2023年10月6日(金) 晴れたので急遽?大山登山敢行。
今後天気が崩れるため、今日を逃したら登山が出来ないかもしれないと思いました。昨晩から、少し用意をしていました。最近、気温が下がっているから長袖を着るか?しわくちゃになった長袖のポロシャツを2着、スチーマーを当ててシワを伸ばしておきました。(結局、登山は暑くなるので、半袖のポロシャツを着て登りました。念の為に、ウィンドブレーカーも持って行きました。)
しかし、何や感やしておりましたら、寝たのが、日付変更線を越えた12時半頃になってしまいました。
さて、今朝は目覚ましで、午前6時半に起床です。相変わらず背中が痛いので、のたうち回って起きる感じです。頭もボーッとしています。これは、ヤバいど。大丈夫か?
まあ、こんな体調は、日常茶飯事なので、出発することにしました。
平日なので、こんな時間でも「南河原駐車場は空いているだろう。」そう思っていますが、先に入った車が、満車の為、バックしてきました。「ありゃりゃ、ダメなのか?」かくして、博労座の第2駐車場に車を停めました。ここは、これまで、満車になることは経験していません。今日も、かなり余裕で空いておりました。
これは、帰りに撮ったものですが、この駐車場は、今まで満車になることは、経験しておりません。今日は、かなり空いていました。後ろに、大山北壁が綺麗です。
南河原駐車場に行き、登山届を出しました。最近、設置してあるボールペン、鉛筆、マジックなどが、まるで書けない状態になっている事がありました。そこで、今回は、自宅からボールペンを持参して記入しました。
そんな時、やや年配のご夫婦がおられまして、ご主人の方が、スマフォの地図を見せながら「夏山登山道に行くのにはどうしたら良いですか?」と聞かれました。「私も、そのルートで登りますから、一緒に行きましょう。」と、ご案内申し上げました。私が「私は亀ですから、お先にどうぞ。」と譲ります。しかし、ご夫婦は、「私たちは、もっと遅いと思いますので、お先にどうぞ。」と言われました。
てなことで、先をひたすら歩きました。何とか登頂の記録更新を狙っておりました。しかし、歩き始めから、乳酸が溜まる感じで、足が思ったように動きません。呼吸器系は、全然大丈夫なのですが、とにかく足が動きません。
9時46分に夏山登山道から登山開始です。
1合目には、10分44秒後に着きました。やはり、少し遅れています。
2合目には、22分11秒後に着きました。うわー、やっぱり遅れている。
3合目には、31分13秒後に着きました。あれ?ちょっとペースが早くなっているのかな。
4合目には、39分58秒後に着きました。あれ?ちとペースが上がってきたのかな。相変わらず足は動かないんですけどね。
5合目には、50分4秒後に着きました。うむうむ、良いペースかもしれないぞ。
6合目避難小屋には、1時間3分26秒後にに着きました。先回より、1分位遅れている感じです。そこで、休憩は3分弱で、登山を再開しました。
7合目には、1時間16分少々で着きました。この辺りだったでしょうか?外人さんが、少し距離をおいて二人、迫ってきました。流暢な日本語で挨拶をされました。「元気ですね。早いですね。」と、私。彼らは、ごっつい体型ではなく、日本人に近い体型でした。恐らく、私の1.3倍から1.4倍位のスピードで歩かれていたのかと思います。あっという間に姿が遠くになりました。さぞかし名のあるお方とお見受けいたします。はっはぁー。土下座、土下座。
8合目には、1時間34分55秒後に着きました。おお、まずまずのタイムかも。
本日は、晴れており、多少風もありました。他の登山客は皆長袖を着ておられました。「寒くないですか?」と聞かれます。「いやー、私は、この位の気温が丁度良いんですよ。」とお答えします。
最初の頃は、顔に汗が噴き出していましたが、その後は、余り汗をかきませんでした。
8合目からは、草木が低くなり、もろに風が吹き付けました。しかし、私には、それがとても気持ち良かったのです。
9合目は、写真を相変わらず写真を撮りませんでした。でも、1時間43分で到着しておりました。何とか、1時間40分台で登ることを期待していましたが、やはり、微妙です。と言うか、ちょっと無理だと思いました。
