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  • 2016年徳沢ダラダラ旅
  • 2016年8月 徳沢ダラダラ旅(ほぼ完成)

  • 2016年8月10日(水)

  •  昨日は、金沢出張だった。最後、○○に行こうかと思っていたが、行っても、肝心な人に会えるかどうか疑問だったこともあって、担当者が「帰って下さい。後は、私がとりあえず行ってみますから。」と先に帰らしてもらうことになった。それでも帰宅は22時半過ぎだった。とにかく馬鹿みたいに眠たかった。それでも、旅の用意を少しだけは行った。結局寝たのは、午前2時半頃だったか。途中ウツラウツラしていたにもかかわらず、一端5時に、目覚まし時計で目が覚めてしまった。時計を5時半にセットし直したつもりだったが、直っていなかったのだ。およよ。アホアホ。
  •  今回だけは、用意を早くしておこうと思っていた。しかし、気がつけば、全く駄目だった。途中で諦めて、ゆっくり出発することになった。スタートは正午。まだ、平日だったので、思いの外渋滞は無かった。
  •  13時に第二京阪道路の京田辺SAで休憩。とても眠い。その後すぐ、京滋バイパスの一部で渋滞が少しあった。
  •  14時過ぎに多賀SAで昼食をとる。注文が通っていなく、結構待たされた。うーむ、ちとイライラ。しかし、そのおかげか、眠気が少し覚めた。良かったんだか、悪かったんだか。
  •  その後、一宮付近で事故か故障車による渋滞が少しあった。まあ、その程度だった。しかし、とにかくアホほど眠たい。
  •  昨日のこと、朝早く出るのは不可能だと、ビジネスホテルに泊まることにした。しかし、いつもの穂高タウンホテルは満室。ネットで探して、ホテルルートイン塩尻北インターというホテルを予約しておいた。
  •  近くのコンビニに寄って、ホテルに着いたのは6時半頃だったか。塩尻は、現在住んでいる堺市より随分東に位置することもあるが、あたりは少し薄暗くなっていた。ホテルはお客さんが結構いっぱいだった。エレベーターの中に自転車を立てて乗り込んできた人と一緒になってびっくりした。当の本人もさすがに悪いと思って恐縮していた。
  •  とにかく眠たかったが、ホテルに入ると、パッキングを再度やり直した。最初は必要と思われるバッグを部屋に持ち込むつもりでいたが、結局、車に積み込んだバッグを何度も何度も運んで、すべてホテルの部屋に持ち込むことになった。
  •  当初、ポタ赤は、K-ASTECのGF50プラスM-GENオートガイダーを持って行こうかと思っていた。しかし、いざパッキングをしてみると、「うーむ!」と頭を抱え込んでしまった。ザック本体の容量をかなりとってしまうのだ。結局、アストロトラックTT320Xを持って行くことにした。これなら、アタックザックのサイドポケットに収まるのだ。アストロトラックTT320Xと標準レンズなら、オートガイダーは不要だ。また、三脚につけるのはK-ASTECのXY装置では無く、ケンコーの大きめの自由雲台だけにした。TT320Xにつける雲台は、いつもの通りのジッツォのオフセンターボール自由雲台だ。この雲台は、バランスの点で少し問題もあるかもしれないが、とにかく小型で、どの方向にもカメラを向けることが出来るのだ。
  •  実は、ニュースを見ると、明日は「山の日」と言う新設の祝日で、上高地では、記念式典があるらしい。かなり手前ではあるが、マイカーが入れる沢渡(さわんど)の駐車場に入れるのかちょっと不安になった。
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  •  塩尻のビジネスホテルにて。いつもの穂高タウンホテルは、予約するのが遅すぎて満室だった。
  •  ところで、この写真は鏡越しの撮影だが、アホ衛門の右肩がかなり下がっているのが分かる。これは、骨が歪んでいる証拠だろう。左半身のこわばりは、多分これが原因だろうねぇ。
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  •  ホテルの中で考えに考えた結果、このアストロトラックTT320Xを持って行くことにした。うーむ、初めからそうすれば良かったのだ。
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  •  ところで、今まで登山及び徳沢入りには、不要な服や機材が多すぎた。そこで、思い切って贅肉をそぎ落とすことにした・・・と思っていたが、ザックの中はパンパンだ。やはり、割り切りが悪すぎるのだろう。
  •  また、これは、いつもと同じなのだが、本日着ていた服はホテルの洗面所で洗って干しておいた。明日はこの服を着て徳沢に入ることになるのだ。少しでも荷物を減らしたいのだ。(翌日は半乾きなのだが、忍法半乾き着替えの術を使うので良いのだ。) 
  •  尚、このところ西日本では、猛暑日が続いている。太平洋高気圧に加えて、西日本だけにチベット高気圧がかかっているからなのだそうだ。
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  • 2013年8月11日(木)

