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諸々の登山写真
(写真を増やしました。2021年5月4日)
 
1979年の鳥取県の大山の剣ヶ峯。山頂よりこっちの方が高いのですよ。

 右の人が元祖アブノーマル○○君。(バク)
 当時でも縦走路は崩落が激しく、道幅30cm少々で、両側絶壁のところもありました。
 この年、大山山頂では蛍の大乱舞が見られました。また、遙か南の沢に目をやると、蛍が放つ無数の光の群れがじわじわ登ってくるのが見られました。それは、美しいと言うより、恐怖感を抱きました。しかし、7月に登山することがあまりなくなったこともあり、その後はそんな光景を全く見ることが出来ていません。蛍が1匹かすかに光っていたのは見ることができましたけど・・・・


 

これも、大山縦走中にタチゲを撮りました。大山は、実にもろい岩ばかりで、手で触るとぼろぼろになるものもあるくらいです。私は「ラクダの背」で死を覚悟しました。本当に怖かったねぇ。写真はヤマト同心のタチゲです。ようやく荷物を下ろせる場所で、ああ、生きているって感じてポーズをとっています。
 
★★最近の大山縦走のビデオを見てびっつらしました。これは、やばすぎる。縦走路は、死の一方通行道です。よほど技術のある方と、死んでも良いと思う人は歩いて下さい。現在の私には、じぇーったい縦走はできましぇん。オシッコどころかウンチも漏れてしまいそうです。


 
2000年の燕山荘(えんざんそう)でも、山は燕岳(つばくろだけ)と言う。なして?

 
2002年に撮った蝶ヶ岳の蝶槍。常念岳方向からだと、実に岩だらけに見えます。

 

2001年。1978年と同じように、穂高の稜線とこちらの稜線の間に雲海が発生しました。つーことは、上高地、徳沢、横尾では、ドン曇りだなぁ。ほにょにょ。


 

2003年8月。この時は、沢渡からタクシーに乗り大正池で降り、馬鹿でかいザックをかついで上高地バスターミナルまで歩きました。この写真は、田代池付近で撮ったものです。


 

例の窪地から蝶ヶ岳山頂に向かう登山道。意外に急勾配で、しかも、アホほど滑りやすいのですよ。ある年は、カメラを持ったままこけてしまって、カメラのレンズの先っちょが一部凹みました。死刑。


 

2001年の蝶ヶ岳のテン場。うーむ、この場所からだと、テン場は稜線のてっぺんにあるように見えますよねぇ。穂高と槍が見えています。


 

2005年に蝶ヶ岳でとった「雷鳥」 近づいてもなかなか逃げませんよ。ある年は、ヒュッテに向かう道を平然と歩いていました。


 

2004年は、浅間山が活発に活動をしていた年です。蝶ヶ岳からも雲煙が見えました。


 

2005年に長塀山山頂近くで撮った「ギンリョウソウ」。子供の頃に、姉の「葉緑素のない半透明の植物があるって先生が言っていた。」という話を聞いてから、一生懸命探してみました。当然、簡単に見つかるはずもなく、半ば諦めていました。しかし、何と、家のすぐ近くの狭い山道の横に咲いていました。唖然。その後、烏ヶ山や、大山でも群生地を発見しました。


 

2007年に撮った蝶ヶ岳のテン場。何となくノースリーブでいました。分かってはいましたが、ひどい火傷状態になりました。高山の紫外線を舐めていると、とんでもないことになります。ある年は、耳の皮がぼろぼろに。ある年は、唇の皮がベローンと剥がれました。シミも1日で出来てしまいました。


 

1977年の烏ヶ山。これは、アブノーマル○○君のハーフ版のカメラで撮ったものだったと思います。ザックが小さかったから行けますが、結構怖いですよ。烏ヶ山と言う名前の通り、烏のクチバシのようにピークが二つあります。2000年の鳥取県西部地震で、見えていない、手前の第一ピークがかなり崩落してしまいました。何年も登山禁止となっていましたが、どうやら最近OKになったようです。


 
 

