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  • 2013年徳沢遠征
  • 2013年8月徳沢遠征

  • 2013年8月10日(土)

  •  大ストレスの中、事前の用意もままならず、何と午後12時26分と言う、とっても遅い時間に出発することとなった。事前にはいろいろ考えていたが、結局思った通りにはまるで運ばなかった。本来なら、トレーニングをして、蝶ヶ岳登山の復活を果たしたかった。しかし、現実にはそんな余裕などまるでなかった。
  •  それならば、未明のうちに出発して、この10日に一気に徳沢に入りたいと考えてもみたが、それも夢のまた夢だった。
  •  しかし、その遅いスタートのおかげ?でまるで渋滞にあわなかった。昼飯も夕飯もSAでしっかりとったのに、穂高タウンホテルには午後6時50分頃に着くことができた。しかし、このところ酒の量が多いのか、おなかの調子が悪く、部屋に入ったとたん下痢ピーを放出。ちょっとやばかったねぇ。
  •  ホテルには、かなり適当に車に積み込んだ荷物をほとんど全部もって上がって、荷物の整理を始めた。と、「ああ?ヒーターのヘッドの部分がない。ない。ないぞー!」車の中をもう一度探してみてもやはりない。「おかしいなぁ。ちゃんと入れたと思ったんだけどなぁ。これじゃ、食事が作れないじゃないかよ。」・・・おっ?ベッドの上に転がっているのを見つけてビッツラ。ん?何故ぢゃ?ワープでもしてきたのか?これはもしかしたらガミラス星の製品か?ゲシュタポジャンプぅー。
  •  とにかく、疲れ果てた身体で、パッキングをし始める。これが、実に時間がかかる。撮影用の機材だが、どのレンズを使うべきなのか、そんなことですら、この場で悩んでいるのだ。また、今回は、これまでの反省から、テントは一番出しやすい場所に入れ、エアアシストのマットもザックの中に入れた。ノースフェイスの75Lのアタックザックには、スペースシャトルスタイルよろしく、デイパックをくくりつけた。しかし、マットをザックの中にいれた副作用で、そのディバックはそ少々かさばって、重くなってしまった。こうなるとバランスが悪く、体感重量が増すのだが、まあしょうが無い。
  •  ところで、天候は、初めは何か曇っているのか晴れているのかわからない感じだったが、穂高町に着いた頃にはほぼ快晴になってきた。本当にほっとした。明日からの天候に大いに希望が湧いてくるってもんだ。
  •  ホテルの中では、持ってきていたDVDやブルーレイをパソコンで見て、缶ビール350mlを2本飲んで寝た。その時刻、確か12時頃だったような。

  • 2013年8月11日(日)

