2023年9月15日(金)
 
  最近、何か調子がとーっても悪いんですよ。そんなこともあって、明るい内から焼酎の水割りを飲んで、無理くり寝ている生活を幾度となくしておりました。もう、完全にアル中 & ヘゴヘゴジジイやんけ。いっぺん死ぬか?
 しかし、アホ衛門は、立ち上がりました。立て、立つんだ、ジョー!よっしゃ、まっかせなさーい。
 てなことで、鳥取県の大山登山を再開することにしました。エライ、エライ、撫で撫で。「我が生涯に一片の悔い無し。」・・・そう言えば、少し前にインスタントラーメンの「日清 ラ王」を食ったな。どうでも良いけど。
 しかし「南河原駐車場」に着いたのは良いけど、身体だりぃー。やる気が起こらん。帰ろうかなっ!などと思いつつも、取りあえず登山をすることを決めたアホ衛門であった。いとをかし。
 
 まあ、折角ここまで来たんだし、登れるところまで登ればいいや。もし、あまりにもしんどくても、せめて6合目までは行きたいなと思って登山を開始しました。
 夏山登山道から登山開始した時刻が、午前10時40分です。
 

うーむ、いつもの格好ぢゃ。この手袋、何十年前のものぢゃ?登山靴も、かなりの年代物だぞぉ。その昔、登山靴のソールはウレタン製でした。湿気の多い日本では、加水分解をしてしまい、どうかすると、2年から3年程で、ソールがベローンとハゲてしまいましたね。北アルプスでも、登山中にソールがハゲて、中には、針金でグルグル巻いて固定しながら歩いていた人もいました。
 
 「う、なんか、むちゃんこしんどい。天気が悪いので、逆に暑くないのがせめてもの救いか?」
 しかし、湿度が高かったんでしょうね。予想外に、突然、滝のような汗が流れ始めました。これは、やばいのねんのねん。
 

 1合目に着いたのが10分35秒後。ちょっと以前より遅れ気味だが、まあ、この体調ならまずまずぢゃ。
 

 2合目には22分2秒後に着きました。しんどさが、更に増してきました。でも、意外にも、その遅れはちょっとだけです。
 

 3合目には、32分4秒後後に着きました。過去、無茶苦茶体調が悪かった時には、この3合目に着かずして下山したことがあったよな。現在の、大山夏山登山道は、整備されまくっており、ずーっと階段地獄が待っています。これが、歩きにくいのよ。
 

 

4合目には、41分52秒後に到着。あれぇー、しんどい割には、まあまあのスピードで登っていますね。
 

 5合目には1時間52分40秒後に到着。正直、もう下山したくてしたくてたまらない状態でした。それでも頑張るアホ衛門であった。エライ、エライ。
 

 6合目避難小屋には、1時間7分10秒後に到着。「ん?やっぱ、遅れてる気が大いにするぞ。」ここで、既に休憩されていた人に声をかけるが、返事がありません。直ぐに、登山を開始されてしまいました。アホ衛門は、わずか2分程休憩をとっただけでした。ルイボスティーとソルトキャンディにて、水分と塩分を補給しました。
 

6合目避難小屋です。既に、黄色い服を着た人が休んでおられましたが、直ぐに、登って行かれました。
 

 7合目には、1時間21分22秒後にに到着。確か、このあたりで、下山し来た人が「あと15分程で稜線に出て、涼しくなりますよ。」と言われていたと記憶しております。7合目からの登りは、大山の中では一番傾斜がきつくなり、しかも、ガレています。
 

 

8合目には、1時間41分20秒後に到着。「おっ?もしかしたら、このクソ悪い体調でも、2時間以内で登頂出来るかもしれない。」と頑張るアホ衛門でありました。しかし、実にしんどい。
 
 やがて、木道が現れます。しかし、この木道が、疲れた身体には、実に歩きにくく、しんどすぎます。
 9合目は、写真を撮る余裕がなかったが、登山開始から、1時間49分後に到着しておりました。「あと10分以内で、登頂出来るのか???」
 それでも、頑張るアホ衛門。高い木がないので、冷たい風が吹いているのが、せめてもの救いです。しかし、ガスが辺り一面覆っているので、周りは何も見えず。どよよよーん。
 