山頂ステージに着きました。登頂時間は、1時間51分43秒でした。「あーあ、もうちょっとだけ頑張っていたら、1時間40分台で登れたのに。」
丁度、多分、学校の行事で登山してきたのでしょう。先生に連れられて多くの小学生がいました。また、年配の登山者も沢山おられました。
私は、水分補給をした後、持ってきたNikon D850で、久しぶりの、絶景を撮った後、直ぐに下山を開始しました。今回は、カメラを首からかけての下山です。
これは、iPhone12Proでの自撮りです。お疲れのアホ衛門です。
これは、山頂小屋に移動した小学生達。大声で歌を歌っていました。若い子達が元気だと、こちらも元気が出ます。
と、山頂小屋付近で、登る前にルートを聞かれた、あのご夫婦に会いました。「こんにちは。結構早かったですね。」と私。
山頂小屋から出てきた、あのご夫婦にご挨拶をしました。意外に?早く登って来られていました。
それから、少しして、登山中、もの凄いスピードで私を抜いていった、あの外人さんが、これまた、すごいスピードで抜いて行かれました。山頂ステージでは見かけなかったので、山頂小屋におられたんですね。
そうだ、しばらく行っていなかった「石室(いしむろ)」に行ってみよう。しかし、こちらも、木道があり、結構急斜面で結構歩きづらい状態でした。大山キャラボクが両サイドから迫ってきていました。
超、久しぶりに石室に行きましたが、木道を歩くことになり、両サイドには「大山キャラボクが」茂っておりました。
少し先に行くと、更に「大山キャラボク」が、木道を覆うようになりました。
ようやく、石室に着きました。ここでは、私のすぐ後から来た、男性のパーティと、初めからいたおばちゃんのパーティに挨拶をします。男性のパーティは直ぐに、行かれてしまいました。そこで、おばちゃま達に、またも、お節介にも解説してしまいました。
私が大学生の頃、この石室に泊まったことがあるんですよ。中には、大正時代の落書きがありました。そして、屋根の部分に登って星を見ていたんですよ。そこに、地とうがあるんですが、この辺りは、神様の領域なんですよ。」などと。
これが「石室」です。少し、老朽化が進んだようにも感じますが、1979年7月に、ここに泊まった時と、殆ど変わりませんでした。一時期は、建築資材置き場になっていましたが、それも、今回はなく、中には、神棚がありました。まだ、大正時代の落書きはあるのでしょうか?
景色も最高でしたね。
その後は、直ぐに下山を開始しました。しかし、夏山登山道に戻るには、少々急な坂を登らないと行けません。疲れた身体にはチトきつかったです。
夏山登山道に戻るには、少し登らないと行けません。疲れた体にはちときつかったです。
ここが、夏山登山道との分岐点です。ここから見ると、山頂に向かう、木道の傾斜も、そこそこきついですね。
8合目から少し上からは、この木道が続きます。意外にも、歩きづらく、登る際には、心身とも疲れ果てます。
8合目から少し上には、こんな平坦な場所があります。そんなに長くはないのですが、登る時は、ここでスピードを上げることが出来ました。
どの辺りだったでしょうか?高校生か、大学生か、男女混合の大人数のパーティに会いました。でも、平日に高校生が登ってくることはないか?でも、大学生にしては、ちと幼い感じだよな。と、ある女性が聞いてこられました。「私たちと同じ年齢の男性達がいませんでしたか?」「ああ、おられましたけど、随分先でしたよ。」と答えました。
その後からも、若い女性が二人が登ってきました。「随分先に、同じ年齢とおぼしきパーティがいましたが、お仲間ですか?」と聞きました。しかし、その返事が曖昧だったので、真実は今ひとつ分かりませんでした。
6合目避難小屋では、ちょっとだけ休憩をしようと思いましたが、人が多かったので、写真を撮っただけで、直ぐに下山を開始しました。
ここが、下山途中で撮った「6合目避難小屋」です。
少し雲が空を覆っていますが、北壁が見えています。でも、逆光なんだよな。
左には「三鈷峰」が鎮座しています。画面真ん中より少し右側には「ユートピア小屋」が写っています。
5合目の少し上には、行者コースとの分岐点があります。今日は、足が動かない割には、膝の痛みがなかったので、業者コースを降りることにしました。