 これは、1999年に撮った烏ヶ山と大山東壁と南壁。
 ある年は、鏡ヶ成からこの烏ヶ山、大山のキリン峠を経て、大山を縦走しました。殆ど休憩なし。飯も食わず、水を少し飲んだ程度で、信じられないくらいのスピードで歩き続けました。しかも、雨が降っていましたし。下山キャンプ場に着いてみてビックリ。既にバスの運行は終わっていたのです。仕方なく、大川寺方面から鏡ヶ成まで歩きました。ようやく鏡ヶ成に戻ると、強風と雨のためテントがひっくりかっていました。大慌てで片付けて、オートバイに乗って、お袋の家に行きました。あまりの体力消耗のため、食事が全く喉を通りません。こんなことは初めてでした。よく生きていたなぁ。
 最近、Googleマップで調べましたところ、大川寺から鏡ヶ成までは19kmもありました。オートバイで名古屋から鏡ヶ成まで来て、テントを張って、烏ヶ山から大山縦走をして、大川寺までとんでもないスピードで歩き、そこから、また19kmも歩いたとは・・・


 

これは、2014年7月27日に撮ったもの。カラッと晴れてはいませんでしたが、懐かしい光景に再会しました。


 

鳥取県の大山は、紅葉でも有名なところです。これは2006年11月4日に撮ったものです。でもなぁ、昔はもっと鮮やかな紅葉だったような気がするなぁ。気のせいかなぁ。


 

2008年に撮った鏡ヶ成全景。象山の登山道から撮りました。今では、街灯が沢山ついてしまったり、国民休暇村の明かりがすごいので、かつての星空を見ることは出来ません。しかし、写真の左の方に写っている、鏡ヶ成湿原の木道に行けば、そこそこの写真が撮れます。


 

2006年に鏡ヶ成から撮った星達。烏ヶ山のシルエットが美しいのですが・・・現在はご覧の通り、光害のため星空はまるで駄目夫君ですねぇ。


 

2007年3月25日に撮ったもの。鍵掛峠から大山南壁を望む。ここも、かつては天体写真を撮る格好の場所でした。しかし、ライト付きのトイレが出来て、これまた駄目に。夜中に、こんな場所でトイレを使う人がどれほどいるでしょうか。それに、電灯は使う時だけ、手動で付ければ良いのではないでしょうか。何年か前、この場所で、ヌエの声に再会しました。ピー、ピー。それは、まるで口笛のような鳴き声です。


 

2008年8月に撮った鍵掛峠からの大山南壁です。


 

2021年4月25日の鳥取県大山南壁。鍵掛峠より。


 
2021年5月4日に撮った「鍵掛峠」からの残雪の大山南壁。

 

2007年3月25日に、金門から撮った大山北壁です。大山は初心者でも十分登れる山ですが、冬季には結構やばい山になります。山陰の海側に位置する独立峰ですからねぇ。結構亡くなった方もいます。私は、学生の頃、12月にいい加減な装備で登って軽い凍傷になったことがありました。


 

2006年に徳沢から撮った前穂高岳です。それにしても空が青い。


 

2007年、穂高をバックに下山する人を撮りました。


 

1977年に鏡ヶ成で撮った貧相アブ衛門。後ろの山が象山なのですが、当時はこの山にもリフトがついていました。子供の頃は雪が多くて、鏡ヶ成はいつも3m越えでした。ちなみに、学生の頃、来た人みんなで、この象山に登ると星空になるというジンクスがありました。しかし、8月頃の鏡ヶ成はガスの通り道になっていて、星空に巡り会うことが少なかったですねぇ。


 
 
 

2005年8月に撮った大山縦走路。もう崩落が激しいったらありゃしない。上の写真の真ん中あたりにある「ラクダの背」は存在そのものがなくなりそうになってきています。現在、縦走は基本禁止です。
 


2001年夏に、蝶ヶ岳登山のトレーニングのために、鳥取県の大山に登りました。この写真は、ペンタ67で撮ったものです。解像力にビッツラしたものです。にしても、大山って、何てもろそうな山肌をしているのでしょうか。


 

2003年8月 大正池から焼岳を撮ってみました。フィルムはベルビアでしたっけ?相当にコントラストと彩度が高いフィルムでした。


 

2003年に弓ヶ浜から大山を撮ってみました。数十年ぶりに同じ場所から撮ってみました。伯耆富士とも言われる素晴らしい山容です。


 