 おもっクソ頑張って山頂に到着。して、その時間は「おお、1時間56分41秒。この体調からしたら、結構早いんでないの?」
 

「おお、この体調で、よくぞこのタイムで登って来られましたね。」と自分でも感心しておりました。
 

これは、山頂ステージにある、大山山頂の標識です。
 

山頂で自撮りです。汗と、ガスで、身体全体がびしょびしょです。
 
 平日なのに、数組のパーティがおられました。おばちゃん?(もっと若かったかな?)の写真も撮らせていただきました。また、割と若い、カップル?夫婦も登って来られていました。
 しばらくすると、6合目であった男性が登って来られました。6合目の様子では、人とはあまりしゃべりたくない性格の人かと思っていたら、それは、間違いでした。
 何でも、現在は横浜に住んでいて、明日、同窓会があるので、その次いで大山に登ってこられてきたのだそうです。お母様が、島根県松江市の出身なのだそうです。派手な蛍光色の黄色いTシャツには「ITALY」と背番号が書かれていましたので「サッカーのTシャツですか?」と聞くと、「そうじゃないですかね。私も分かっていないんですけど。」思わず、吉本新喜劇バリに転けそうになりました。
 ちなみに「1979年の夏に、山頂では蛍の乱舞が見られました。また、縦走路を少し行ったところでは、沢を登る蛍の無数の蛍の光がジワジワ登ってきて、それは、美しいと言うよりは、怖かったです。」と、いつもの昔話をしてしまいました。
 山頂は、ガスに覆われ、全く辺りが見えない状態でした。まあ、私は、なまりきった身体に活を入れるためだけに登っているので、ジェンジェン問題なし。
 と、「あれ?えぇー?」何と、山頂ステージの端っこに、4折りにされた千円札が落ちていました。よく風で飛ばされなかったものです。「誰か、千円札を落とされていませんか?」と聞きます。皆、首を横に振ります。こんなの警察に届けても迷惑になるだけだよな。
 山頂では、ほんのわずか休んだだけで下山を開始しました。
 その後、多分、初めて新しくなった山頂小屋を訪れました。こんな日でも営業されていました。しかし、部屋の中は薄暗く、ジジイの目には、きつかったです。「すみません。山頂ステージで、4折りの千円札が落ちていましたが、誰か心当たりのある人はいませんか?」と聞きましたが、皆さん首を横に振っています。ある一人が、そこそこと言わんばかりに、募金箱に顔を向けました。そんな訳で、誰のお金か分かりませんが、募金させてもらいました。
 
 その後、一時的ですが小雨が降ってきました。これは、ヤバいぞ。カッパを着るか?否、この程度の雨なら、カッパを着れば、なからから蒸れて、もっと大変な事になるぞと思ってそのまま歩きました。一応、ゴアテックスのカッパなのですが、そこは、カッパはカッパなのですよ。相当蒸れるんですよ。
 
 その後、8合目辺りだったでしょうか、ガタイがムチャンコでっかい外人の男性が二人おられました。片言の英語で挨拶をします。
 
 しばらくすると、更にガタイのデカい男性が一人登って来られました。「アーユー、オーライト?」みたいな片言の英語で聞きます。「ベリー、ハード!」みたいな答えが返ってきました。「アイ シンク・ソウー!」と、私。もしかしたら、先にいた男性二人の友達だったのでしょうか?
 
 6合目に着きました。ちょっと、膝が痛くなってきました。それでも、過去の様に泣きたくなるほどの痛さではありません。その後も、足を多少かばいながら下山を続けました。
 

6合目避難小屋で、小休止です。ガスが少し晴れてきて、風景が少し見えてきました。登る時間帯を誤ったかも知れません。もっと、早くか、もっと遅ければ、山頂で、いくらかは風景を見ることが出来たかも知れません。
 
 夏山登山道も入り口に着きました。その時間、1時間38秒28秒でした。この体調から考えると、立派なものです。
 その後、トイレで汗でベッチョリ濡れた服も下着も着替えました。そして、いつもの通り、モンベル前の自販機で、エナジードリンクを買って飲みました。おいちいー!「ありゃ、大山のかなりの部分のガスが切れ始めているぞぉ。ま、エエッか!」
 

 下山タイムを取っておきました。今回の体調では、立派な下山タイムです。・・・自分的には。まあ、なまりきった身体に活を入れるために登山をしたので、風景などどうでも良かったのです。
 帰宅しました、意外にも、身体も膝もそれほどダメージが残っていませんでした。いとうれし。
 
 帰宅してから体重を計ると、朝、朝食を撮った時の数値より、2.3kgも体重が減っていました。まあ、昼飯も食べていなかったし、殆どは、汗をかいたことによるものでしょう。登山をすると、一時的に、大体2kgは減っています。