、これでは、全く行くことも出来ませんし、堤防も草木ですっかり覆われていることでしょう。
 
これは、2007年の堤防の写真です。この時も、だいぶ草木が生えてきたなって思っていましたが、何とか、ここから天体写真を撮ることが出来ていました。
 
1978年7月下旬に、梓川の堤防で、ヤマト同心の「タチゲ」と一緒に星を見ましたね。もう、それは出来ません。
 
 やがて、マジで死ぬ思いで、徳沢に着きました。「あれぇー、あの簡易トイレが無いぞぉ。」その代わりに、仮設トイレの施設が2棟出来ていました。
 
1978年に行った時は、トイレは、実にきちゃない、ポットントイレでした。最盛期だったので、ウンチが便器の穴から盛り上がって出ていました。ゲロゲロ。
 
 「うわぁー、何じゃ、このテントの数は??」これまで、何度も徳沢にテントを張っていたことがありますが、この数は異常です。徳沢園に近い方は、立錐の余地がないほどテントが張られていましたので、私は、仮設トイレに一番近い場所に、ザックを置いて、徳沢園に、テンパイ料を払いに行きました。その額、1泊で1.500円でした。うぅー、結構高いな。
 
ここからの写真では、それ程、テントが多く感じないかも知れませんが「徳沢園」に近い方が、水場も近いので、立錐の余地がないほどテントが張られていました。
 
徳沢園にて、テンパイ料を支払うと、このようなラミネート加工されたものをくれます。これをテントに取り付けておきます。しかし、1.500円はチト高いのぉ。
 
 さて、私の隣には、どうやら登山教室のパーティがテントを張っていました。その先生は、ものすごい人で、チベットや、南極にも行っている人でした。
 
 その話し声が、自然と聞こえてきます。何でも2km登るには4Lの水が必要とか?等々。んん?1978年の蝶ヶ岳登山では、タチゲも、私も、登山前に水筒に水を入れるのを忘れていましたね。私の水筒には、前日に梓川の水をくんだ物が、いくらか入っていましたので、それを二人で分けて、12時間も歩きましたぞぉ。普通、死んどるな。しかも、当時も、梓川の水は、山小屋からの屎尿が染みこんで、大腸菌が一杯とか聞いていました。よう、腹を壊さなかったものです。
 
 しかし、グランシートに引き方等の注意点を言われています。「そんな敷き方をしたら、テントとフライシートの間に、雨水が溜まってしまうからダメだよと。」
 私は、家でパッキングを繰り返した時に、本来のグランシートを持ってくるのを忘れていました。仕方なく、車の中に置いてあった、サイズの小さいレジャーシート見たい物を使っていたのです。まさに、その先生の悪い例をしていることになります。
 
 しばらくすると、その先生とおぼしき人が「今、槍ヶ岳に雷雲が接近中との情報が入ってきました。」と言われました。「げっ、こっちも、雷雨になるのかな?」
 
 ああ、そう言えば、途中であった中国人の女性に、徳沢でも会いました。片言の日本語で話してこれました。「台湾から、午前2時発の飛行機に乗って日本に来て、そこから電車などを乗り継いで、ここに来た。」てな感じでした。ですから、みんな、疲れ果てていいると言われていました。それにしても、テンションが高く、フレンドリーな女性でしたね。
 
 結局、雨は降ってきていませんでした。汗でぐちゃぐちゃに濡れている服は、着替えていません。登山をするのなら、どっちみち、アホほど汗をかくしな、てな風に思っていました。少し、暗くなり始めてから、撮影機材を持って、梓川が見える場所まで行くことにしました。と、前を、年配の男性が二人歩かれていました。「え?こんな時間にどこへ?」と思って、突然声をかけました。その男性達は、少しビックリされていた様子です。
 「明神館に泊まるんですよ。」とのこと。「あちこちで、熊出没の看板が出ていますから、注意していって下さい。」と言いますと、男性の一人が、ずっと笛を吹きながら歩かれていました。だよね、暗闇で熊に遭遇したらやばいもんね。
 
 さて、持ってきた機材は、Nikon D850に純正の28〜300mmズームレンズ、SIGMAの15mm対角魚眼レンズ、サイオニクスオーロラプロにコンバージョンレンズ、K-ASTECのGF50なるポタ赤、結露防止のヒーターくらいだったと思います。
 さて、撮影場所に困りました。ありゃ、初め、ここが良いかなって思っていた場所だと、視界があまりにも効きません。てなことで、少し、明神方向に移動しました。
 