2009年、初めて「オコジョ君」に出会いました。ずっと憧れていたのですが、それまで出会うことは全くありませんでした。初めは、すごい警戒していました。その動きの機敏なこと、機敏なこと。しかし、じっと待っていると、何と3度も僕の登山靴の上に乗ってきてくれました。


 

2000年に撮ったモルゲンロートに染まる燕岳です。


 
 1998年8月に燕岳のキャンプサイトで撮った「ブロッケンの妖怪」です。条件が揃うと、この様に、自分の影がガスに浮かび、その周りに、円形の虹が出来ます。この時は、随分長い時間見えていました。
 この現象を初めて見たのは、1980年12月上旬のことでした。望遠鏡のパーツを実家に撮りに行こうと、原チャリを2日間走らせました。(片道550km)その後、とりつかれたように、鳥取県の大山に登りました。約50cmの積雪で、初めは快晴でした。しかし、9合目辺りから天気が激変。そのちょっと前に、この「ブロッケンの妖怪」を見ました。丁度、下山してきた?ベテランのクライマーがいたので、教えてあげたら、その人も「初めて見た。」と、お礼に干し肉を頂きました。当時の大山山頂小屋は、とても古いものでした。トイレに行ったら、アンモニアの匂いで目がしみました。しかし、ヘッドライトに照らされて、細かい氷の結晶がキラキラキラと輝き、臭いのに、この世のものとは思えないほど綺麗だったことを思い出します。・・・しかし、軽い凍傷になってしまいました。
 

 

 これが、1980年12月に登った、鳥取県の大山での写真です。
 して、これは何?実は、多分、標識をつけていた、直径わずか数cm程度の鉄か、木の骨組みなんですよ。そこに雪と氷の結晶である「エビの尻尾」なるものが成長してこうなったのです。


 

同じく2000年に撮った燕岳です。燕岳は特異な山です。風化花崗岩の奇岩が特徴的です。また、岩でないところは、まるで学校の校庭のようなイメージの砂がしき詰まっています。


 

これも2000年に撮った燕岳です。とても自然の岩とは思えない奇岩がありました。


 

これまた2000年に撮った燕岳です。ここは、高山植物の女王と呼ばれる「コマクサ」の群生地でもあります。一時期は絶滅の危機もあったのだそうですが、保護活動のおかげでこの通りの群生です。


 

2001年に蝶ヶ岳で撮った雲海に浮かぶ穂高連峰です。うつくしー。


 

2007年に蝶ヶ岳から撮った穂高連峰にかかる「天使のハシゴ」。(写真を入れ換えました。)


 
同じく2007年に撮った、「ホシガラス」。以前はあまり見なかったと思うんだけどなぁ。この鳥、ハイマツの松ぼっくりをちょっとつまんでは、ポイッと捨てていく。これで、ハイマツが他の場所で増えていくんでしょうねぇ。

就職した際、名古屋で、長い間、新人研修をしてもらいました。ゴールデンウィークになると、他の人達は、家に帰ったり、遊びに行ってしまいました。私はと言えば、長らく考えた後、一人で上高地に行くことにしました。そして、河童橋付近から穂高連峰などを撮りました。ああ、寒かったわー。道の脇にも結構雪が残っていましたね。
 
 

 
2006年に撮った河童橋近くからの風景。ここへ来る時間帯が悪いのか、意外に快晴の時がほとんどありませんでした。グラビアで見てから憧れていた風景です。最初にこの風景を見た時、「現実のもの」ではないような、そんな気がしていました。


これは、上記の写真を縦位置で撮ったもの。梓川のエメラルドグリーン色が美しい。

 

1981年3月、学生時代最後の登山に選んだのは、3m以上の残雪のある大山でした。(鳥取県)キスリングがでかいなぁ。金がないので、夏山登山靴にオーバーシューズを履いて、夏山用の4本爪アイゼンをつけて登りました。しかし、表面の一部だけが凍っている箇所では、その氷がすぐに割れて、結構大変な登山でした。そういう訳で、急斜面では、斜面に蹴りを入れながら足場を確保する方法、キックステップを使って登ることとなりました。写っているのはタチゲです。


 