  •  昨晩は、ビールをかっくらって寝た。しかし、朝早くから起きることになる。(午前5時50分だったか?)初めは5時に起きようと考えていたが、疲れ果てていたので、やめたのだ。食事は6時45分からとのこと。それより少し遅い時間に食した。それまでに、部屋に持って上がっていた荷物を車に積み込み、パッキングを最終調整して、それも積み込んだのだが、思いの外、時間がかかったのだ。
  •  ホテルを出発したのは7時33分のこと。高速道路は使わず、下道を通って沢渡入りの予定だ。
  •  7時44分、道を間違えた。ちょっと時間のロスだ。天気は曇り。予報ではこれから晴れるらしい。
  • 8時38分、沢渡バスターミナルと言う駐車場に着いた。以前は、梓第一駐車場とか言ってなかったかなぁ?通常は「足湯」がある方の駐車場に停めるのだが、既に満車で、その右側の方の駐車場に案内された。以前、一度停めた記憶がある。と、あらら、そこには確かにバスターミナルがある。んー?以前は無かったと思うけどなぁ。何時出来たんだろう。しかし、そのエリアの駐車場も満車で、その下にあるエリアに停めることになった。その駐車エリアとて、殆ど空きが無かったのだ。あぶない、あぶない。
  • タクシーに乗って上高地バスターミナルを目指す。時間が中途半端なのか、相乗りをしてくれる人は全く見つからない。代金は、定額4.200円になっていた。毎回ちょっとずつ値段が下がっているような気がするねぇ。でも、確かにもったいないよねぇ。(私のザックはノースフェイスの75Lのもので、更にディパックを取り付けているのだ。こんな大きなザックでは、ひんしゅくをかいそうで、バスには乗らないのだ。)

 
 

 
 タクシー代の領収書。一人で片道これだけ払うのは痛いがしょうが無い?
 

  • 9時18分、上高地に着いた。バスターミナルの大きな駐車場では、皇太子様等が来られ「山の日」の式典がまさに始めるところだった。従って、バスもタクシーも中に入れず、Uターンするのすら往生していた。天気は曇りのままだ。この駐車場の奥から「焼岳」が見られるのか確かめたかったのだが、天気もこれなら仕方ないと自分に言い聞かせる。ちと残念。
  • 9時半過ぎに河童橋に到着。残念ながらまだ曇っているので、鮮やかさが足りない。思えば、この河童橋あたりで快晴だったのは、意外にも3回程度だったかも知れない。
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  • ちょっとコントラストがない上高地の河童橋
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  •  明神少し手前には「白沢」という場所がある。しかし、ここで愕然とした。「なんぢゃ、こらああああ!!」初めてここに来た1978年7月下旬には、実に幻想的な風景が広がっていた。辺り一面は白い砂土の広場のような場所になっていた。木々は枯れ、そこに枯れた木の一部が辺り中に転がっていた。しかし、今回はどうだろう。道がただ白っぽいだけなのだ。道の両脇は、木々が繁っている。あの当時の面影は全くなかった。
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  • これでは「どこが白沢ぢゃー?」ちゅー感じでしょうか?
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  • これが、1978年の白沢だ。間違ってフィルムの一部を感光させてしまったので、こんな写真になったが、辺りは、白い砂が敷き詰めらた広場のようになっていた。友人の「タチゲ」の前には朽ちた木の一部が妙な格好で転がっている。
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  • 1993年の白沢。既に、木々が繁り始めたが、それでも「白沢」のイメージは残っていた。
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  • 10時6分に明神に到着。まずは、明神館の自販機でジュースを飲む。確か前回の2013年は160円だったと思うが、200円の山価格になっていた。ザックの重量は計っていないのだが、これまでの経験から恐らく28kg弱程度と推定した。徳沢までの道は、梓川の横を歩くことになるが、殆ど平坦なので、ハイキング感覚だ。
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  • 明神岳と明神館。天候はだいぶ良くなってきていますねぇ。
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  • 10時10分に明神を出て、徳沢に11時4分に徳沢に着いた。途中撮影をしながらだったが、ちょっと時間がかかりすぎだねぇ。(通常なら45分から50分で着くはず。)天候はだいぶ回復してきており、薄雲があるが晴れてきていた。
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  • 懐かしい光景に再会した。「明神岳、前穂高岳と梓川」
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  • 昼食は、面倒臭かったのと、うまい飯が食べたかったので、徳沢園に名前を変えて登場した「MICHIKUSA SHOKUDO」(みちくさ食堂)で山の手カレー900円とジョッキ生750円?を食した。その際、年配の男女の方と相席となったが、何と、槍ヶ岳何ぞを縦走して来だそうだ。元気すぎる。しかも、昨晩は天の川がとても綺麗だったとのこと。くぅー、うらやましい。

