1980年12月上旬 初めての冬季大山登山
 
 当時の詳細な記憶がありませんし、きちんとした記録も残っていませんので、結構曖昧な内容になります。
 
 まだ、私が、長崎県佐世保市にある、当時の長崎県立国際大学にいた時の話になります。多分、4回生の時ではないでしょうか。日付けも、はっきりとはしません。12月5日辺りから、出発した可能性が高いと思っております。
 
 その年のふたご座流星群は、月明かりもなく、晴れれば良い条件で、見られる可能性が高いと思っていました。しかし、ふと、気がつくと、ポタ赤のハーツが1個足りないことに気がつきました。それは、多分、高橋製作所の簡易雲台ではなかったかと・・・前回の帰省の際に実家に置き忘れたのでしょう。
 そこで、思い切って、佐世保から、当時、実家があった島根県松江市まで、原チャリで帰ることにしました。片道、およそ550kmの道のりです。
 九州を走っている時は、良い天気でした。「おお、これなら楽勝だな。」って思っていました。
 

これは、佐賀県内の海岸で撮ったものです。砂浜に山と天文同好会の文字と「ブルース・リー」のサインを書いてみました。古いアルバムからスキャンしたモノですので、色が変ですね。
 
 乗っているが原チャリなので、松江市には、2日がかりです。金もないので、野宿です。テントは持って行ったような記憶もありますが、キャンプ場でもない所へテントを張るのはまずいと思っておりました。そこで、ようやく見つけたのが、海岸にあった物置です。と言っても、壁はありません。シュラフに潜り込みましたが、寒くて寝られたものではありません。更に、横殴りの雨が降ってきて、結構濡れました。
 翌日、そんな寝不足の中、スタートです。島根県の津和野辺りから、雨は雪に変わります。とても、寒かったことを覚えています。
 ようやく2日がかりで帰宅しました。もう、ヘロヘロです。
 
 これまた、記憶が定かではないのですが、オヤジは、網膜剥離の手術のため、家には誰もいませんでした。そこへ、急にお客さんがやって来たのです。お茶がどこにあるのかも分からず、あわててお茶を出した記憶があります。
 
 翌朝「ついでだから。」と鳥取県の大山に登ることにしました。大山の博労座には、どうやって行ったかは覚えていません。もしかしたら、バスと汽車を乗り継いで行ったのかも知れません。
 
 その日の前日に、急に冬型の天気となって、大山には、それほど多くはないですが、積雪がありました。「まあ、登れるところまで登ってみよう。」と考えていました。アイゼンもピッケルも持っていない状態でしたからね。ちなみに、荷物は20kgと、ちゃんとした登山としては最軽量に抑えていました。
 

大山は、ご覧の通り、冠雪しています。
 

登り始めた頃の、登山道の積雪は、大したことはありません。これなら楽勝だと思っておりました。写真が一部赤く変色していますね。
 

冬型の気圧配置になった後に、晴れたので、気温は低く、ツララが出来ていました。
 

途中、快晴の空に、樹氷がとても綺麗でした。
 

樹氷の後方には、弓ヶ浜と日本海が見えていました。
 

6合目から、大山北壁と三鈷峰を望みます。
 
 しかし、8合目から9合目にかけてでしたでしょうか、急に天候が悪くなりました。ガスに覆われ、寒さにも拍車がかかります。
 

こんなすごい光景が現れます。恐らく、標識の骨組みに、所謂「エビのシッポ」と言われる、氷の結晶が大きく成長して出来たものだと思います。写真が変色してきていましたので、画像処理しましたが、かなりノイズーな画像になってしまいました。
 

登山道の脇に生えている「大山キャラボク」には、エビのシッポが生えまくっており、とっさに「白い要塞だ!!」と思いました。
 

 
これが「エビのシッポ」をアップしたものです。風上にむかって成長していくのだと聞いています。
 

 と、突然「ブロッケンの妖怪」が現れます。「おお、憧れのブロッケンの妖怪を初めてて見たよ。」とはしゃぎまくりました。
 (ブロッケンの妖怪とは、ドイツのハルツ山地の最高峰ブロッケン山でよく見られたことに由来しています。ガスに自分の影が映り、その周りに円形に虹が出来る現象です。)
 と、丁度、いかにも山男と言った感じの男性が下山してこられました。
 「ブロッケンの妖怪」が出ていますよ。とご案内致しました。すると、その男性は「ブロッケンの妖怪は始めて見ましたよ。ありがとう。お礼に、この干し肉をあげます。」と言って、干し肉を頂きました。
 

当時の木道は、このように細く、ほんの一部だけにしかなかったと記憶しています。
 
 そして、ようやく山頂に着きました。今回は、山頂小屋で、1泊することにしました。
 

これは、翌年の6月に撮った山頂小屋ですが、当時の山頂小屋は、このように、古くて小さなものでした。
 
 夜、ヘッドランプを付けて、トイレに行きました。アンモニアなのでしょうか、目が、かなりしみる刺激臭がします。また、オシッコの水蒸気が凍ったものだと思いますが、壁一面に、小さな氷の結晶がびっしりと張り付いています。それが、ヘッドランプに、キラキラと照らされて、この世のものは思えない程綺麗でした。
 
 確か、小屋には、他にも人がいたように記憶しています。しかし、かなり少数だったので、断って、小屋の中でテントを張ったのではないかと思います。化繊の安い防寒着しか持っていなかったので、少しでも寒さがしのげるのではないかと思ったのです。
 ちなみに、午後3時過ぎで、小屋の中の気温は−5℃でした。
 登山靴に付いた雪は体温で一端溶けて、完全に濡れてしまっていました。しかし、その気温の為、登山靴は、その後カチコチに凍ってしまいました。
 
 翌朝、登山靴を履こうとすると、カチコチに凍っているため、なかなか履くことが出来なくて四苦八苦した記憶があります。
 
 その後、無事に帰宅しました。しかし、足の指1本が黒紫になっているのに、気がつきました。軽い凍傷になっていたのです。風呂に入ると、その部分がとても痛いのです。うっ血した血を抜いた方が良いのかと思って、針を刺してみました。痛いのは痛いのですが、思ったほど痛くありません。
 「がぁー、もしかしたら壊死するんじゃないか?」と真剣に心配になりました。しかし、結構時間がかかりましたが、何とか治りました。冬山を完全に舐めていました。そもそも、私は、足の血流は悪いのか、中学生の頃くらいまでは、冬場はいつも足の指が「しもやけ」になっていたからなぁ。
 
 その後、また、2日かけて、原チャリに乗って長崎県の佐世保市に戻りました。はあーあ、疲れたわー。
 ちょっと、無謀な所はありましたが、良い経験になりました。