同じく1981年の大山縦走路です。さすがに3月ということで、温度が上がり雪が溶け始めています。確かこの日、北壁側の元谷(もとだに)で、雪崩で人が死んだとか聞いています。雪山はおそろしかー。上の方に小さく写っている赤い服の人がタチゲです。(ちなみに、縦走路は途中まで歩いただけです。縦走などすれば確実に死んでいます。)


 

1981年3月の大川寺付近にて。ギシュッ、ギシュッ。春の息吹など到底知らぬ山の冷気に、僕らのアイゼンのきしむ音だけが溶けていく。この大川寺の前あたりからは、腰まで雪に埋まってのラッセルだ。凍える寒さの中で汗だくになる。・・・雪に埋まって星を見るって、何か夢だったんですよねぇ。アマチュア天文家の藤井旭氏の記事の影響でしょうかねぇ。


 

1981年3月に、鳥取県の大山登山を敢行。このナメナメと光る表面はキャンプ場付近からも見えていました。キスリングは約30kg。温度が高かったので、斜面の表面だけが薄く凍っている状態でした。アイゼンを踏み込むと、あっという間に薄い氷が砕けました。ちなみに、この写真はタチゲが撮ったものです。


 

同じく1981年のもの。何もかも皆懐かしい。ちなみに、下山の時、タチゲは足を踏み外し、かなりの距離を滑落しました。私はと言うと、ユルユルの雪の中に足がずぼっとはまりました。その際、クソ重いキスリングを背負ったまま、身体が斜めに半回転してしまいました。よくぞ骨折しなかったものだと感心。
 

ポーザーと言うソフトで作ってみました。片足が雪にずぼっと埋まり、身体がひねった状態で倒れました。背中には30kgの重さの荷が。


 

1981年3月、息も絶え絶えに山頂に着いた時、猛烈に落胆しました。そこそこ高さのある山頂小屋全体が、すっぽり雪に埋まっていたのです。ここまで来たのに下山しないといけないのか?しかし、写真の右側の煙突みたいなものが冬季用の入り口と分かってホッとしました。しかし、この冬季の出入り口は、アホほど狭く、荷物を小分けにしないと通れないのですよ。して、時間をかけて雪を掘りおこし、小屋から外界へ道を作りました。(写真はタチゲ)


 
1980年の12月に大山を登った経験から、1981年3月には、小屋の中でテントを張るという方法を実行致しました。登山客は他にいたのかなぁ。多分いなかったような・・・ともあれ、雪にすっぽり埋まった小屋の中は真っ暗。当時、単三電池のヘッドライトしか持っていませんでしたので、電池の消費の早いこと、早いこと。


 
同じく1981年の3月のもの。温度が急激に上がり雪が急に溶け始めました。手に持っているのはお手製の「ヤマト天文同好会の旗」


 
2007年8月撮影。登山道のある尾根から梓川、穂高連峰、槍ヶ岳を撮りました。鮮やかぁー。


 
これも2007年8月撮影。山で飲むビールは格別においしい。しかし、何か酔いが早いのよねぇ。


 
2003年8月に大正池から撮った焼岳。


 
2001年8月に蝶ヶ岳から撮った雲海に浮かぶ槍ヶ岳とモルゲンロート。槍ヶ岳は、憧れの山ではありますが大渋滞は嫌ですねぇ。私は静かな山が好きなのですよ。


 
2001年に撮影した烏ヶ山。2000年の鳥取県西部地震で、第一ピークがかなり崩落してしまいました。現在は、だいぶ固まってきており、気をつければ登山は大丈夫そうです。・・・現在、まるっきり大丈夫です。


 
2014年7月27日に撮った烏ヶ山の崩落現場。茶色かった岩場は、グレー色になっています。登山する人が少ないので、登山道はかなりの藪こぎになっています。濡れていると、土も岩も氷のようにつるつるに滑りますよ。


 

 
2007年に撮った「妖精の池」。ここは、恐らく「ルリボシヤンマ」と思われるヤンマと「蚊」の大孵化場でもあります。(ルリボリヤンマかどうかは、だんだん不安になってきました。あはは。)北アルプス蝶ヶ岳から徳沢方面に30分程度下った場所にあります。


 

 
2009年蝶槍から槍ヶ岳を望む。


 