ここが「業者コース」との分岐点です。実は、ここ2回、このコースをとった時は、両膝に激痛が走り、嫌な思い出があるコースです。
このコースは、こんななだらかな所も、ほんの少しだけありますが・・・
しかし、このコースが結構きついんですよ。今では、丸太を使った、幅の狭い、急な階段が設置されているので、下りには弱い私にはチトきついんですよ。後からは、男性のパーティが迫っています。前には、姿は見えないのですが、カウベルの音が、ずっとしております。どうやら、前にも他のパーティがいらっしゃるようですが、なかなか追いつけませんでした。
しかし、殆どは、急な階段地獄が待っています。しかも、階段の幅がかなり狭いところが多いのです。
今日は、天気がそこそこ良かったので、元谷から、大山北壁を写しました。しかし、逆光なので、多分コントラストのない写真になっているでしょうね。
元谷から大山南壁を撮りました。やはり、逆光で、コントラストがありません。後ろに、女性のパーティもおられますね。
少し歩くと、逆光の程度が少し弱くなりました。
しばらくすると、おばちゃま達のパーティに会いました。「このしんどいルートで、大山登山をされるんですか?」と聞きました。すると、「大山登山は、ちょっと無理なので、このまま登って、夏山登山道から下る予定なんです。」と。「大山登山はしんどいですが、ゆっくり行けば、そんなに難しい山ではないんですけどね。」と私。
しばらくすると、大神山神社奥宮に着きました。ここは、何年も費やして、補修工事をしていますので、またも、下山神社の方に行って、お祈りをしておきました。「世界に平和が訪れますように。それと、下世話なお願いですが、宝くじで1億円以上あたりますように。」と。これは、死んだら地獄行きかも知れんぞ。
これが、何年もかけて修復工事をしている「大神山神社奥宮」です。
こちらは「下山神社」です。超ワンパターンのコースですね。
膝が痛くなかったので、大きな石の階段も、前の様に半歩ずづではなく、割とスイスイと降りることが出来ました。
いずれも「大神山神社奥宮」からの石の階段です。今回は、膝の痛みが殆どありませんでしたので、ガンガン降りることが出来ました。前2回は、膝が痛くて半歩ずつしか歩けませんでしたからね。
その後「金門」に寄りました。昨日、1979年の大山縦走記録を完成させましたが、当時の「金門」の写真をみてビッツラ。川の両サイドの切り立った岩場の先には、堰が写っていました。しかし、その後、ここには何かも来ているのですが、そんなものは見当たりません。もしかしたら、草木が茂っているので、隠れている可能性もあると思ったのです。
しかし、行ってみてビッツラでした。堰はありませんでした。多分、堰の土台の一部らしきものはありました。何らかの理由で撤去されたのだと思います。堰があった場所からは、直角に切れ込んでいて、高所恐怖症の私には、恐怖を感じました。(高所恐怖症なら、登山をするな!ってか。)
1979年7月に撮った写真です。岩場にはそれ程草木が生い茂っている訳ではありません。それよりも、岩と岩の間に大きな「堰」があるのです。当時は、多分、初めて来たこともあり、全く気にもしていなかったのだと思います。
今回、初めて、岩と岩の間まで歩いてみました。意外に岩には草木が生い茂っている訳ではありませんでした。しかし、どう見ても「堰」はありません。
しかし、近くに行って見ると、どうやら「堰」があった痕跡がありました。
堰がなくなったので、この場所から90度に落ち込んでいます。覗き込むと身震いをしてしまうほど怖かったです。
金門の堤防の様な所に登って、大山北壁を撮っておきました。やはり、この時間、逆光で、今ひとつの写真になっています。
大川寺の下には、このようなお地蔵様があります。ちゃんと拝んできましたよ。
こちらは「大川寺」です。貧乏な私は拝観料を払えませんので、下から見るだけでした。
参道を下っていると・・・「おや?ツツジ?」この季節にツツジって咲くんでしたっけ?
その後、南河原駐車場横に行き、下山届を出しておきました。下山タイムですが、何故かプロトレックのストップウォッチが0になっていました。消したはずはないんだけどな。記憶が確かなら、2時間19分位かかっていたのでは?