  •  ちゃんと7時15分頃に、ホテルの朝定食を食べた。結構ちゃんとしたメニューだった。おいちぃー!
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  •  朝から良い天気。ちなみに、このホテルの駐車場は昔の約半分となり、辺りにもいろいろな店が出来ており、時の流れを感じる。
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  •  驚いたことに、夕べからずっと快晴だった。このホテルには何度も泊まっているが、こんなことは初めてのことかもしれない。昨年は、同じこのホテルに泊まっていたが、結構な雨で、金星食が見られなかったしねぇ。
  •  食事が終わると、ホテルに持って上がっていた荷物を、何度も分けて再び車に積み込んだ。そのため出発には多少手間取った。と言っても、徳沢入れば良いだけの話なので特に急ぐこともないのだ。
  •  盆休みのまっ最中のこともあり、道はかなり混んでいた。心配なのは、梓辺りの駐車場が空いているかと言うことだけだ。
  •  案の定、いつもの梓の足湯のある駐車場も、ゲートが閉まっている。「あー、何と言うことだ。これで一巻の終わりか?」・・・ん?先で先導してくれているおじさんがいるぞぉ。本来駐車場ではない場所に臨時のスペースがあり、そこに停めることが出来た。しかも、前払いなのも助かる。支払う際に、万札しかなかったりすると大変だもの。
  •  ところで、上高地に向かうタクシーだが、ジャンボタクシーなるものがあった。一人で乗るのなら4.000円余りかかるところ、何と800円ですんだ。しかも、タクシーの運転手さんの観光ガイド付きだった。更に、上高地バスターミナルの少し先のタクシー乗り場に着くと、運転手さん達だけが知っている「秘密の湧き水」まで飲ませてもらった。まるで癖がなく冷たくて実にうまい。
  •  そこから、一端、少し戻ってバスターミナルに行ってみた。何故かというと、こんなピーカンの天気なら「あの長年の疑問」を解決できるかもしれないと思ったからだ。それは、この場所から本当に焼岳が見えなってしまったのか言うことだ。1978年にここに初めて来た時、このバスターミナルで撮った写真には、タチゲの背景に焼岳が写っている。その後、何十年にわたって、その焼岳を探しているのだが見つからなかった。もう木々が成長して見えなくなったのだと思い込んでいた。しかし、「いや、もしかしたら、場所を間違って記憶していたかも知れない。」と、何故かそう思うようになってきていたのだ。そこで、バスターミナルの駐車場内をくまなく歩き回ってみた。・・・「あ、あ!あるよ、あるよ。」何と、バス乗り場の方から見ると、木々の上に焼岳が何とか見えているのだ。1978年の写真から、この場所は絶対ないと思い込んでいたのだ。あーあ、思い込みは駄目ですよねぇ。
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  • 上高地バスターミナルは良い天気。この日はバスも規制がかかっているとかで、駐車場はガーラガラ。
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  • いつものあの黒い山も健在だ。
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  • 実は、バスターミナルからまだかろうじて「焼岳」は見えていた。35年ぶりにこの焼岳に再会した。
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  • 1978年の上高地バスターミナルと焼岳。恐らく、当時と現在では駐車場のレイアウトがいくらか違っているのだろう。(あんましかわっていなかったりして・・・)
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  • 河童橋だ。しかし、この賑わい。河童もビックリしていることだろう。
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  •  途中写真を撮りながら、徳沢に向かった。結構な人だ。と、身長が高く、すらっとしたスタイルの良いアベックが歩いていた。しかし、女性の方は、ザックは持っていない。ハイキングかなぁ?この女性は足がとても白いうえ長くてきれいなのだ。それに、ショートパンツをはいている。おお、私の波動エンジンが点火しないわけがない。前から言っているが、私の天敵は、色白とショートパンツなのだ。例え、彼氏だか、ご主人だかしれないが、そんな人がいても別に良いのだ。がっはっはっはっ。私はエロじじい。おっほっほっほっ。
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  • どうやらこの人達、徳沢園に泊まっているのでは?徳沢園近くでも見ましたから。多分テント泊まりではないと思いますが。
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  •  明神には意外に早く着いたように思う。多分45分かかっていなかったのでは。ここでは、山価格160円の缶ジュースを飲み干した。しかし、ほんの少しの休憩の後、先を急いだ。
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  • 明神に着いたよ。恒例行事の様に、山価格160円のジュースを飲み干す。ああ、うまっ。
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  •  これまた、明神から45分かからずに徳沢に着いた。徳沢では、既にテントが多く張ってあったので、トイレ道に近い場所で、大きめの木の下にテントを張った。雨が降ってくると木の下は、虫が落ちてきて最悪だが、天気予報からして雨が降らないと決め込んでの行動だった。ちなみに、テントは、前のテントが老朽化しつつあるので、3人用のアライのテント新調したのだ。今回が初使用になる。
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  • 私のテントは、「便所道」(勝手に命名)と徳沢ロッジへの道のちょうど真ん中に張った。
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  •  面倒くさかったので、ビールとおでんを徳沢園で食した。店員の一人が「宮﨑あおい」似の、個性的な魅力のあるとてもかわいい女性だった。うーむ、目の保養、目の保養。
  •  さて、天気の方だが、本当にピーカンだった。空はどこまでも青く、雲もほぼない状態だ。しかし、こんな状態でも、毎回、宵の頃には明神岳、前穂高岳方面からガスが押し寄せてくる。さて、今回はどうなることやら。実は、どうせ今回も駄目だろうとネガティブ思考でいたのだ。
  •  午後2時過ぎだったか、3時頃だったか記憶が定かではないが、アストロトラックTT320Xを組み立ててテストをしていると、隣のテントの、恋人ないしは夫婦が「それって、星を追いかける装置ですか?」と聞いてきた。へぇー、知っている人がいるんだとびっくり。装置の仕組みを説明してみるのだが、やはりそれは理解してもらえなかったようだ。・・・と、なにやら、テントを片付け始めたので、声をかけた。「これから、涸沢まで行くんですよ。」とのこと。えー?この時間から行くんですか?時間は?え、4時間ほどかかるって?しかも、男性の方のザックは、見た限りでは25kg近くありそうに見える。「さすがに若いと違いますねぇ。」というと、「ギリギリですよ、ギリギリ。」と笑いながら出発していった。ちなみに、私のアタックザックは、正確には測定していないが、恐らく28kgだったのでは。これでは、とても蝶ヶ岳に行くことは出来ませんねぇ。
