これは、若い頃、阿蘇山にオートバイツーリングに持って行ったシステム?。雲台を直接本体に取り付けるようにして、軽量化及び強度を上げたつもりでしたが、結局は、この方法で写真を撮ったことがありませんでした。アホー!
参考までに、これは、EM-200 Temma Jr.にボーグ77EDⅡを乗せた写真。H型とは違って鏡筒バンドに雲台をつけることが出来ます。これは、強度の面で段違いに有利だと思います。
高校生であったある日、お袋が「ボーナスが出たので、何か欲しいものはない?」と言ってくれました。そこで、メーカーの広告では300mm望遠もガイド可能であるこの機種を買ってもらったのです。(一部は小遣いを使ったのかな?)極軸望遠鏡がついているので極軸のセッティングがとても楽。また、初めて自分で自由に使える赤道儀でした。高橋製作所の製品は質実剛健。但し、ちょっと柔軟性に欠けるような点もあるように感じます。
カタログを見ると、赤道儀の重さは3.5kgとなっています。今の機材から考えると、結構重たい部類のポタ赤ですが、当時は画期的な商品でした。形は、ドイツ式赤道儀をスケールダウンしたものです。ガイド鏡は同社がファインダーに使っていたもので、口径は40mmで焦点距離は240mm。これでは倍率が出せないので、3倍バーローレンズを併用します。写真は、ベルボンの写真用三脚に乗せているますが、後で、同社のP2赤道儀の三脚と同じものを購入して使っていました。それは、桜材を使ったもので、小型なのに強度がありました。
初めは、全くの手動ガイドで使っていましたが、大学時代にバイトをして同社のHD-2というモータードライブを購入しました。これで、撮影が格段に楽になりました。しかし、まだ水晶発振のものではなく、恐らく水晶発振のものの半分近くの精度しかありませんでした。特に望遠レンズをガイドをしている時は、終始ガイド鏡をのぞき込んでいる状態でした。
このポタ赤の一番の問題点は、鏡筒の先に簡易雲台なる金具を取り付け、そこに自由雲台なりをつける構造にあると思います。このため、鏡筒バンドを死ぬほど締め付けないといけないのです。それでも、重たいカメラやレンズを乗せて、更にバランスを崩した状態で写すと、鏡筒が微妙に回転してしまいます。私なりに考えると、鏡筒バンドの上に雲台をつけられるようにすれば一発解決だと思います。強度は相当に上がるはずです。何故、こうしなかったのか、うーむ・・・(最近の望遠鏡は、鏡筒バンドに雲台をつけるネジが取り付けてあります。やっぱし、こっちの設計の方が断然良いですよねぇ。)
ガイドをする時には、照明装置が必要となりますが、初めはLED(発光ダイオード)を使った明視野装置を自作して使っていました。そのうち、日野金属から、上の写真にある、暗視野装置が売り出されたので購入しました。しかし、これは、小さな長細い豆球を使っており、頻繁に切れて困りました。ま、現在の技術なら、ガイド鏡なしでノーチェックガイドが出来ますよねぇ。
初めてこのポタ赤で写したのは、自宅の狭い狭い庭からとった冬の星達でした。初めて持てた自由に使える赤道儀だったので、とても嬉しかったことを今でもはっきり覚えています。ウエスト彗星を近くの丘で撮った時は、霜が降りる寒さの中、素手で金属の微動ハンドルを回していたので、手の感覚がなくなりました。えらいこっちゃ。
そう言えば、当時はお金がなくて、フィルムは富士フイルムのネオパンSSS(通常はスリーエスと発音することが多いですが、トリプルエスと言う人もいましたね。)と言うフィルムを使うことが多かったですねぇ。パンドールと言う現像液で現像をしていましたねぇ。余裕がないと、コダックのTri -X(トライエックス)は使えませんでした。