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  • HB彗星観測の思い出

 2013年は、3月から4月にパンスターズ彗星、11月から12月にアイソン彗星がやって来ます。肉眼彗星になることは、ほぼ間違いなさそうです。特に、アイソン彗星の方は、一番すごい予想では、満月より明るくなるとか・・・もしそうなら、まさに世紀の大彗星になるでしょう。(アイソン彗星は太陽に接近時に消滅。パンスターズ彗星も思った程すごい彗星にはなりませんでした。)
 しかし、彗星はみずもの。マスコミが騒ぐとしょぼくなるというジンクスがあります。以前、モンスター彗星と期待されていたオースチン彗星はしょぼかった。しかし、期待以上になったものも沢山あります。1976年の春に出現したウェスト彗星は、それほどの期待感はなかったのですが、核が分裂して大彗星になりました。最盛期には、尾が曲がりくねって筋が何本も入る姿が見られました。(シンクロニックバンドと呼ばれています。)
 1996年春には、これまたとんでもない彗星が現れました。第二百武彗星です。イオンテイルの長さは半端ではなく、暗い空のもとでは猛烈な姿を残していきました。
 そして、1997年の春には、ヘール・ボップ彗星が現れました。第二百武彗星の撮影は良い結果を得られなかったため、今回は一生懸命場所探しから行いました。
 (第二百武彗星の際は、職種が変わり、多忙だったこともあり、また、広島に異動していたこともあり、暗い撮影場所も探しきらなかったので、マンションの屋上から、セレストロンC8で肉眼観察した程度でした。)

 1996年9月7日
 このところ、出張がすこぶる多くなっている。9/5は特殊なハードな仕事があり、その後、得意先と食事の後、翌9/6は倉吉市内をセールスと同行することになった。倉吉から広島は交通の便が悪く、9/7は朝6:25発の列車に乗って帰ることとなった。睡眠不足や疲れやらで、極めて体力が低下している。
 家に戻ったのが、1時頃だっただろうか。まずは寝なくては・・・しかし、疲れすぎていてスムースに寝ることができない。1時間も寝ただろうか?あわてて観測の準備をするが久しぶりで手際が悪い。結局、ガソリンを入れ水だけの洗車をして出かけたのが、5時30分。
 実は、観測場所をまだ決めていなかったのだ。一応観測場所探しはしていたものの、納得できる場所は見つかっていなかったのだ。恐羅漢、芸北、道後山、比婆山・・・どれも、もう一つ、否、もう二つぐらいなんだよな。
 そこで、とりあえず大山へ。「あそこは思い出も一杯ころがっているし、星空にも感動できそうだからな。しかし、まあ遠いよな。ブツブツ・・・」てなことで、到着には3時間少々かかってしまった。鬼女台に行こうと考えていたが、時間もさらにかかることだし、もしかしたら先客がいるかもしれない。そうなるとすこぶる迷惑をかけることになる。そこで、国道から鏡ヶ成に向かう道に入り、しばらく登ったところでブルドーザーが整地している空き地を見つけ、車を止めた。「あっ、そういえば、ここは昔タチゲとバイクで走ったところじゃないか?」鹿児島で仕事をしていた頃、仕事もうまくいかず、また、誰も信じれなくなったことがあった。そんな時、タチゲから電報が届いた。「いっしょに大山行こう。用意して待つ。」僕はその電報を握りしめ涙を落としていた。そんなことを思い出していた。ああ、懐かしい。
 星空は本当に久しぶりに素晴らしいものだった。近くに外灯はあるし、少し離れたところには水銀灯もある。しかし、本当に素晴らしい星空だ。いて座付近の銀河をこれほどはっきり見たのは、本当に久しぶりだ。白鳥座あたりは、星、星、星、星だらけだ。
 時間がないのであわてて機材をセッティングするが、とにかく手際が悪い。このブランクはいかんともしょうがない。
 「ヘール・ボップ彗星はどこだ?」今一つ分からない。なにせ、この期に及んで、蛇つかい座の全体の姿をよく把握していないときているのだ。実に情けない。あれこれ探しているうちに7×50双眼鏡アストロノーマーの視野に入った。「あっ、結構明るい。すごい、すごいぞ。」なかなか見つけられなかったくせに、いざ見つかるとこれだ。しかし、それにしても変な形だなあ。彗星の中央部に小さな星が重なり合っていることもあるが、何か変な形の彗星だなあ。明るさは5等と少々と言ったところか。位置が分かると肉眼でも見えるような、見えないような・・・
 MT-160で見る彗星は既に彗星らしい姿になっていた。「まるでレビー彗星みたいだな。」この時期に、この明るさ、この尾、これは間違いなく今世紀最大の彗星になるのではと確信せざるを得なかった。