  両足の付け根が、アホほど痛かったので、結局、90分もあれば徳沢に着くと思っていたのに、3時間10分近く歩いていたので、疲れ切っていました。頭も全く回転しませ。服も汗でびちゃびちゃで気持ち悪いです。しかも、熊に逢ったらどうしようと、集中力がまるでありません。おまけに、Nikon D850のバッテリーが、何故かみるみるうちになくなってきます。これも、集中力がなくなる原因でした。(予備電池は、テントに置いてきていましたので。)
 
 明神岳、前穂高岳に沈む北斗七星だけは、何とか撮りたいと焦ります。山頂付近には、いくらかガスがかかったり、消えたりしています。
 ここで、大問題が。NikonD850のプレビューを拡大すると、中央ではない箇所が拡大されるので、星が入らないのです。何度かやり直しますがダメです。そこで、拡大しない状態のプレビューだけで適当に合わせることになりました。
 
北斗七星が分かりやすい様に、線を入れておきました。1978年7月「タチゲ」とこの光景を見てからは、いつも、これを撮りに、徳沢に来ている様なものでした。
 
もう少し暗くなってから撮り直しましたが、今度は構図が悪すぎです。明神岳、前穂高岳が、少ししか写っていません。
 
 K-ASTECのGF50なるポタ赤も持ってきていましたが、ガイド撮影をする元気が全くありませんでした。
 
 また、持ってきた「サイオニクスオーロラプロ」なるISO感度80万以上のビデオカメラには、「My Lens α」なる0.6倍のコンバージョンレンズを装着しました。しかし、これにも問題が起こりました。
 
下に出っ歯ている金具が、今回持参した雲台では干渉して、なかなか固定が出来ませんでした。まあ、何とかなりましたが・・・結露予防のヒーターも付けずに撮影です。三脚は、一本しか持ってきていなかったので(「Insta360X4」の自撮り棒が三脚にもなるので、どうしても必要ならこれを使おうと思っていました。)NikonD850を三脚に付けると「サイオニクスオーロラプロ」は、手持ち撮影になり、結構画面が揺れます。まあ、これは、私の構え方が悪かったこともあるのですが。
 
NikonD850のプレビューを拡大すると、中央ではない箇所が拡大される件ですが、初めは、黄色い矢印の所をいじりまくっていました。それでも、改善しません。そのうち、緑色の箇所がL(ロック)になっていたので、多分、これを外せば、改善するんだろうなって思いながら、それをやる気力すらありませんでした。
 
 その後、テントに戻りました。テントの中では、まず、手がつりました。そして、膝を曲げると、左足がつり、次に右足がつりました。これは、まずい。完全な脱水症状だぞ。慌てて、徳沢園の自販機で、アクエリアスを買って飲みました。(先に、缶ビールを飲んだのも悪かったのでしょうね。アルコールは脱水症状を進めますからね。)お小水は、あまり出ません。間違いなく脱水症状ですね。
 
 とりあえず、ウトウトしたのは、午後10時過ぎになってからでしょうか?しかし、夜の12時過ぎには完全に目が覚め、その後は全く眠ることが出来ませんでした。これが、実に辛い。いつも痛い背中も、とっても痛かったですしね。あっ!眠剤も飲んでいませんでした。これも、寝られなかった原因でしょうね。
 

 
2024年7月28日(日)
 
 午前4時前には、周りのテントからも人が起きてきていました。私は、足の状態が全く改善しませんし、この睡眠不足で、登山なんぞしたら、遭難しに行くようなものだと、徳沢を脱出することにほぼ決めていました。
 しばらくすると、雨まで降ってきていました。これで、脱出は決定です。
 隣の登山教室のパーティは「今日はハイキング的なスケジュールです。横尾まで行きます。」と言うのが聞こえてきました。
 
 この先生が、フライシートの張り方についても説明していました。「フライシートは、ちゃんとピーンと張ってテント本体と間隔を空けないと意味がありません。」この先生の説明内容は、昨日からそうなのですが、「ほれ、この隣のテントを見てご覧。これが、一番やっちゃいけないやり方です。」と言わんばかりに聞こえてきました。まあ、先生の説明は、一般的な事で、私の被害妄想なのかも知れません。
 グランドシートが、テントサイズに合わないのは、家に置いてきてしまったからです。また、フライシートを張らなかったのは、徳沢では、必要がないと思ったからです。また、ロープを張れば、これだけ人が多いと、そのロープに足を引っかけるからだと判断したのです。・・・と、思いっきり言い訳。
 
 確か、テント等を回収して、徳沢を後にしたのが、午前6時半頃だったかと。初めは、カッパを着たのですが、そのうち、雨が殆どやみましたので、カッパを脱いでから出発です。
 