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  •  アストロトラックTT320X。ジッツォのオフセット自由雲台は、構図を決めるのが実に楽ちんで重宝した。初めは強度を心配していたのですが、望遠レンズでなければ十分実用になります。
  •  しかし、予備電池を持ってくるのをやめたので後でえらい目に遭うこととなるのだ。タイマー付きリモコンのトラブル、ピントがなかなか出ないといったトラブルも。あーあ。
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  •  夕方になっても、ずっと快晴のままだった。やったぞぉー。これで、長年の夢だった、明神岳、前穂高岳に沈む北斗七星が写せるぞぉ。(1978年以降、何度もチャレンジしているが、ピーカンの状態ではあまり撮れていないからだ。)
  •  しかし、大きな問題が発生。カメラのピントが出せないのだ。空がある程度明るいうちは、わずかに見える星を、ライブビューで見てもまるでピントの位置が分からないのだ。焦る、焦る。とにかく焦る。8月になると、北斗七星が沈むのは早いのだ。あ、何か変な虫に何ヶ所も刺されたぞ。こりゃあ、痛がゆくてたまらん。ここ数年、温暖化のせいか、なにやら訳の分からない虫によく刺されるのだ。
  •  と、人が何人か来た。あれ、あのショートパンツの人もいるじゃないかよ。ゲロゲロ。結局はしばらくすると寒いのかテントや山小屋に戻っていったので一安心。
  •  さて、肝心の北斗七星だが、とても思った通りとはいかなかったが、とりあえず写すことが出来た。
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  • もうすぐ夜が・・・天気は良さそうです。
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  • まだ辺りが明るい内に明神岳、前穂高岳の上に輝く北斗七星を撮ってみました。
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  • EOS5D MarkⅡにEF17〜40mmの17mmで固定撮影。肉眼で見たイメージに一番近いかも。
  • これはガイド撮影ですねぇ。
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  •  ところで、ペルセウス流星群は思ったほど飛んでなかった。露出中の画角にそこそこ明るい流星が何回か入ったものの、すぐに確認してみたが、まるで写っていない。くっそー。ぐれるわ。
  •  梓川のまさに川のすぐ近くで撮っているので、結露も半端ではない。ピントの位置がズレては大問題なので、アセテートテープでピントリングを固定してから桐灰カイロを巻き付けておいた。桐灰カイロは薄手の靴下に入れて巻き付ける。これが一番だ。
  •  しかし、今回とにかく驚いたのは、キャノンEOS 60Dのリチウム電池の持ちの良いことだった。
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  • (しかああああし、後でパソコンに取り込む時にとんでもないことに気がついた。何故か、画像保存形式がJPEGになっていた。RAWでないと、いろいろな処理が実にやりにくい。でも、どうしてだろう。このカメラでJPEGで撮ることなんか絶対に無いのに。)
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  •  月が沈み、いて座付近の銀河が南中する頃になると、それはものすごい星空になった。カシオペア付近から白鳥座を経て、射手座付近まで、銀河が流れているのくっきり見える。しかも、その銀河の中に暗黒帯があるのも、はっきり見えている。久しぶりの「びびる」ような星空だ。今回も、こぐま座の5等星を見て確認してみる。随分明るく見えているなぁ。この見え方なら、7等星は確実に見えているよな。
  •  ところで、初めTT320Xは、K-ASTEC高度方位調整装置 XY50に乗せていたが、これが、まるで北極星が入らないのだ。少し前に大雨が降ったのだろう、その水流で大きな石ころが流されてきて、辺りは大きな石ころだらけなのだ。これが原因で三脚の水平がまるで出せないのだ。多分そのせいで北極星がなかなか入らないのだろう。そこで、念のために持ってきたスリックの小型自由雲台(といっても作りはしっかりしているもの)に付け替えた。これは、文字道理自由に動くので、あっという間に極軸のセッティングが出来た。望遠レンズは使わないので、これなら、初めから自由雲台を使っておけば良かったのかもしれない。無駄な装置を持ってきたことになる。本当に事前のテストが足りない。
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  • 今回は写真の通り、梓川は大きめな石がゴロゴロとして、平らな場所が全くなかったのです。例年なら、砂浜の様な場所があるんですけどねぇ。
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  •  また、実にアホなトラブルにもあった。EOS60D SEO改カメラに使う、エツミ製のタイマー付きリモコンが作動しないのだ。「あ、壊れちまったのか?ガオー。」と思っていると、タイマーなしの状態ではシャッターが切れる。ん?もしかしたら、もう電池切れか?ボイスレコーダーの電池と入れ替えてみる。ん?あれ?ディスプレイが表示しない。電池の残量はあるのにこれはどうしたことだ。しばらく試行錯誤していると、やっと気がついた。このリモコンはディスプレイのスイッチが別にあって、少し前に自分で切っていたのだ。私は惚け老人!・・・しかし、「ありゃりゃりゃ。これでもシャッターが切れないぞ。おっかしなぁ。」何度も試したが駄目だ。半ば諦めかけた時のことだ。ん?この入力した数値って露出の値じゃないのかも。ディスプレイをよく見てみる。あららら、確かに露出の値ではなかったよー。純正のリモコン付きタイマーは、一度設定したらその数値がずっと残っているのだが、このエツミのリモコン付きタイマーは、ディスプレイの表示のスイッチを切ると初期設定になってしまうのだ。あれやこれやとドタバタを繰り返した後、何とか思ったように作動することとなった。おー、良かった。このタイマー付きリモコンが使えるか否かでは随分効率が違うからなぁ。
  •  せっかくの快晴なので、朝まで粘って、明神岳・前穂高岳に突き刺さる北十字星(白鳥座)を撮りたかったが、完全に根性が切れてきた。もう駄目だ、テントに戻って眠ろう。最近の精神状態、蓄積疲労を考えたら仕方が無いかもねぇ。
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  • いて座付近の銀河。RAWで撮っていれば、もっとましな画像処理が出来たのにぃー。まあ、画像処理は後で他の可能性を探りましょう。