 
 9月15日
 またしても大山に向かった。今度は、鬼女台に行ってみることにした。しかし、そこには、臨時?の売店が建っているではないか?(来た時に片づけ始めていたようにも思ったが・・・)仕方なく、先回と同じ場所に行くことにした。
 と、その途中ヘヤピンカーブで突然人が出てきた。「あぶねぇー。」そのカーブを曲がりきれずにブッシュの中に車が突っ込んでいるのだ。その人を電話のある大平原の国民宿舎まで送ってあげることにした。その人はもう結構な年でおっさんという感じではあったが、どうやらローリング族らしい。間違っていたらご免なさい。
 “おっさん”はひどく恐縮して、なにか飲み物でもと、1.000円をくれようとしたが、「困ったときはお互い様ですよ。」と、ご辞退申し上げた。その代わりといっては何だが、観測できる場所を教えてもらった。なんとそれが、鍵掛峠なのだ。この時間になるとほとんどローリング族は出ないということだった。
 鍵掛峠は確かに思ったほど車は来なかった。といっても、それは「思ったほど」であり、長時間露出は難しかった。それでも、沈みゆくいて座あたりの銀河や、お目当てのヘール・ボップ彗星を写すことができた。そういえば、ここは・・・かつては、あまのじゃくな性格から、「観光地になっているところは嫌いだ。」と変に避けていた場所だった。しかし、その後気が変わって、大学3年の時にここに来ることにしたのだが、タチゲが縦走中に怪我をしてしまった。そのため、ここからの美しい大山南壁を撮ることができなくなってしまったのだ。ちなみに、彗星の光度は5等級前半か?
 
 その後、怠慢と根性なしが加わって観測しない日々が続いた。おまけに、彗星の光度上昇カーブがすこぶる鈍ってしまった。「やっぱ、マスコミが騒ぐとダメか?」
 2月のあたま、思いついて、インターネットとニフティーサーブから情報を入れることにした。「ガチョーン。明るくなっているではないか?何々、えー、もう2等前半じゃないか?」数日後、購入した天ガ等の雑誌を見てびっくり。大げさな見出しで彗星の記事がでているではないか?「人類史上初の・・・・」そんなに大げさに書いてもいいのかなー。



 
 1997年2月9日(日)
 このところ休みがまともにとれていなかった。1月最終の週末は他の営業マンの手伝い、その次の週末は学会の聴講、ようやくとった2月6日の振休も半日以上仕事で、帰ってからも不調のパソコンを長い時間かけて直していた。(結局完全には直らなかった。ついでにこれは蛇足だが、この日、ローランドのDTMを購入してしまった。新製品が出たので、前の製品が9万近い値段から5万を切る値段になっていたので、ついつい。金がねえよー!)
 ようやく連休がとれると思っていた2月8日〜9日だったが、ある得意先ののお父さんの葬式に出ることになり、またしても連休はお預けとなった。おまけに、慢性の睡眠不足で身体がだるい。
 2月8日(土)の夜、テレビを見ていたら、明日の天気は晴れと言っていた。「そんな馬鹿な、以前の天気予報では週末は下り坂と言っていたし、実際夕方は今にも降り出しそうな天気だったぞ。」だが、外を見てみると、確かに晴れている。「しまった。」しかし、あわてたところで仕方がない。今から観測の準備をして出かけるほどの体力も気力もない。「春みたいな天気で透明度もよくないしな。」



 
 2月9日(日)
 朝3時半から起きて、自宅近くで一応見ておくことにした。
 高橋製作所の7×50双眼鏡と、固定撮影の準備をして、東が開けているところまで歩いていった。「ありゃあ、最悪。東の空だけがすごい光害で昼間のように明るいわ。」(これは広島インターの光のようです。)しばらく、探してみたが、全く分からない。アルタイルすら見つからない空の明るさだから仕方がない。「自宅付近からでは観測は不可能ということだけでも分かったからそれはそれでいいとしよう。」と負け惜しみ。ちなみに、H・B彗星はおそらく北極星の2等級より明るくなっているはずなんだがなあ。
 この日天気も良かったので、午後3時くらいにバイクを走らせて観測場所を探してみた。目指すは以前目をつけておいた191スキー場付近。結局目的地に着けなかったが、まあ、このあたりで決まりだね。三次方面は、ここいら以上に雪が心配だからなあ。(後で考えたらナイタースキー設備があるので、行かなくて良かったのじゃ。)
 その夜、まだ天気がよいので出かける準備はしておいた。使用機種の選択だが、持ち運びが楽なP2マウントは、モードラが完全にくたばっていることが判明したので、使えない。そこで、EM-200にFC-60の直焦点と、200mmと50mmを使用することとした。だが、天候の不安と根性なしがダブルパンチで襲ってきてあえなくおねんねとあいなった。