 
2006年8月、奥上高地の徳沢で撮りました。前穂高岳と明神岳の上部だけがモルゲンロートに染まっています。


 
2006年8月、蝶ヶ岳登山に出発。登り初めて間もなく、木々の合間から、前穂高岳が大迫力で見えました。


 
2006年8月、蝶ヶ岳から撮りました。屏風岩にかけて虹が架かっていました。


 

 

2003年8月、蝶ヶ岳山頂にて。このフィルムがちょっとコントラストと彩度が高すぎて、服の色が変です。


 

 

2007年8月、蝶ヶ岳から多分10mm超広角で撮った風景。思い起こすと、2007年は天候にも恵まれ、結構良い?写真が撮れましたねぇ。


 

 

2009年8月、蝶ヶ岳の朝です。


 

2009年8月、蝶ヶ岳ヒュッテの横から見た穂高連峰。


 

2001年、蝶ヶ岳から見たモルゲンロートに染まる「槍ヶ岳」。望遠使用。 


 
2001年8月槍ヶ岳殺生ヒュッテ。その昔、蝶ヶ岳で星を見ていたら、槍ヶ岳を登る灯りが100m以上落ちてい行った。滑落か?しかし、しばらくすると、その灯りは、またも槍ヶ岳を目指して登っていった。あれは、幻想なのか?理解不能な光景だった。

 
2001年8月に撮った「蝶ヶ岳の二重稜線」。何故か、初めて登った1978年には、これに気が付かなかった。アホぢゃー。

 
2009年8月の蝶ヶ岳。穂高連峰から槍ヶ岳が美しい。

 
2009年8月、蝶ヶ岳ヒュッテに夕闇迫る。

 
 
2009年8月、蝶ヶ岳ヒュッテの物置には、高橋製作所のSky90がP2マウントに乗っていた。臨時の医療施設に来られていたドクターの所有物か?モードラが付いていませんね。しかし、どうやって運んだのでしょうか?ヘリコでしょうか?

 
2003年8月の、蝶ヶ岳ヒュッテと穂高、槍。

 
2006年8月。徳沢から、ガスが晴れ始めた、明神・前穂高岳、そして、梓川。

 
2008年8月の徳沢からの光景。ガスが少しずつ晴れてきました。

 
2007年8月。蝶ヶ岳からの御来光。あー、ちゃっぷい。

 
2009年8月。蝶ヶ岳は北アルプスの中では、とてもなだらかな山です。しかし、蝶槍は、唯一男性的な山容を見せてくれています。奥の山は常念岳です。

 
2007年8月。徳沢から。水量が少なくなった梓川の流れ。 

 
2007年8月の蝶ヶ岳から。蝶ヶ岳への登りは、きつくて果てしなく長い。しかし、山頂付近は灘らかで、北アルプスの山々が一望出来る。その山をシルエットに、素晴らしい星空が撮れるのだ。

 
2005年8月。雷鳥が悠々と歩いていた。蝶ヶ岳にて。

 
2005年8月。蝶ヶ岳山頂直下の窪地で、雷鳥を撮る。結構たくましい足をしていますね。

 
2005年8月。蝶ヶ岳山頂近くで撮った星達。大町や穂高町辺りの町の灯で、雲がオレンジ色に染まっている。多分。

2006年8月に、北アルプスの蝶ヶ岳で撮った、穂高連峰と星達です。丁度、良い具合に月明かりが山肌を照らしてました。今回は、だいぶ前の「Light Room」も使って画像処理しました。

 
2007年8月。蝶ヶ岳ヒュッテと穂高連峰と槍ヶ岳。いつぞやは、ヒュッテからの、この道を雷鳥が悠然と歩いていました。

 
2007年8月。ご覧の通り蝶ヶ岳からの眺めは、素晴らしい。穂高連峰、槍ヶ岳、常念岳、大天井岳等々、実に美しい光景が見られます。テント泊をすれば、とても素晴らしい星空が堪能できます。繁忙期の山小屋は、とても狭いスペースでの就寝になります。奥に位置すれば、夜中、人を踏んづけなければ、トイレにも行けないとか・・・知らんけど。

 
2009年8月の蝶ヶ岳のテン場。穂高や槍が見えていますね。このおっちゃん達は、見知らぬ人です。おほほ。

 
 
