2023年7月24日(月)
 
 またも鳥取県の大山(1.709.4m)に登ってきました。しかし、今回の登山は、実に大変なことが起こりました。
 本当は、昨日の日曜日に、登る予定でおりました。しかし、ちんたらしていたら、あっという間に、時間が過ぎていきました。「こんな時間から登ったら暑くて死ぬでぇー。しかも、日曜日だから、人も多くて大変だぞ。」てなことで、本日に予定変更です。
 9時55分、夏山登山道から登り始めました。「くぅー、これでも遅すぎる登山開始時刻。」
 

時計は9時54分を示していますが、実際には、9時55分スタートです。
 
 この日は、初めから身体が何だか「ふわふわ」しているんですよね。「クラクラ」ではなく「ふわふわ」なんですよね。
 それでも、最初の方では、1合目辺りにつき、10分か、それより少し遅いペースで登ることが出来ました。
  と、4合目付近で、大学生らしきパーティが休憩をとっていました。すると、彼らも直ぐに登ってきました。「私は、遅いですからお先にどうぞ。」と、道を譲ります。と、抜かせた途端に、また、休憩です。おい、おい、そのペースでは、登頂出来ないかも知れないど。
 6合目避難小屋に、息も絶え絶えに着きます。ここでは、登山者、下山者が何人も休憩されていました。私は、ここで、初めて経口補水液を飲みました。私の隣には外国の男性が休憩されていました。片言の英語で会話します。何でも、アメリカから来たんだそうです。日本語は、全く分からないようです。そこへ、蜂がやって来ます。黄色スズメバチと思って「ベリーデンジャラス!」と言いました。(後で、他の登山者に聞いたら、アブでした。確かに、黄色スズメバチより小さくてお腹が、でっぷりしていましたね。アホ−!)
 この辺りから、ペースがかなり落ちます。左足が踏ん張れず、2度ほど転けそうになりました。あっかーん!!
 体調が、悪い方だったんで、登頂タイム更新は諦めていました。それでも、2時間以内の登頂が出来たら良いなって思っていました。しかし、ペースダウンで、それも諦めておりました。
 8合目を過ぎると、木道が出てきます。疲れ切った身体には、この木道が実に歩きにくい。時計をみます。お?もしかしたら、2時間の壁は破れるんじゃねぇっ?必死こいて動かぬ足にムチを打ちます。
 んで、登頂タイムは・・・ 
 ニャンと、1時間59分59秒!!おお、奇跡的に2時間を切ったぞぉー。
 

後1秒遅れていたら、目標未達でした。紫外線を浴び続けた手が、完璧なジジイぢゃ。
 

山頂は、現在、三角点が移動されており、標高は1.709mとなっております。(正確には1.709.4m。2000年の鳥取県西部地震で、以前の三角点1.711mが崩落したためとのこと。
 
 普段は、金がないこともあり、家に引きこもっていることが多く、人と話す機会が俄然少なくなっております。そんなこともあり、誰彼かまわずに、声をかけてしまいます。私の下の方で休んでいたやや年配の女性は、何と栃木から来たのだそうです。以前、米子市に来て、大山も登り、すっかり好きになっただそうです。「以前登った時は,時期が早かったので、こんなにお花が咲いていなかったんですよ。」と。「えっ?花?」そう思って前を見てみると、確かに花が咲いていました。「ん?あれは・・・ありゃ、ダイセンクワガタだ。」その女性に「ダイセンクワガタ」は、大山固有の花であることをご案内申し上げました。
 

 山頂小屋前に咲いていた「ダイセンクワガタ」です。多分。
 「ダイセンクワガタ」ではない可能性が出てきました、花びらの形が違う様な気がしております。
 

この後ろ姿が,その女性です。ご苦労様です。
 

登山途中で、何度も襲われそうになった「アブ」。初めは、黄色スズメバチかと勘違いしておりました。
 

平日で、尚且つ、既に下山をした人がいる中では、そこそこの登山客です。
 

1979年から1981年にかけて、夏、冬、早春に大山に登った時は、小屋は木造の古くて小さな物でした。今は、ソーラーパネルまで装備した鉄筋の立派な物に変わっています。
 