 
 2月10日(月)
 天気は、春霞のような感じはあるものの、なんとか晴れているので、出発の準備をすませて待機していた。昨日すごく暖かったので、布団をけちらしてしまったのか、風邪っぽく少々頭が痛い。「えー、うそっ!」天気予報が明日は朝から雪と言っている。それでもずっと星が見えていたので、午前2時、家を出てみた。「ありゃ?雨が降ってるよ。」いつの間にか、雲が真上にかかり冷たい雨が降ってきていた。「くそー、やっとその気になったのに。」やけ酒を飲む。念のために、窓を開けて外を見てみた。「えっ?晴れてるじゃないか?もう酒飲んじまったよ。」かくして、またも観測はお預けとなってしまった。翌日、9時半頃目をさますと、ものすごい吹雪になっていた。「最近の天気予報はよく当たるからなあ。」まあ、出かけなかった良い言い訳ができたというものだ。



 
 2月14(金)
 修理を試みたが、HD-4モードラが完全にお釈迦になっていることが分かったので、名古屋出張のついでに、スターベース名古屋に寄ってみた。しかし、地図をいい加減にしか記憶しないまま歩き出すから大変な時間のロスをしてしまった。おまけにHD-4はなかったのじゃ。本社にも20日過ぎにしか入らないとのこと。いったいこの苦労はなんだったの?ぐれるぞー!
 家に帰ったのは、午後11時頃。観測の準備をしておこうと思っていたのに、いつもまにやら曇ってしまった。



 
 2月16日(日)
 再度、観測の準備を一応しておいて、またも観測場所探しに出かけた。「‘97年度版望遠鏡・双眼鏡カタログ」という本に書いてあった「神の倉」を目指した。しかし、遠いうえ、道が狭い。おまけに凍結が恐い。「夜中に車を走らした最悪だな、こりゃあ。」しかし、そんなことを心配することもなく、夜には見事に曇ってしまった。



 
 2月23日(日)
 晴れそうだったので、前日は観測しようかと一応準備をしておいた。しかし、いざその段階になってみると、「いあー、満月近い月があるしなあ。」と、いったんセットしておいた目覚ましも切ってしまった。
 しかし、天の助けか、4時くらいに目が醒めてしまった。マンションのエレベーター側からは、東の空が見えるので、一応みておくことにした。月明かりが相当あるのに、結構星が見えているのにびっくりした。「白鳥のデネブもはっきり見えてるなあ。」透明度はなかなかのものだ。「ヘール・ボップはどこじゃ、どこじゃ?」高橋製作所の7×50双眼鏡で見ていたが、すぐには視野に入ってくれない。「やっぱりダメか?」と、その時、ボーンと突然、彗星が見えた。「あ、あ、明るい!」位置を少し間違えて記憶していたので、すぐに確認できなかったが、いざ視野に入ってくると、その明るさには驚かされた。「おい、おい、肉眼でもはっきり見えてるぞ。」あわてて、カメラと双眼鏡を持って、外にでてみた。2月9日にも同じところで見たが、その時は、モヤのせいと、彗星の位置が広島インターの光害ともろに受けるところにあったため、全く確認できなかったが、今回ははっきり見えている。双眼鏡で見ると、明るいコマから、上に向かって尾が出ているのがはっきり見えている。コマはなんだかいびつな形をしている。ニフティやインターネットからダウンロードした画像から判断すると、明るいダストの尾が出ているため、いびつな形に見えるのだろう。「ありゃあ、肉眼でもはっきり尾が見えてるぞ。」明るさは、既に1等ぐらいあるんじゃないか?月明かりのない、しかも空の暗い山で見たら既にものすごい彗星になっていることだろう。条件は良くないが、一応標準レンズで固定撮影をしておくことにした。



 
 3月2日(日)
 午前4時、目覚まし時計のけたたましいベルがなった。昨日の仕事のせいで大変疲れていた。おまけにここ2〜3日花粉が多く飛び出し、そのため花粉症の薬を飲んだものだから、恐ろしく身体がだるい。
 念のために外を見てみる。「うへー、晴れているには晴れてるけどな。」何やらガスっぽく、ぱっと見た目には、先回のような尾を引いている彗星は肉眼では見えない。
 先回と同じ場所に出て、高橋製作所の7×50双眼鏡アストロノーマーで探してみた。「あった、あった。」下弦の月と、モヤが邪魔しているが、先回に近いイメージの彗星が視野に入ってきた。「うーん、劇的には明るくなってはいないか。」ただし、空の条件が悪いためか、先回と違ってコマは極普通の丸い形に見えた。まあ、それでも肉眼で見ても、確かにその存在ははっきり分かる。しかし、条件が今一つのために、先回のように尾を引いてるイメージまでは肉眼ではつかみにくい。
 「まあ、とりあえず、写真を撮っておくか。」カメラを持って再度外にでてみると、あっという間に、うろこ雲が空をおおいつくし始めていた。「なんともはや・・・」