蝶ヶ岳の「瞑想の丘」からヒュッテやテン場を展望します。

 
瞑想の丘から槍ヶ岳遠望。

 
2008年8月。蝶ヶ岳より、雲の合間から御来光をを臨む。

 
2007年8月。蝶ヶ岳ヒュッテからテン場を臨む。星空が広がっています。

 
2007年8月。蝶槍の上で「がぉー!」逆光だったので、そこそこ画像処理しています。

 
2007年8月。この場所を知っている人は殆どいないでしょうねぇ。1978年に偶然に見つけた秘密の場所で、大滝山を望む。アホ衛門の腕が既に日焼けで、ひどい火傷状態になっています。タンクトップ、止めときゃ良かったよ。

 
2003年8月、蝶ヶ岳のテン場で、アホ衛門。うー、若いよ。

 
2003年8月の「大正池」。彩度のアホ程高いフィルムを使いましたので、こんな感じで写りました。

 
2003年8月、蝶ヶ岳からアーベンロートに染まる「穂高連峰と槍ヶ岳」。地理的な理由から、蝶ヶ岳からアーベンロートに染まる山々を見ることは、相当珍しいことです。ま、画像処理で原画より結構彩度を上げていますけどね。

2001年8月。以前、蝶ヶ岳山頂とされていた場所から、カップルを写す。うらやましいな。このぉー。このぉー。

 
1980年3月の三瓶山。多分「犬戻しのリッジ」と言われる場所ではないでしょうか?歩いているのは、タチゲ同心。

 
1980年3月、男三瓶山の積雪のある急斜面を下る「タチゲ」。滑落するなよー。

 
2003年8月、朝待つ蝶ヶ岳のテン場。

 
2005年8月、徳沢からみた「明神・前穂」。そして、天使の梯子。

 
 
2022年5月15日に、鳥取県の烏ヶ山に登りました。山頂の大岩は、1977年8月には、まっすぐ立っていましたが、その後、すぐに傾いたようです。
 

 
久しぶりに登った、鳥取県大山(だいせん)の南側にある烏ヶ山。(からすがせん)2022年5月15日撮影。学生時代を含む若い時は、1時間かからずに登頂していたが、今回は2時間6分もかかってしまった。終わっとるがな。

2022年5月15日に撮った写真。烏ヶ山の第一ピークです。2000年の鳥取県西部地震で、崩落した場所です。今では、だいぶ固まって恐怖感はあまりなくなりました。
 

これも、2022年5月15日のもの。烏ヶ山の登山道です。烏ヶ山は、結構傾斜が急で、何ヶ所かは、この様にザイルが設置されています。私が勝手に名付けた「一枚岩」は、突起があまりなく、且つ、結構滑るんですよ。こわや、こわや。
 

2021年5月4日に、烏ヶ山に登りました。前日、結構気温が下がったので、背景の大山は、いくらか冠雪しております。おお、烏ヶ山の山頂には、既に何名かが陣取っていました。
 

上の写真と同じ日に撮ったものです。そのままでは、彩度があまりにもなさ過ぎたので「Luminar」なるソフトで画像処理しています。
 

2022年6月18日に撮った、島根県の三瓶山です。初めて来た時、草原に、どっかの山のてんっぺん付近だけを切り取って、どーんと置いたような感じを抱きました。対角魚眼レンズのため、画像が湾曲しています。
 

2020年9月22日に、島根県の三瓶山に登りました。最高峰の男三瓶山の山頂です。
 

2022年4月24日に撮ったもの。鳥取県の鏡ヶ成のすぐ近くにある象山山頂です。
 

2007年8月に、北アルプスの蝶ヶ岳に登った時に撮ったものです。活火山の焼岳からまっすぐに噴煙が上がっています。
 

 
これは、1999年8月に、蝶ヶ岳に登る時に撮ったものです。かなり、山頂に近くなった場所です。1978年には、形の崩れた37kg近いキスリングを担いで登りました。この場所に着いた時には、かなり暗くなっていました。丁度、体調を崩した若い女性を助けるために、仲間達がやってきていました。どうでも良いような写真ですが、胸が熱くなる写真です。

2022年6月18日に撮りました。島根県の浮布池展望台から三瓶山を望みます。
 
上の写真と同日に撮ったものです。とても滑りやすい急斜面を下り、浮布池河畔から三瓶山を望みました。1980年3月に撮った場所と同じことが分かりました。