 小屋は、今も工事が続いています。働いている人は、登山してきているのだそうです。資材は、日程を決めて、アホ程の回数、ヘリコで荷揚げしています。
 8月9日の登山の時、分かったのですが、この工事は、木道が老朽化しているので、迂回する木道を作っている様でした。
 
 さて、その女性は、バスの時間に余裕があるので、下りは「石室」(いしむろ)に寄った後「行者谷コース」を通って、バス停に行くとのことでした。
 しばらくすると、私も下山開始です。傾斜がきつくなった辺りから、左膝がかなり痛み出しました。また、左膝をかばっていたら、更に右膝にも痛みが走り出しました。
 8合目辺りだったでしょうか?あの大学生のパーティがようやく登ってきました。完全にバテバテの様子です。「山頂は涼しいですか?」と聞かれました。「ああ、結構涼しいですよ。頑張って下さい。」と申し上げました。
 6合目避難小屋で、一端休憩です。両膝が完全に悲鳴をあげています。こんなに痛いのは初めてじゃないかな?
 それから、少し降りた所に、分岐点があります。「ああ、そう言えば、山頂で話した女性は、行者コースを下るって行っていたな。ピストンばかりでは能がないから、久しぶりに、オイラもここから下ろう。」
 しかし、両膝の痛みは限界に近い状態でした。全く、速く歩けません。これは、マジでやばいぞぉ。この時間、このコースを歩いている人は誰もいませんし。
 

超久しぶりに「元谷」を歩きました。
 
 「あ!下山神社だ。そうか、ここへ続いていたんだ。」しかし、大きな石段を、半歩ずつしか下ることが出来ません。そのうち、恐らくだいぶ後から下ってきたと思われるオジちゃまに、バビューンと抜かれてしまいました。
 

「大神山神社 奥宮」に着きました。両膝がクソ痛ぇーよぉー!!
 
 泣きそうになるくらいの膝の痛みの中、車を停めていた「南河原駐車場」着きました。記録を吹っ飛ばしてしまったので、正確な時間は、分かりませんが、2時間14分程かかった様です。トイレで、汗でグッショリ濡れた服を着替えてから,帰宅しました。「この膝の痛み、ヘタをすると1週間ぐらい、まともに歩けないかも知れないぞぉ。」
 帰宅するとシャワーを浴びてから、多分、焼酎の水割りを飲んで、昼寝ならぬ、夕寝をしました。(疲れ果てていたので、焼酎を飲んだかは、はっきりとした記憶なし。でも、絶対に飲んだでしょうね。)
 
 しかし、これがいかんかった。
 目が覚めると、右手首が動かないのです。右手には、シワがよっていたので、右手を下にして、そこに体重をかけて寝ていたようです。
 「まあ、少ししたら動くだろう。」そう思っていました。しかし、右手首は、下を向いたままで,上を向かせることが出来ません。「まさか、脳梗塞?否、ロレツは回っているし、ダメなのは、右手首だけだぞ。まあ、明日になれば大丈夫だろう。」
 しかし、利き手の右手の手首が動かないことは、非常に不便です。文字は、まともに書けませんし、パソコンのキーボードを打つのにも、普段の10倍以上かかります。マウスも、左手を添えないと、操作できません。
 明日、治っているといると良いな。
 

右手首が、こんな状態になり、自力では上に向ける事が出来ません。実に、困ったちゃんだ。しかし、特に痛みはないし、左手で,右手をグイッと押し上げると、右手首は上を向けることが出来ます。右手の関節が固まった訳ではないようです。何なんでしょうね?
 
 かかりつけのクリニックに行って診てもらいました。何でも「橈骨神経麻痺」ちゅー、症状だとのことでした。ヘタをすると治るに3ヶ月かかるかもしれないとのことでした。それでも、ダメなら外科的手術が必要になるかもしれませんとのこと。
 結局、1ヶ月以上経った頃に、かなり良くなってきました。しかし、9月9日現在でも、感覚が完全に戻っていません。一時期、右手全体が、とんでもない疲労感に襲われましたし。その時は、多分右手の力は、女性の力の半分位しかなかったのではないでしょうか。
 皆様も気をつけて下さい。酒を飲んで、変な格好して寝てしまうと、発症することがあるとのことですからね。