 
 3月4日(火)
 3月1日の公休日に、出勤したので、今日は振休だった。
 目覚まし時計で午前4時に叩き起こされた。「眠い。」ドアを開けたらすぐに北東の空が見えるので、じっと見てみた。コンタクトレンズはまだ目に入れていないので、度の弱くなった眼鏡をかけてみると実にぼやけて見える。双眼鏡は眼鏡をとってそのまま見たので、少々ピンボケ。だが、それを差し引いてもコマは先日より大きくなったような気がする。透明度がもう一つなので、撮影もせずまたしても、“オネンネ”に再突入してしまった。光度は先回とあまり変わらないように思えた。
 ちなみに、今日は引っ越しの見積もりの日であったし、散髪はするわ、歯医者には行くわ、クリーニングを出しに行くわ、会社に行って仕事はするわ、バイクの点検に行くわ、パソコンのソフトを買いに行くわで、大忙しだった。



 
 3月9日(日)
 6日の木曜日から仕事で島根県の出雲市へ行っていた。帰りは、8日の午後10時過ぎ頃。それから大急ぎで用意して11時に家を出た。目指すは、大山。9月に写真を撮った所だ。
 着いてみて驚いた。造成地は9月の時の姿に近い状態のままであった。もしかしら既に家でも建ってしまっているかもしれないと心配していたが、実にラッキーであった。「よし、よし。」春霞のせいだろうか、やや透明度には欠けていたが、まずまずの星空に満足する。
 ところで、このところ、花粉症がとてもひどくなり、すこぶるしんどい。おまけに寝不足も加わわっているため、セッティングしたら後、しばらく車の中でのびていた。すると、いつの間にやら雲が出てきていた。「あちゃあー、それはないだろう。」それでも、雲は切れ間があって、いったん曇ってもまた星が出てきていたのであまり心配はしていなかった。ところが、間もなくほぼ全天を雲がおおい、そのまま星が出なくなってしまった。「くそー、信じれん。」仕方なく、片づけて帰ることにした。せっかく片道2時間半もかかて、しかも往復4.900円の高速代も払うというのに・・・
「あれっ?晴れてるじゃないか?」途中まで行くと、晴れてることに気づき、あわてて観測地に帰ることにした。「うわー、すげぇー、尾がはっきり肉眼で見えてる。」空は、なにやらかすんでいて、とても最高の条件とはいえないが、白鳥座のデネブの下の方にはっきりヘール・ボップ彗星が見えている。「1等星よりは明らかに明るいな。もしかしたら0等級くらいか?」双眼鏡で見ると、尾は4度くらいははっきり分かる。彗星像がボーッとしているのは、やはり透明度が悪いのだろう。でも、そんなことはいい。諦めかけていたのに、なんとラッキーなことだろう。
 なんと、3月9日は、約65%も欠ける部分日食があった。快晴なのに、薄暗く、温度も低く感じた。実にすごい日だった。
 その日の夜、NHKで皆既日食とヘール・ボップ彗星の特集をやっていた。やはり、彗星の光度は0等級。民間の放送では中国で皆既日食とヘール・ボップ彗星をいっしょにとらえた動画が放送されていた。NHKは、モンゴルに遠征したが、雲におおわれてしまったのだ。その際、ビクセンのGA-4にすごい霜が付いていたのが印象的だった。



 
 3月11日(火)
 現像があがってきた写真を見て愕然としてしまった。部分日食は、露出オーバーのうえ、以前に撮った月の写真と二重露光になっていたし、ヘール・ボップ彗星は全然うまく写っていなかった。「やっぱり、透明度が悪かったうえ、雲にしょっちゅう隠されていたし、そのせいで1分露出がせいぜいだったしなあ・・・。くそー、透明度のいい所で写したいよー。」しかし、3月14日には引っ越しと大忙し。おまけに、しばらく天気が悪くなるというとのこと。うーむ・・・・ 



 
 3月14日(金)
 今日は引っ越しの荷出しの日である。業者の手際が良くてわずか1時間半ほどで片づいてしまった。不動産業者の立ち会いを2時にしていたもだから暇でしょうがなかった。その立ち会いが終わると、パソコンショップに走った。というのが、パソコンをPM8500/180にしてからマイクロテックのフィルムスキャナー(スキャンメーカー35T)が動かないからだ。7100/80AVやセントリス660AVでは動くので、CPUが604eだと相性が悪いのだろう。また、8ビットのせいで階調が今一つなのと、3パスのためとっても遅いのも嫌になっていた。そこで衝動買いをしようとしたのである。出たばかりの、最速のキャノン2700Fか、画質ナンバーワンのミノルタのクイックスキャンかのどちらかにしようと思っていた。「ミノルタのはピント合わせが手動というのが気になるな。でもなあ、画質が一番良いというのは魅力だよなあー。」しかし、ミノルタのデモ機は、故障中で動作を確認することができなかった。「えーい、これ下さい。」かくして、恐らく今日入ったばかりの、しかも、T-ZONE広島店で最初のキャノスキャン2700Fの購入者になってしまった。「かっ、金がー・・・」 
 この日、虫歯の最後の治療を終えて車で岡山まで行ったのだが、雨とガスで車線がほとんど見えず死ぬかと思った。なんでも菜種梅雨に入ったらしいのだ。ヘール・ボップ彗星を赴任休暇に美星町あたりで見るというもくろみは、はかなく散ってしまいそうじゃあ。



