固定撮影は一番初歩的な撮影方法です。三脚にカメラを固定する。後はバルブでシャッターを開けっ放しにする。絞りはF2.8程度に絞ればだいぶ星像もきれいになるし、周辺減光も少なくなります。(もっと絞った方が星像は良くなりますが、今度は露出時間が長くなります。)簡単な方法だけに、構図とか撮る人のセンスが問われることになりますよねぇ。
これは、2001年8月に蝶ヶ岳山頂(2667m)から撮ったものです。真夏でも朝方は摂氏5度近くまで冷えることもありますし、強風が吹けば、下界の真冬並みになります。それだけに「神々の世界」を垣間見ることが出来ます。(写真を入れ換えました。)
2007年8月、奥上高地の徳沢で星を撮っていましたが、ガスってきてテン場に戻りました。すると、突然、ガスが切れてまた星が出てきました。大慌てで撮影したのがこの写真です。
2003年の盆休みに、蝶ヶ岳に登った時に撮ったものです。こうしてみると、月明かりやガスが意外にもいいコントラストになっています。
2001年8月に、蝶ヶ岳にクソ重いペンタックス67を持って登りました。(しかも、ザックに入らなかったので、手に持って。)その際に撮った写真です。
1993年8月に、二度目の蝶ヶ岳登山の際に撮ったものです。この年は、あの「タイ米を輸入した」とてつもない冷夏の年でした。奇跡的に晴れて、この光景を見ることが出来ました。まさに、奇跡の光景でした。強く思えば、奇跡は起こるのだということを実感した出来事でした。
鳥取県と岡山県の県境にある、鏡ヶ成(かがみがる)高原。かつては、神戸大学天文研をして「恐怖心すら覚える異様な星空」と言わしめた星空の園でした。今では、ライトが多数設置され、その姿は消してしまいました。それでも、湿地帯に入ると、いくらかは光害を避けられます。そんなところで撮影。あの頃の星空がまた見てみたいですねぇ。ヌエの鳴き声もかすかにしか聞こえなくなってしまいました。
2005年8月に、徳沢で、初めてデジイチで撮った星空です。それまでは、デジイチの性能を馬鹿にしていました。しかし、この頃からデジイチの性能は格段と良くなり、ほとんどデジイチ一本やりとなりました。
2006年8月に蝶ヶ岳山頂付近で撮ったものです。月明かりがちょうど良い具合でした。(写真を入れ替えました。)
標高1.300mを超える野辺山高原で撮った写真です。以前は、東京エリアから天文マニアが押しかけていた場所の一つです。しかし、昔から比べると空は明るくなってしまったようです。一時期のペンションブームが去って、野辺山や隣の清里(きよさと)も一時の賑わいはなくなってきています。
鳥取県にある、名峰、大山。子供の頃からスキーも含めてよく来ていました。1979年には縦走をしましたが、死を覚悟することになりました。
この場所は、金門という場所で、北壁がよく見える場所です。月明かりで山肌がうまく写ってくれました。
何としてでも寄りたかった大山。北壁がよく見える「金門」で北壁の上の星達を撮ってみました。
1993年8月に撮ったもの。しかし、アホほど寒かったです。暴風が吹いていたせいで、それは真冬以上の寒さでした。月明かりがちょうど穂高連峰や槍ヶ岳を照らし出していたのです。
1998年8月に、初めて燕岳(つばくろだけ)に登ってみました。日本三大急登と呼ばれている登りですが、蝶ヶ岳に向かう長塀山ルートの方が遙かにしんどいんですよ。しかし、この登山時はものすごい雷雨で、真横から雷が光っていました。高山での雷は極めて危険。死むぅ。しかも、登頂後もずっと雨で、隣のテントに誰がいるのかも分かりませんでした。丸二日間雨の中でしたが、その後、奇跡的に晴れました。憧れだった「コマクサ」や風化花崗岩の奇岩群も見ることが出来ました。更に、一人で登ってきた東京の女子大生と知り合うことが出来、彼女のテントの中でソーセージ何ぞを食べました。登山で、こんな経験は今のところ、この時だけです。
燕山荘(えんざんそう)の石垣と槍ヶ岳をバックに昇るさそり座も撮ることが出来ました。
2003年8月に蝶ヶ岳で撮ったものです。以前、天文雑誌に「スカイウォッチャー」という雑誌がありました。(現在の星ナビ)その表紙に、こんな感じのイラストが描かれていました。ひどく感動した記憶があります。この写真は、そのイメージに近いものです。何かエエなぁー。
EOS5D MarkⅡで撮ったもの。固定撮影。肉眼で見たイメージに一番近いかも。