 

 
 徳沢園でキャンプ場の代金を払う。あらら、1泊700円になっちょる。

 
 で、テントにはこんな「届出済み」の紙をつける。以前は単なる紙だったが、
 ラミネート?加工してある。
 

 こいつは、裏側でおまっ。

 
 

  •  その後、撮影場所を探しに梓川河畔にやって来た。梓川の水量は例年より少し多い。
  •  まずは、1978年に最初に撮影場所としていた、人工の堤防を確認してみた。「あ、これは・・・」草木が茂り、その入り口すら分かりにくくなっていた。それでも、無理して進むと、今度は木の枝が完全に行く手を阻む。それでも、更に進んだところ、腕にかなりの擦り傷を負ってしまった。視界が聞くところが少しだけあったが、もうこの場所は駄目だ。使えない。
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  • これは、8月20日になってから撮った腕の傷。あーあ、傷ものだわ。もうお嫁に行けないわ。
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  • そこで、梓川の河原に降りてみることにした。入り口付近だと、他の人に出会うことがあるかも知れないので、何とか北の方へ行ってみた。探してみると、運良く良い抜け道?を見つけた。河原には、少しくぼんだところがあったので、そこで撮影することに決めた。
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  • これは、翌日に撮ったもの。
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  • 1978年の梓川の岩と金網で作った堤防。まだ、金網も錆びていなかったし、堤防の上は草はほぼ生えていなかった。
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  • 2006年の梓川の堤防。右側の木はだいぶ成長してきたが、西側の風景はしっかり見えていた。
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  • 撮影場所が少し違うが、今年の梓川の堤防の入り口付近。草木が随分生えていて、奥に行くのにも一苦労だった。時は流れたのだ。
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  • それにしても、今年は気温が高い。明神岳と前穂高岳の間には滝がある。それは、雪渓が溶けた雪解け水が滝になっているのだが、その雪渓は見た目には完全に無くなっている。
  • 昼飯は少し遅い時間に、またも「みちくさ食堂」でカレーとジョッキ生を食した。
  •  晩飯は、もういらないかなぁって思っていたが、フリーズドライのうどんを食べた。(ブタンガスヒーターを使う。)
  • そして、18時前には、昼間探しておいた撮影場所に行った。初めは晴れていたが、その後、雲が押し寄せた。まあ、この時期の徳沢ではよくあることだ。それに、まだ月が明るいので、この時間の天気はまあどうでも良いのだ・・・あ、否、だめだよ、明神岳、前穂高岳に沈む北斗七星は撮っておきたいんだよね。ああ、忘れるところだった。アホか?
  • その北斗七星は、通り過ぎる雲のせいで、なかなかうまく撮れない。何か、ぶち切れそうになってきた。一瞬の隙をついて、薄明の北斗七星を撮ることが出来た。
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  • 何とか固定撮影出来た「前穂に沈む北斗七星」
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  • その後、雲は全く切れることが無かった。ちょっと雲が切れると、月がバカほど明るい。半月過ぎの月なのだが、とにかくまぶしい。自分の影もはっきり出来ている。また、時折見える火星もどえらい明るさだ。
  • カメラは無改造のNikon D810と、Canon EOS 5D MarkⅡ SEO-SP4と言う天体写真用にフィルターを改造したデジイチだ。しかし、EOSには、アストロノミックCLSフィルター Canon EOSフルサイズ用なる対光害フィルターを装置しているのだが、これが、ライブビューにして、ISO感度を上げてもまるで星が見えないのだ。仕方なく、17〜40mmのEFレンズF4を付けた後、月でピント合わせると、アセテートテープで、ズームとピントリングを固定しておいた。(徳沢なら対光害フィルターは不要だったんだよねぇ。ああ、用意がぁぁぁ。)