 
 3月15日(土)
 今日は荷受けの日である。天気は小雨も混じる曇天。見取り図だけで家を決めていたので、中に入ったとたん、「うそー!」と大声。クーラーは初めから付いていたのは知っていたが、2台は付けれないのだ。また、蛍光灯も初めから付いており、広島から持ってきた4個の蛍光灯はどないなるんやねん。また、押入かと思っていた所はクローゼットのような作りで、布団が入るかどうか?とにかく思っていたよりかなり狭いのだ。案の定、荷物を入れたら全くスペースがなくなってしまった。どこで寝たらいいの?そこで苦肉の策、パソコンなんぞの箱をほとんど潰してしまうことにした。それでも、まだ、スペースは十分ではない。「もう、おら知らねっと。」  



 
 3月27日(木)
 夜10時頃、珍しくタチゲから電話がかかってきた。しかし、タチゲの声に張りがない。張りというより精気がないといった方が正しい。「いったい、どうしたんだ。」  
 そのうち、タチゲは自分から失恋したのだと話し始めた。ショックで2週間も仕事が手につかないのだそうだ。高校時代から20数年のつき合っているが、タチゲが人間的に弱いところを見せたのは初めてだった。それほどショックだったのだろう。しかし、タチゲにもそんなところがあることを知って、私は妙に安心してしまったいたのも事実だ。
 「慰めることはできない。落ち込むだけ落ち込んじゃえ。」と無責任なことを言った。そんな中、タチゲの口から「そうだな、南高時代くらい昔に戻りますか?」と昔を懐かしむ言葉がでた。以前、彼は「青春って言葉は、年とってから昔を懐かしむ言葉だから嫌いだ。」と言っていた。あまり昔をメソメソ思い出すことが好きではなかった。しかし、そんな彼が今感傷的になっている。
 しかし、思えば私だって○○ちゃんに失恋した時は、そりゃあ、苦しかったもんな。いや、過去形じゃなくて今でもしんどいもんね。(失恋したと言うより片思いだった。それが、ある日後輩と結婚していた。およよ。笑えん。)
 ところで、ヘール・ボップ彗星の観測だが、タチゲも既に何度か見ており、まずまずのイメージとのこと。次の土、日にいっしょに観測しようかという話にもなりかけたが、結局没になった。まあ、今のタチゲの精神状態では仕方がないわね。