  • 8月12日(月)

  •  起床したのは、8時頃だったか。登山の前線基地である徳沢では、こんな遅い時間に起きる人はそうはいないだろう。眠剤を飲んだせいもあってか、結構ぐっすり寝た。
  •  ところで、夕べは宵のうちは暑いくらいだったが、時間が経過するにつれて寒くなった。長袖とズボンでシュラフに入っていたが、かなり寒く感じてきたので、途中から防寒着も着てシュラフにもぐりこんで寝ていた。
  •  ところで、今日は、登山もしないので本当にやることがない。天気予報をノイズだらけのラジオで聞いていると、どの場所かいまいち分からなかったが、曇ってくるようなアナウンスが聞こえてきた。ああ、今日は駄目なのかなぁ。8月の徳沢って、宵の時間は結構雲が出るからなぁ。(余談ですが、徳沢は携帯電話は圏外で使えません。従ってスマホも使えません。)
  •  昼過ぎ頃だったか、梓川付近を散策していたら、笛の音が聞こえた来た。あれ?この笛の音、前にも聞いたぞぉ。そうなんです。以前にも同じ人が梓川の河原で吹いていたんですよねぇ。初めはオカリナかと思っていたのですが、縦笛のようでした。
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  • 空が実に青い。徳沢のテン場から明神岳・前穂高岳を望む。
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  • 明神岳の山頂?スワロフスキーEL8.5x42 SWAROVISIONで見るとビックリするくらい山肌の状態がくっきり見える。と、山頂に人がいるのに気がついた。うそぉー。あんな所登っているのぉ?
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  • あららら。やはり、人がいますねぇ。
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  •  夕方になると、案の定、明神岳、前穂高岳の方から薄雲が襲来してきた。この時は、もう完全にあきらめの境地になっていた。「あーあ、いつのパターンだよ。例え晴れたとしても、遅くなってからだよなぁ。はーあーあ。」
  •  でも、とりあえず撮影場所まで行ってみようかと出かけてみた。ふと気がつくと、その雲の幅はかなり小さく、それもどんどん消え始めていた。「よっしゃー。今度こそは、明神岳、前穂高岳に沈む北斗七星を完璧に写すぞぉ。」
  •  しかし、ペルセウス流星群の極大日ということを知っている人も多く、撮影場所近くに何人もの人がライトを付けてやってきた。そのグループが帰ると、今度はまた違ったグループがやってくる。「何か、あそこに赤い光があるように見えるんだけど。」と言いながら、ライトをこちらに何度も向けてくる。ま、普通の人の行動としてはおかしいことではないが、写真を撮り始めている私にとっては、とても迷惑な話だ。(チョー身勝手。)
  •  また、今回は月が昨日より太くなり、しかも、なかなか沈まない。北斗七星が沈むのと競争になる。更に、東側の遠方で花火大会があるのだろう。ピカピカ空が光っている。初めは雷なのかと思っていたが、まず、花火大会と見て間違いないだろう???(その後、野辺山の「こっつぁんち」で同じような光景を見た。そっちは、完全な雷だった。やっぱり、雷の可能性が高い。)
  •  実は、今回は、EOS60D SEO改にシグマの15mm対角魚眼レンズの組み合わせで、主に撮ることにしていた。(対光害用LPS-P2フィルター内蔵)このレンズは、以前撮影した時にピントリングをテープで固定したままだったのだ。今回はそれをそのまま使うことにした。本当は温度差でピントが若干ずれる可能性もあったが、この辺はまあ良しと判断していたのだ。
  •  いくらか撮影をして、TT320Xを念のために巻き戻そうとした時のことだ。ぎー、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃと妙な音を出して止まってしまう。何度スイッチを押しても、電源コードを入れ指ししても同じようになる。いったい何が起こったのかと呆然となる。しばらくして「あっ、電池切れか?」と気がつく。しかし、アホなことに「予備電池は不要ぢゃ。」と勝手に思い込み、予備電池は車の中に置いてきたのだ。アホの極致だ。こうなっては、テンションがダダ下がりだ。そこで、ちょっと固定撮影をした後、テントに戻った。実にもったいない話だ。でも、このところの体調だと、集中力がまるでないので、ある意味「ラッキー!」とも思っていた。何だかなぁ。
  •  余談だが、この夜、前穂高岳の山頂付近に人がライトをつけて歩いているのに気がついた。おお、こわっ。夜中にあんな岩場をを歩くのか?信じられない。
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  • 月がなかなか沈まずに焦りながら撮った前穂に沈む北斗七星。左側が少し明るいのは、沈んですぐの月明かりのせい。