  •  月没は、確か23時半頃なのだが、まるで雲は切れることが無かった。「クソー 駄目か?」とりあえず、月明かりの残る、いて座付近の銀河を撮っておいた。この後、諦めてテントに戻ろうと思っていた。シャッターを戻して、後ろを振り返った。
  • 「あ、あ・・・うそっー!・・・マジかよ!!」
  •  突然、猛烈な星空が広がっていたのだ。息を呑んだ。そこには、昔、ここで見たあの鮮烈な星空が戻ってきていたのだ。「うわー、小熊座があんなに明るいよ。」小熊座の5等星の星で、いつも星空の見えた方の基準にしているが、その5等星がバカほど明るい。恐らく7等星が見えているのではないか?「白鳥座辺りの銀河は半端ねぇ。」昔の記憶が鮮やかに甦ってきた。しかし、あの時とは違い、タチゲはいない。もう一度タチゲとこの星空を見ることはできないものだろうか?そんなことを思っていたら、あの当時の記録が次々甦ってきた。あの時は、見るものすべてに感動していた。 
  • ああ、そうだ。1978年の記録には【この徳沢からでもおよそ1.500mもある前穂が、どういう訳か、特に夜間はとても小さく見えるのだ。誇張でなく、まるで2~3mしかない砂山のように思えてしまうのだ。】と書いてある。しかし、その後、何度もこの場所に来ているが、そこまでの感覚を感じたことはなかった。しかし、今回は、いつもの梓川の河原でも、少し凹んだ場所にいたので、あの時と近い感覚を味わうことが出来た。「うーむ、38年ぶりにようやくあの時と同じ感覚を味わうことが出来たねぇ。」 感慨もひとしおだ。
  • 思い起こすと、2007年に撮った「明神岳、前穂高岳に沈む白鳥座」は、それは強烈な印象を残していた。よーし、あの時は、改造カメラではなかったけど、今回持ってきたのは、天体用にフィルターを改造したカメラ、しかも、フルサイズのデジイチだ。眠たいのを我慢して何とか撮ることにした。しかし、困ったこともあった。17〜40mmのEFレンズF4とCLSフィルターの組み合わせでは、露出を結構かけないといけないのだ。慌ててフィルターを外そうとするが、まるで外すことができない。28mmF2.8のレンズも持ってきていたが、既に月は沈んでいるので、月を使ってピント合わせも出来ない。APS-CサイズのCMOSを採用している、Canon 60D SEO-SP-3に、マウントアダプターを介して、シグマの15mm対角魚眼レンズ(ニコンマウント)を使うべきだったと反省。と言ってみたところで、後の祭りだが・・・  しかも、ファインダーでは構図も確認できないので、1分程度の露出をかけて試し撮りを何度も繰り返し、構図を決めた。
  • とにかく、温度が高かった。薄明の時、半袖で動いていたが、結構汗をかいた。また、ここ数年、暗くなってくると訳の分からない小さな虫に刺される。これがチクッと実に痛いのだ。これも、地球温暖化のせいか?
  • ちなみに、結露対策は、行く前に炎天下で虫干しおいた、桐灰カイロを使った。これを薄手の靴下でレンズに巻き付ける。勿論、ピントやズームリングが動かないように、テープで予め固定しておく必要性がある。
  • ところで、散々迷ったあげく、今回持ってきたポタ赤は、アストロトラックTT320Xだ。アルカリ単三電池を8本使うことになるが、精度、強度とも抜群であり、ザックのサイドポケットに取り付けられるので、私のスタイルには一番合っているのだ。(初めっから、そうしろよって言うの!)
  • 午前2時頃だったか、テントに戻ってきた。まだ、気温は思ったより高い。明るいうちに買って置いた缶ビール500mlと薬を飲んで寝ることにした。(アルコールと薬を一緒に飲んじゃ駄目だよーん。一気に血中濃度が上がるので、場合によっては危険ですからねぇ。) 
  • ところで、撮影場所から帰ろうとした時、東の空に、何やら訳の分からない明るい星がギラギラと輝いているのに気がついた。「あれー?あの星なんだっけ?」しばらく考えていたらようやく分かった。何と、ぎょしゃ座の「カペラ」じゃないか?でも、あの明るさは反則だよなぁ。
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 いて座付近の銀河。月が沈んだ直後に撮影。17mm、Canon EOS 5D Mark Ⅱ SEO
 SP-4 改造デジイチ、ISO1600 10分露出。一応、RAP2を使ってダークを引いて
 から、TIFFファイルに書き出した後、Macに持ってきて、PhotoshopCS6で加工。
 ちょっと処理が下手すぎるなぁ。
  • 明神岳・前穂高岳に沈む夏の大三角形。撮影条件は上記と同じ。
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  • 8月12日(金)