 
 3月30日(日)
 昨日はかなりの雨だった。しかも、天気予報もあまり良いことを言っていない。ほとんどあきらめかけていた。
 それが、今朝、おやじの突然の電話で叩き起こされた後、テレビをつけて天気予報を見ていると、結構良い予報に変わっていた。あわててカーテンを開いて外を見ると、確かに晴れている。しかし、冬型の気圧配置とのことなので、日本海側にある大山に行くことは自殺行為だ。それじゃ、国道53号を北上して、津山方面に向かうか?しかし、こちらは下見をしていない。仮に北上しすぎて、冬型の天気になって曇ったら、また南下しなければならなくなるだろう。考えた末、先週の日曜日にバイクで下見に行った、美星町に行くことにした。
 出発は午後2時半、そして着いたのが午後5時半。途中が結構混むのだ。観測地は天文台の方ではなく、宅地にするのか、畑にするのか知らないのだが、造成しているかなり広くて、平坦な場所だ。目印はステーキハウス“ダイセン”という看板だ。なんだか、“大山”とは腐れ縁があるもんですね。
 風が強く、大変寒い。思わず、蝶ヶ岳の寒さを思い出してしまった。しかし、空は冬型のせいもあって、この時期にしてはかなり良い方だろう。
 しかし、準備がとろくていけいない。いざ組み立てる時になって、「どういう組み合わせで写そうか。」などと考えている始末。おまけに、ガイド鏡のFC-60のアリ型の金具を忘れてきていたので、ガイド鏡の存在は意味がなくなった。まあ、もっとも、初めからノーチェックガイドしかする気がなかったのだが・・・
 いざ待っていると、空はなかなか暗くならないものだ。しかし、ふと気がつくと、いつの間にか星がでている。何度体験しても、この“一番星”を見つける時は、実にあっけない。「このあいだ、ヘール・ボップ彗星はもう既に0等級なっていたからな。」薄明の中で見えぬものかと探してみる。やっぱりダメか?しかし、そうこうしているうち、かなり高い位置に、とうとうヘール・ボップ彗星を見つけた。この明るい空で見えるのか?暗くなるのが待ち遠しくて、待ち遠しくて仕方がない。
 「あっ、あっ・・すごい。すごすぎる。」まだ薄明は残っていたが、ヘール・ボップ彗星は素晴らしい姿を現し始めた。急いでようやく見え始めた北極星で極軸をセッティングする。「よーし。」と、気合いを入れたら、そのとたん、車が入ってきた。「あ、くそー。」と思っていると、その車はすぐにライトを落とし、バックして行った。恐らく同じ天文ファンなのだろう。なんのためらいもなく、まっすぐにここへ入ってきたところをみると、彼らは、既にここを観測場所にしていたのだろう。「ごめんね。お許しあれ。」
 彗星の光度は-0.5等か、それより若干明るい程度か?確かに当初の予報よりは暗い。だがしかし、それはとてつもなく感動的な光景であった。思えば、1976年3月14日の早朝、初めて肉眼ではっきりとウエスト彗星を見た時と同じくらいの感動があった。ダストテイルは弧を描いてカシオペアの方に伸びている。しかも、濃淡が肉眼でもはっきり分かる。一方、イオンテイルは細いながらも、かなり長く伸びている。7×50双眼鏡でみると、ガイド撮影した写真のように見えている。それほど明るく、イメージがしっかりしている。
 だいぶ高度が低くなってからだが、MT-160でじっくり見ることにした。そこには百武彗星のイメージとはずいぶん違った姿が飛び込んできた。百武彗星は、緑色の大きくボーッとしたコマから、針のようなイオンテイルが飛び出して、それが大きく広がっていた。しかし、ヘール・ボップ彗星は、核がかなり明るく、その核の回りを弧状の明るい輝きが二重、三重にとりまいている。(いわゆるシェル構造)百武彗星の時のような針のような吹き出しは見ることができなかった。それほど元々が大彗星なのだろう。全体のスケールが違うのだろう。一方、ダストの尾は、あまりにも明るすぎて微細な構造が分かりにくい。
 コレクターレンズが付いているから、焦点距離は1.330mm。アイピースは、ビクセンのOr25mm、高橋のOr12.5mm、そしてマスヤマの35mm。Or25mmで53.2倍のイメージが何故か一番良い。このMT-160にもレデューサを付けた焦点距離776mmにカメラを付けて撮影をしたが、その時ファインダーから見えた彗星のイメージは、「うへぇー、明るいな。」の一言だった。「かなり短い露出でも良かったのかもしれないなあ。」
 3月9日に、大山で条件が悪いなか撮った写真が、どうにも写りが悪いうえ、粒状性も良くなかったので、(G800使用)今回、フィルムは、776mm直焦点だけ1600を使い、後は400を使った。さあ、これが吉と出るか、凶と出るか?ちなみに、今回は広島の中古カメラ屋で衝動買いした35mmレンズも使ってみた。
 片づけが終わって美星町に別れを告げたのが、午後9時40分。そして、アパートに着いたのが午後11時。結構疲れましたねぇ。しかし、次はフィルムスキャナーで取り込んだ時にも条件が良い、リバーサルでも撮っておきたいですね。
 終わりに再度感想を言うと、双眼鏡や望遠鏡で見たイメージから、この彗星は確かにとてつもない彗星なのだ。しかし、いかんせん、太陽から、そして、地球からの距離が遠いのだ。これが、百武彗星の時のように、接近していたら、どえらいことになっていたでしょうね。
 ところで、あまりにも寒かったので、DCワークスの電源はあっと言う間にアウトになってしまった。“ポータブルスターター”なる電源を予備で持って来ていて助かったのだ。あー、めでたし、めでたし。



 
 3月31日(月)
 珍しく早く仕事が終わって、自宅に戻ることができた。その途中、北斗七星が見えた。「ということは・・・ヘール・ボップ彗星も見えるということか?」探してみると、実にあっけなく確認することができた。しかし、そのイメージの貧弱なこと、貧弱なこと。例えば初めて見るような人では、それが彗星とは分からないのではないだろうか?尾はよく見れば、「あー、あるな。」という程度。確かに、春特有のボヤッとした空のため条件は悪いのだが・・・
 僕は、前回の百武彗星の撮影の経験から、「彗星のような対象は、なにがなんでも空の暗い山の上じゃなくっちゃ。」と観測場所の善し悪しが、即写真の善し悪しになることを、身を持って嫌というほど分かっていた。美星町は、はっきり言って抜群の条件を備えたポイントではなかったかもしれない。しかし、冬型の天候でこの時期には珍しく透明度が良かったことと、少なくとも町中よりははるかに空が暗かったことが、この彗星を肉眼でも本来の大彗星らしい姿として見せてくれたのだろう。