 まず、明神に着いたのが、52分後くらいでした。ここには、45分で着かないとダメですよね。
 木で出来たベンチにザックを置いて休むと、その後、韓国人パーティがやって来て、私のザックの周りに、自分たちのザックを、殆ど間隔が無い状態で置かれました。おい、おい・・・一人は日本語が達者の様です。「天気はどうなるでしょうかねぇ。」「天気予報では、曇りとか言っていましたが、特に山の天気は分かりません。」と答えておきました。
 飲み物を飲んだ後、ザックを他の場所に移しました。と、何やら違和感が。ありゃー、カメラを忘れているよ。慌ててカメラを取りに行きました。そう言えば、いつぞやは、蝶ヶ岳登山の途中で、カメラを起きてきたことに気がつき、ザックを置いたまま、休憩場所に戻ったことがありました。と、登山してきたおじさまが「これですか?」と聞かれて、渡してもらいました。ああ、良かった。セーフでした。
 
 結局、上高地の小梨平に着いたのは、2時間半ぐらい後の事だったのでは・・・こんな鈍足状態では登山は無理ですね。蝶ヶ岳ヒュッテのHPには、最盛期には、正午にテン場が一杯になることがあると書かれていましたので、もし登山出来たとしても、そのまま下山する事になっていたかも知れません。
 
 その後、小梨平のトイレで、服を全部脱ぎ、濡れタオルで拭いた後、除菌シートで体中を拭いた後、服を着替えました。そうしないと、とても、公共のバスには乗れません。
 
この後、河童橋付近を歩いていると、またも、あり得ない程人がおられました。しかし、そんな超混雑している中で、前を歩いていた、若い男性の2人のパーティーの内の一人が、ずっと歩きスマフォをしています。これには、驚きました。否、呆れ果てました。これだけ問題になっている歩きスマフォを、こんなところでまでやるヤツがいるんだと、正直腹が立ちました。
 帰りのバスも、満員でした。助手席まで出して座る人もおられました。
 途中のバス停では、白人の若い外人さんが、終われましたが、乗ってこられませんでした。行き先が違う様でした。
 
 沢渡の駐車場から車を走らせました。この際、前を走っているYナンバーの車がヤバかった。かなりきついカーブの連続だったのですが、殆どで、完全に対向車線にはみ出すのです。対向車線に車が見えなかった時ではありましたが、かなりの急カーブなので、対向車が見えないこともあると思います。そこを、こんな危険な運転をして・・・明らかに対向車が見える時は、対向車線にはみ出しませんでしたが、それでも、中央線ギリギリまで膨らんでいました。こいつ、そのうち、とんでもない事故を引き起こすぞぉ。プンプン。
 
午後3時過ぎに、長野県野辺山の民宿「こっつぁんち」に着きました。直ぐにシャワーを浴びさせてもらいました。
 
 もう、蝶ヶ岳登山は無理かな?と、落胆しました。しかし、一からやり直したら、何とかなるかも知れないとも思ったりしました。
 
 でも。今回の蝶ヶ岳登山は、大失敗です。しかも、人が多すぎる。どうしたものか・・・まだ、まだ、結論が出ていません。
 
今回の失敗は、恐らくですが・・・ミレーのデイパックが、下に下がりすぎた状態で固定されていたので、ザック全体が後ろに引かれる状態になっていたのだと思います。従って、上半身は、前に傾き、ザックの下が、腰の辺りに乗っかっている状態が悪かったのかと思ったりしています。(赤丸のところ)従って、ピンクの五角形の、両足の付け目に、大きな負担がかかったのではないでしょうか?知らんけど。
 

2024年7月30日(月)
 
 9月29日には、急遽、野辺山の民宿「こっつぁんち」に泊めてもらいました。宿泊者は私一人でした。そして、この朝、「こっつぁんち」から車を走らせること、9時間43分程で、帰宅出来ました。マジしんどかったわー。

 
徳沢にて「サイオニクスオーロラプロ」を手持ちで撮った動画です。疲れすぎて、ろれつが回っていません。
 後半で、あれはカペラだとか、抜かしておりますが、カペラがこの時間帯に見えるはずはありません。うしかい座のα星、アークトゥールスでした。
 実は「サイオニクスオーロラプロ」越しで、北極星を見た時、余りにも明るく見えたので「あれぇー?何だよ、あの明るい星は。」と思っていました。それほど、徳沢の星空はすごかったのでしょう。
 
これが、そのアークトゥールスです。いつも見ている場所と異なったことや、集中力がゼロだったので、しばらくは、アークトゥールスとは思わなかったのです。完全なアホぢゃ。