  • 8月13日(火)

  •  ちんたらと用意をして上高地バスターミナルに戻ることとした。明神までも、明神から上高地バスターミナルまでも、共にに45分以内で歩くことが出来た。自分でもビックリするほど早い。いつもの通り、小梨平キャンプ場のトイレを拝借して、服を着替えた。今回はタクシーは相乗りする人がなく、一人で乗ることに。あーあ、4.000円の出費かよ。
  •  そして、こっつぁんちへと向かった。途中ナビの調子がおかしくて松本インターを通り越してしまった。アホかー?また、梓SAで食事をとったが、それでも、2時過ぎ頃にこっつぁんちに着いた。しかし、ここからが大変だ。まずは、望遠鏡を出し組み立てた。更に、こっつぁんに頼んで、汗だくになった服を洗濯させてもらった。ここから、夏休み第二章の始まりだ。
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  • 白沢。1978年には、枯れて朽ちた木々と、白い砂地が実に幻想的だった。昔、土石流があったことで出来たらしい。今では、ご覧の通り、木々が随分育ってしまった。こうなってくると、白沢の名前は変えないといけないかもね
  • ぇ。
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  • これが1978年の白沢。上記の写真と比べてみて下さい。

  •  今回の遠征では実にいろいろなトラブルに見舞われた。「ここは大丈夫だろう。いやー、前に撮ったから大丈夫。」などと言った過信は全くの禁物。初心に戻って、一からチェックしておく必要性を感じた。そして、実際の撮影を考えた実践的なテストを行っておくべきだった。(まともな体調ならやっているところなんでしょうけどねぇ。)
  • おお、そう言えば、今回の徳沢では、「ヌエの鳴き声」を聞いた。鏡ヶ成で聞いた鳴き声は、初めが低く、2回目が1オクターブ高いものだったが、徳沢のヌエは単に口笛のような鳴き声だった。