 
 4月2日(水)
 お昼過ぎに、安心度の高い“キタムラカメラ”に現像とプリントを頼んでおいた。そして、得意先と食事に行く直前に、できあがった写真を取りにいった。「あー、何か全然写っていなかったのがあるね。」と店の親父。「えっ?うそっ?」焦っていると、「この写真じゃなかった。これはちゃんきれいに写っているわ。」とな。「この親父、死なすぞ。」あー、実に焦った。
 その写真を見て僕は飛び上がって喜んだ。我ながらよく写っていて感動してしまった。35mm,50mm、200mm,776mmといろいろな焦点距離で撮影したのもグーである。また、フィルムの選択もまずまず正解であったと思う。
 接待が終わった後、自宅に帰ってすぐに長巻きのままのフィルムをカット。この際、ケースからフィルムがなかなか出せなくて、少し、フィルムに傷が付く。アホー!そして、さっそく、広島から岡山に移動するその日に買った、キャノン社のキャノスキャン2700Fでパソコンに取り込む。このフィルムスキャナーは、恐らくハード面よりソフト面に原因があると思うが、天体写真にはやや向かない感がある。しかし、フォトショップ4.0Jで加工すればまずまずの画像になる。
 イオンテイルは青くて、複雑なウエーブがあり、実にきれいだ。また、ダストテイルは弧状で、大変明るい。だが、明るすぎることもあるのか、シンクロニックバンドはほとんど分からない。
 まあ、やや問題だったのは、特に標準レンズでの写真が、なにを考えてか、彗星を真ん中に持ってきてしまい、トリミングをしないとバランスが悪いことですな。写す時、なーにも考えとらんかった。何故かな?次のチャンスでは、スキャナーで条件良く取り込めるリバーサルでも撮っておきたいですね。また、もし可能ならば、彗星の核をガイド星にしてST-4で撮るというのもやってみたいですな。
 

1997年3月30日(日)
19h55m〜20h11m(15m)
OLYMPUS OM-1 200mm 高橋EM-200マウント
撮影場所:岡山県美星町
 

これは、標準レンズで撮ったもの。
 
これは、MT-160にレデューサをつけて撮りました。焦点距離777mm。

 



 
 4月6日(日)
 本当ならば、この土・日で再度ヘール・ボップ彗星の撮影に行くつもりでいた。しかし、天気は最悪。仕方がないので、①バイクの保険金の支払い②レーザープリンターのトナーの購入、散髪&車の点検⑤岡山の車のディーラーの紹介を受ける、という目的のもと、広島に行くことにした。
 その帰り、天気は回復しかかってきたが、晴れるまでにはいかなかった。「やっぱり、だめだな。」
 この日は、読売ジャイアンツの桑田が復活した記念すべき日だった。うん、今日は勝てたな、と思ったので、ほか弁を買いに行った。午後9時過ぎのことだった。ふと気がつくと、東の空が晴れている。「あれ、いつの間に?」西の空に目をやると、こちらはまだ雲におおわれている。彗星は見えないか?「はははは、いくらなんでも、そこまでは虫が良すぎるか?」いや、見えている、見えている。透明度もそれほど良いわけでないのに、はっきり見えている。尾もはっきり見えている。もしかすると、核が分裂でもしかたか?「よーし、振休をとってもう一回撮りに行くぞ!」



 
 4月10日(木)
 天気が良くなりそうだったし、仕事がある程度片づいたので、振休をとることにした。
 まず、会社に向かった。会社で使っていたプリンター、ヒューレッド・パッカードのディスク・ジェット850Cがぶち壊れたので、家でほこりをかぶっていたエプソンのMJ910Cに替えることにしたのだ。しかーし、黒インクを認識しない。そこで、合うインクをパソコンショップ何軒もを探すはめになった。
 なんやかんやと用事をすませると、ようやく5時前に、観測に向かうことができた。天気は雲が多く、言わば、一か八かの出発だった。向かうはまたも美星町なのだ。
 先回と同じ観測場所に着いたのが、午後7時頃、相変わらず雲が多い。それでも、準備だけはしておくことにした。先回はガイド鏡を付けていなかったので、今回はST-4も付けることを前提にFC60をセットしておいた。
 そのうち、雲が多いながらも星が結構出てきた。「ヘール・ボップ彗星はどこじゃ?・・・あった、あった。」高度は3/30の時よりかなり高くなっていた。しかし、ちょっと、スケールダウンしているぞ。
 まだ、少し、薄明が残っている時、飛行機が低空を飛んでいった。すると、見事な飛行機雲が、三日月に照らされた。それはあたかも、巨大なほうき星のように見えた。これこそは、空全面に尾を引く、超巨大な“ほうき星”だ。しばし、その光景に呆然とする。まるで幻想の世界に迷い込んだような気分だった。
 さて、本物の彗星はというと、雲がかかったり、晴れたりで、今一つである。しかし、条件が落ちついている時にじっくり見ると、イオンテイルとダストテイルとの角度は先回より狭くなっているのが分かる。そのダストテイルは弧を描きながら、15度近く伸びているように思える。かなり長い。一方、イオンテイルは、先回より見ずらくなっている。これは、透明度の悪さによるものかもしれない。
 結局、ST-4はつけずじまいだった。後で考えると実にばかげているが、FC60の上に、何回か200mm望遠をつけてしまっていた。FC60は無微動のガイドマウントに乗せているのだから、強度などあったもんじゃない。これはかつての、高橋のTS式40mm屈赤H型が抱えたいた問題そのものである。「あれは、口径40mmファインダーを流用したガイド鏡に、カメラを乗せていたからなあ。」まさに今回の構造的な強度不足と全く同じなのだ。
 この日の帰り、とんでもないことが起こってしまった。道を間違えてしまったのだ。山道を1時間半も余分に走ってしまった。「ほんまにお疲れさんやね。」