  •  起きたのは午前8時くらいか?とにかくこの日は超ダラダラだ。昨日も大概ダラダラしていたが、その上を行くダラダラぶりだ。テントの横にマットをひいて、ひたすら寝っ転がっていた。時折「みちくさ食堂」にいつものメニューで食事をしたり、横尾訪方面に少し歩いたりしてみた。
  •  更に、4Kのビデオカメラを持って、蝶ヶ岳登山道をほんの少し歩いてみた。ちょっと歩いただけなのに、結構しんどい。普段からまるで運動をしていないので、今日は、普段から調子の悪い左足に、まるで力が入らないのだ。これは、やばすぎる。
  •  結構曇っている時間帯が多かった。しかし、登山のベースキャンプとなる、この徳沢にテントを張る人は思いの外多かった。ここへは、何回も来ているが、これほどまでのテントが張られているのを見たことがない。
  •  その結果、トイレもキャパを上回ってきて、簡易水洗では、下の方に流れない状態になっていた。うーむ。1978年のトイレを思い出した。あの時は、便器からウンチが山盛り状態になっていたからねぇ。
  •  ああ、そう言えば、昨日だったか、二人連れの若い男性が来て「診療所はどこでしょうか?」と私の隣の人に聞いていた。その人もよく分からなかったので、私が「日大臨時診療所」に案内したことを、ふと思い出していた。どうやら、熱中症らしい。このところ、北アルプスといえども、結構気温が高いからねぇ。
  •  夕方になって、雲が切れ始めたので、昨日と同じ場所に行ってみた。しかし、その後、どんどん雲が押し寄せてきてしまった。ちょっと頑張って待ってみたが、到底晴れそうにはなかった。駄目だ、帰ろう。テントに戻ると、少々無理をして缶ビールを飲むと寝てしまった。昨日よりは、だいぶ気温が下がっていた。
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こんなところで、一人で過ごすんですよ。何か、寂しい。しかも、この日は星空は無しでした。多分、この場所で一晩中星を撮っているのは、私くらいなものかなぁ。ま、今回は徹夜は無しでしたけどねぇ。


  • 8月13日(土)

  •  この日は、徳沢を離れて、長野県の野辺山にある民宿「こっつぁんち」に行くのだ。徳沢には何度も来ているので、ほぼすべてを見て回っているので、正直、超退屈していたのだ。それに、ちゃんとした飯も食べたいし、風呂にも入りたかったのだ。(徳沢ロッジでは風呂に入ることが可能だが、今回は入らなかったのだ。きちゃない。)
  •  天候は、イマイチだった。雨こそ降っていないのだが、曇っている。河童橋辺りの景色もイマイチだ。
  •  上高地の小梨平キャンプ場の、いつものトイレで着替えをしようと思っていたが、何ともものすごい数のキャンパーがいたので、使うことが出来なかった。落胆していると、すぐ近くに別のトイレがあるのに気がついた。そこで、濡れタオルで身体を拭いた後、服を着替えていおいた。
  •  バスターミナルからは、相乗りしてくれる人がいなく、またも、一人でタクシーに乗った。おお、もったいない。
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  •  午後12時半頃には「こっつぁんち」に到着した。
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  •  今年は「こっつぁんち」が休み前半が既に貸し切り満室などもあって、3年ぶりに徳沢にやって来た。そこで、見たのは、あの超弩級の星空だった。久しぶりにあんなすごい星空を見ることが出来たなぁ。良かったなぁ。
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  •  しかし、ブランクがあったので機材の選択はミスがいろいろあったように思う。ポタ赤は、やはりアストロトラックTT320Xだけにすべきだった。デジイチも、選択を誤った。他は、まあ、許せる範囲だったかなぁ・・・