下山届を出した後、大川寺橋から、モンベルを見ます。
「モンベル」の自販機で、いつもの如く、エナジードリンク(160円)を飲んだ後、大山北壁を写しました。
大川寺橋から、日本海を望みます。
何故かいつも撮っている閉鎖した「中華レストラン?」です。大山には、空き家になっている店が沢山あります。ただでさえ、指向が多岐に渡っている上、若い人口も少なくなっているのでスキー人口が減っていますからね。そして、何より、地球温暖化で積雪量がぐんと減っていますからね。
そのまま、車に乗って帰る予定でした。しかし、久しぶりに天気が良かったので「のろし台」にも行ってみようと考えました。
途中、大山自治会館がありました。久しぶりに公衆電話ボックスを見ましたよ。
アスファルトの道路ではなく、「源盛坂遊歩道」道を歩きました。疲れた身体で、そこそこ急な階段を登るのは、きつかったです。
疲れ切った体で、この階段を登るのは、しんどかったですよ。
ここで、とんでもないことに気がつきました。プロトレックが土曜日をずっと示していたのです。あれ?今日って金曜日じゃないのか?だとしたら、金曜日の丸一日の記憶が飛んでいることになるぞ。
すると、歩いている途中に、再度プロトレックを確認すると、金曜日に変わっていました。何か、今日のプロトレックの調子がおかしいぞぉ。
「のろし台」の道を歩いていると、おばちゃん達の軍団に会いました。おばちゃんの一人が、お寺僧様を拝まれていました。
「のろし台」への道には、まだ花が沢山咲いていました。その蜜を求めて、キアゲハのほか、茶色い蝶々が無数に飛んでいました。
やたら、飛んでいた、この蝶々。どうやら「キタテハ」と言う蝶々のようです。
また、「のろし台」に近くなると、そのサイドに、ススキが生い茂っていました。「ああ、季節はちゃんと巡っているんだ。」と、しばし、感慨に浸ります。
道の両サイドに、繁茂しているススキ。
左側だけを写しました。
ここで、ふと思い出したことあります。まだ、私が関西エリアで仕事をしていた時のことです。天体写真撮影地は、兵庫県の峰山高原か、砥峰高原(とのみね)ぐらいしかありませんでした。
ある日、砥峰高原で撮影をしていると、後から、車が入ってきました。何故だか分かりませんが、見たこともなかった上、暗い中だったのに、その人が、天体写真の西の大御所である「Ryutao氏」と直感的に分かりました。実際に話をしてみると、間違いなく「Ryutao氏」でした。私には、何かの超能力があるのでしょうかね?砥峰高原は、ススキで有名な山でした。
さて、「のろし台」に着きました。いつも思うのですが、四角い木で出来た標識があるのですが、登る時には「のろし台」の文字が見えないのです。下山する時にしか、見えないのは、頂けません。実際に、分からずに、通り過ぎてしまっている人がいましたからね。
登ってくときには「のろし台」の文字が見えない標識。
んで、下るときには「のろし台」の文字が見えます。これって、逆でしょう。
「のろし台」から見た、大山北壁とスキー場です。明らかに夏が終わったと思える光景でした。
それから、ついでとばかり、展望台にも行ってみました。しかし、ここからの展望は、それほど良くありません。
これが、豪円山の展望台にある小屋です。
この展望台からの、景色はイマイチです。「のろし台」からの景色の方が良いですね。
更に、豪円山山頂にも行きました。しかし、草ボウボウで、視界は良くありません。
豪円山に行く道です。ここはまだマシですが、草ボウボウのところもありました。
豪円山山頂の標識です。草がボウボウで、あまり景色は見ることが出来ません。
ところで、私が履いている登山靴ですが、かなりの年代物だと思われます。
北アルプス登山は、膝の痛みがひどくなったり、とにかく、心身ともボロボロになったため、2009年を最後に行っておりません。記憶が定かではないのですが、その前に買ったものかと・・・昔の登山靴のソールはウレタン製でしたので、湿気が多い日本では、どうかすると2〜3年で、加水分解して剥がれてしまうことがあるのです。それ以降、素材を変えたので、そのようなことはあまり出なくなりました。それにしても、私は、足幅が広いので、登山靴がパンパンになっています。しかし、最近は二重蝶々結びをしているので、紐が緩むことはありません。
下りも同じ「源盛坂遊歩道」を下りました。階段は、膝に来るわー。
その後、車を停めていた駐車場に戻ってきました。すると、私が停めてた場所には、他に2台の車が停まっているだけでした。気温が低かったのですが、上着は汗びっしょりでした。そこで、上だけを車の後ろで着替えて帰宅しました。
帰宅してから、体重を計りました。朝、朝食をとった後と比較すると、わずか-1.4kg減でした。今日は、寒いくらいだったので、それほど汗をかかなかったからでしょうね。