 
 4月11日(金)
 松山に向かう桟橋からヘール・ボップ彗星を確認。まだまだ肉眼でも充分見えていますよ。しかし、もう月明かりが邪魔になっているからしばらくは撮影は苦しいですね。



 
 4月12日(土)
 仕事が終わり、食事に行く途中ヘール・ボップ彗星を確認。関西営業部のYさんに教えてあげたところ、かなり喜んでもらえた。なんか、こっちが嬉しくなってしまいますね。尾もまだまだ肉眼で見えていますよ。



 
 4月19日(土)
 朝もはよから、親父の電話に起こされ、気分は最悪である。
 実は、今日はバイクで、大山、米子、そして松江に行くことにしていたのだ。しかし、バイクが今一つきれいでない。ワックス掛けなんぞしていたら、出発が午後12時半になってしまった。おまけに、高速道路を使わないことにしたのだから・・・もしかしたらアホかもしれんぞ。
 大山は、ほとんど雪が消えてなくなっていた。初めは、鏡ヶ成に行くことにしていたが、時間がないのでキャンセル。そこで最初に行ったのが、鍵掛峠。南壁が実にきれいだ。次に、中ノ原などのスキー場。雪のないスキー場、考え深いですね。
 それから、何の連絡もしていなかったが、タチゲの家に向かった。「ありゃ、タチゲの車がない。」せっかく、ヘール・ボップ彗星を画像処理してエプソンのPM-700Cで写真画質でプリントしたのになあ。
 そんでもって、オフクロの家へ。「あらら、こっちもいない。」ケツがアホのように痛いのだが、帰るしか仕方がない。
 その途中、ヘール・ボップ彗星が見えた。結構長持ちしますな。尾は上の方向に伸びている。明るさもまだ1等近くあるのかな。
 約10時間後、自宅に戻った。ケツがとっても痛い。ケツが割れたかもしれん。これでは、やはり、5月の連休に、野辺山にバイクで行くのはやめた方がよいですな。なんてったって、片道8時間はかかりますからな。ケツの痛さもさることながら、体力もないからなあ。
 それにして、もう一度くらいはまともなヘール・ボップ彗星を撮ってみたいですね。しかし、今回意外にも、リバーサルよりネガが良い階調でスキャンできるを知りました。今年3月に買ったキャノスキャン2700Fは、ネガのスキャンが苦手なのです。何か、横縞が入ってしまうんですよ、これが。



 
 5月2日(金)
 今年のゴールデンウィークは、本来はカレンダー通りの休みだったが、今日は有給をとって、長野県は野辺山の“こっつぁんち”へやって来た。
 ヘイベイさんがいる。スタックがいる。いつものメンバーがいる。ここは、日航ジャンボ機が墜落した年にタチゲと来て以来ほとんど毎年、何度も来ていた。メンバーはあまり変わりばえがしない。つまり、最初の時からのメンバーが結構多く、平均年齢は毎年1歳づつ上がっている。嬉しいやら、情けないやら。
 ヘイベイさんに、3月30日のヘール・ボップ彗星の写真をあげる。結構喜んでもらった。なんだか、こっちの方が嬉しくなってしまいますね。



 
 5月4日(日)
 ようやく晴れた。“スタック”といっしょに、清里の“ふきのとう”で食事をした後、“くま工房”に行き、その後、こっぁんちに戻ってきた。八ヶ岳がきれいだ。あたりが暗くなった頃、八ヶ岳の麓をガスが帯状に流れ始めた。一生懸命探すと、ようやくヘール・ボップ彗星を見つけることができた。しかし、自転車で出ていった水野さんの帰りがやや遅くなったこともあり、夕食が遅れてしまった。間に合うかなぁ?
 食事を取って、あわてて外に出た。北西に雲が出始めていた。彗星はその雲に隠されていたが、切れ間からその姿を現した。高橋のアストロノーマー7×50双眼鏡で、親子連れやスタックに見せてあげる。歓声が上がる。もう1等を切るぐらいの明るさだが、この光景は結構いけますぞ。まだ雪化粧している八ヶ岳。その麓には雲が流れている。そして、その稜線の上にはヘール・ボップ彗星が輝いている。まるで絵に描いた幻想の世界みたいだね。
 実は、EM-200の上にセレストロンのC8をセッティングしたのだが、ファインダーは忘れるわ、倍率が高すぎるわで、こっちは何のために持ってきたか分からなかった。